深夜の錯綜

夢月七海

深夜の錯綜


 クラブ・βの店内は、今夜も大勢の男女で賑わっていた。酒を飲み交わし、激しいフラッシュの中で踊り狂い、意味のない言葉を大声で叫んでいる。

 そんな光景を、二階のVIPルームから、防弾ガラス越しに見下ろす男がいた。長い金髪のその男は、煙草を吹かしながら冷ややかな目をしている。


「K氏、いつまで黄昏ているのですか」

「ああ、オーナー、すまない」


 そのガラスと正面に置かれたソファーの上で堂々と座るクラブのオーナーは、K氏の背中にそう声をかけた。K氏はそっけなく答え、オーナーの右隣のソファーに腰掛ける。

 三人が囲む大理石のローテーブルの上には、サイケデリックな配色の錠剤がいくつも置かれていた。太い指で薄くなった白髪を撫で上げながら、オーナーが自慢する。


「どれも最新モノですよ」

「ふむ……ところで、」


 顎に手を当てたK氏は顔を上げて、目の前の空いたままのソファーを見た。

 K氏には二人、オーナーには四人の護衛がそれぞれ背後に立ち、狭く感じるこの室内で、この空白だけが異様だった。


「G氏はまだ帰ってこないのかね?」

「ああ。トイレに行くと言っていましたが、おそらくは下で一人、ひっかけているのでしょう」


 オーナーが下品な笑い声を立てると、それを打ち消すかのように、乱暴な音でドアが開き、一人のボーイが入ってきた。


「大変です! G氏の死体が発見されました!」

「何っ!」


 オーナーはやおら立ち上がり、振り返る。顔面蒼白のボーイと目が合った。

 K氏は、不審そうにオーナーの顔を覗き込んだ。


「心当たりでも?」

「……赤毛だ。ダビー・ファミリーの赤毛が殺ったに違いないっ!」






   ▲






 ダビー・ファミリーが所有するモーテルの一室で、赤毛の男と髪をピンクに染めたベリーショートの細身の女が、互いに煙草を吸いながら、古びた木のテーブルを囲んでいた。昼間だがカーテンは閉ざされ、電球一つだけのため薄暗い。

 「赤毛」と呼ばれるダビー・ファミリーの殺し屋は、面倒臭そうに口を開いた。


「ボスの命令は、新型ドラッグを取引しているラスタバンのシマ、クラブ・βを潰せ、だ」

「簡単だろ。外壁に爆弾巻き付けて、ボカン」

「却下」


 敵対するファミリーのラスタバンから追われ、最近から済し崩しにダビー・ファミリーに入った女殺し屋「マーシー」の案を、赤毛はいつも以上の苦い顔で跳ね退けた。


「ボスは、あそこのドラッグのルートも手に入れろと言っている。それ以外のクラブの内情は分かっているからって」

「あんたのとこさ、小さいから和気あいあいとしているかと思ってけど、結構無茶苦茶だよな」

「ボスは筋を通さない奴には容赦しねぇから。それに、ファミリーで動ける殺し屋は俺たちくらいだから、無理が回ってくんだよ」

「交渉して、報酬上げてもらった方がいいって、絶対」


 灰皿に煙草の灰を落としているマーシーの忠告を無視して、赤毛は手元にあった手帳を捲った。


「情報屋によると、五日後の別ファミリーとの取引に、オーナーが顔を出すだとよ」

「その日が決行日だな」


 マーシーが煙を吐きながら断言し、赤毛も手帳を閉じながら頷いた。






   ▲






「オーナー! 赤毛を連れてきました!」

「よし! よくやった!」


 ボーイがVIPルームに引き摺る様に運んできたのは、後ろ手に縄で縛られた赤毛の若い男だった。赤毛は、「離せ! 俺が何したんだ!」と騒いでいるが、壁に叩き付けるように座らされた。

 オーナーは早速、目の前にいるその殺し屋を舐めるように眺めた。K氏も興味を持ったのか、ソファーから立ち、二人から付かず離れずの位置を陣取る。


「どこにいた? 武器は?」

「下に紛れていました。武器は持っていなかったです」

「分かった。戻れ」

「何の話をしてんだ! 俺は踊りに来ただけだ!」


 赤毛は吠えるが、オーナーはせせら笑うだけだった。

 後ろの護衛に、「氷」と言い、水割り用の氷水入りバケツを受け取り、それを赤毛に掛けた。それでも口を割らない赤毛に、今度は「瓶」と言い、受け取ったシャンパンの瓶で、その頭を殴った。


 床に倒れこんだ赤毛は、なおも無言を貫く。

 オーナーは舌打ちをし、護衛に「銃」とだけ告げた。護衛が自身のトカレフを渡そうとした時、「いや、待て」とK氏が口を挟んだ。


「殺すよりも自白させた方が、ダビーの情報が手に入るのではないか?」

「……それも手ですね」


 K氏の一言で冷静になったオーナーは、護衛へ「自白剤」とだけ言った。






   ▲






 遠くからいくつもの銃声、誰かの「強襲だー! ダビー・ファミリーのマーシーだー!」という叫び。クラブ・βのボーイになって三日目の新人は、その音が現実のものだとは思えなかった。

 未だにオーターとの顔合わせも済ませておらず、信用を勝ち取れていないために武器を持たされていないその新人も、一先ず先輩たちの後に続いて、マーシーと言う侵入者を迎え撃つ。


 裏口から続く長い廊下に、ボーイたちはそれぞれの獲物を構えてマーシーの姿を待った。

 静かになったのは一瞬だった。廊下の曲がり角から飛び出したマーシーは、左へと走りながら、構えたガバメントで一番手前のボーイ二人を、一発ずつで仕留めた。


 そのまま、左の壁を蹴ってスレンダーな体を跳躍させながら、まだ銃口を定めていない三人を撃つ。

 着地と同時に屈みこみ、まだ倒れていない死体の股の間から、二人を殺す。


 これで、ガバメントは弾切れになったと、一番後ろの新人は勝機を見出す。

 しかし、目前のボーイの懐に潜り込んだマーシーは左手のガバメントでボーイの両手を叩き、ベレッタの弾道を逸らした。そのボーイには、後ろのホルダーから右手で取り出したガバメントでヘッドショット。加えて、絶命したボーイのベレッタを持つ手を、ゴキリと後ろに捻じって、二発。


 その後も着々と、ガバメントと落ちていた銃も用いて、ボーイたちの命を撃ち取っていくマーシー。

 あんな化け物に、勝てるわけがない。新人はマーシーに背を向けて、走り出した。






   ▲






「襲撃! マーシーの、襲撃です!」


 黒髪の左側を剃った新人が、VIPルームのドアを潜りながらそう叫んだ。

 赤毛を睨んでいたオーナーも、鞄から自白剤を探していた護衛の一人も、全員が一斉にその新人を見る。


「まさか……赤毛を助けに来たのか?」


 震える声で、オーナーは呟く。直接会ったことはなかったが、同じファミリーだったため、マーシーの腕の良さは何度も聞いていた。

 兎も角、被害状況を確認せねばと、オーナーは息を乱した新人に向かって口を開いたその時、


「なあ、赤毛が何故『赤毛』と呼ばれているか知っているか?」


 背後でK氏が唐突にそんなことを尋ねた。

 「何の話ですか」とオーナーは怪訝そうに振り返り、見たものに対して硬直した。


 長い金髪のカツラを外した赤毛は、無表情のまま、パイソンの銃口をオーナーの頭に向けていた。


「赤毛以外に特徴がないからだ」


 本物の赤毛が、引き金を引く。銃声の後、額から血を噴き出したオーナーが自らの重さに耐えかねたかのように後ろへ倒れていく。

 間髪入れずに、オーナーの護衛がそれぞれの銃を抜く。しかし、パイソンの二発の弾に、そして新人の撃った二丁のガバメントの弾に、四人は撃ち抜かれた。


「赤毛、お前、自虐も言うようになったか」

「マーシー、お前の男装、全然違和感がねぇな」


 架空の人物であるK氏に扮していた赤毛は苦虫を嚙み潰したような顔で、新人ボーイになりきったマーシーはガバメントをクルクル回してにやつきながら、軽口を交わし合った。






   ▲






 背後からマーシーの飛び蹴りを食らい、新人は数メートル吹っ飛んだ。

 マーシーは俯せになった新人に馬乗りになり、心臓の辺りに銃口を当てる。


「あんたには、手伝ってほしいことがあるんだ」

「何を……」


 新人はマーシーの方へ振り返り、その後ろで動く影を見て、言葉を失った。

 廊下に入ってきたのは、先程死んでいったボーイたちと全く同じ顔と体形と服装をした男たちだった。


「あいつらはうちのファミリーのモンだよ。特殊メイクの達人がいるんでね。こいつらがクラブを開店させるから心配するな」


 新人の疑念を汲み取り、マーシーは死体の片付けを始める男たちの方を見ずとも答える。

 オーナーもいない開店前の襲撃は、ここを乗っ取るつもりだったからかと、新人は納得したが、無論ここから反撃などできない。


「で、あんたはこれから、うちの赤毛のふりをしてくんない? 髪とか染めてさ」


 言っている意味は分からないが、銃口を当てられた以上拒否権はない。

 マーシーは、脂汗を掻く新人に向けて、にっこりと笑った。


「心配すんな。命だけは保証するから」






   ▲






「そいつはバックヤードに連れてけ。知ってること、重要な情報が入っていそうな所を全部話してもらうから、丁重に扱えよ」

「はい」


 赤毛は自分の護衛にそう命じて、倒れたままの新人をVIPルームから連れ出させた。

 その間にマーシーはオーナーが座っていたソファーに腰掛け、赤毛の煙草を一本取りだした。


「いつもよりいいの吸ってんな」

「勝手に取るな」

「あ、あたしの髪染めスプレー、持ってきて」

「俺の部下に命令するな」


 赤毛が口だけで注意するが、すでにマーシーは火を点けている上、もう一人の護衛も駆け足で部屋を出て行った。

 仕方なく、赤毛も隣のソファーに座り、ブランデーをマーシーの分も含めてグラスに注ぐ。


「Gに対しては計画通りに行ったか?」

「ああ。トイレでこれ以上ラスタバンに関わるなと脅したら、尻尾を巻いて逃げて行ったよ」

「そうか。情けない奴だな」


 グラスをマーシーの前へ滑らせながら、赤毛は感慨もなく呟いた。しかし、他のファミリーと無駄な抗争を起こさないためには、この方法が一番だと理解している。

 マーシーは、口をつける前にグラスを掲げる。


「一先ず、大仕事を終えたし、乾杯しないか?」

「じゃあ、我らが愛すべき、人使いの荒いボスへ」

「やっぱ、報酬を上げて欲しいんじゃねぇか」


 赤毛とマーシーは笑いながら、二つのグラスを軽やかにぶつけた。























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