春待ちのポンチョ~梅が咲いたら、桜が咲いたら~
天秤アリエス
第1話 春待ちのポンチョ~梅が咲いたら、桜が咲いたら~
――おねえちゃんのばか!
シロツメクサを引っこ抜く。いっぱい生えているから、抜いてもいいだろうと抜いていたら両手一杯になったので、見様見真似で冠を作ってみる。
タンポポに触れたら、種が広がって飛んで行った。
拡散、というらしい。
せっかくの春の日も、一人ではつまらない。でも、わたしのお気に入りのクレヨンを使った姉なんか嫌い。
桃色の可愛いクレヨンを大切にしていたのに。
ぐすん、と洟を啜ると、ふわりとした花の香が漂っていることに気が付く。それは少しつんとしていて、優しい、春の薫風だった。春は色々なにおいがする。目を閉じると、世界は匂いでいっぱいだ。
その中でも、一際香っている匂いに気が付いた。見上げると、白い花がぽつぽつと咲いている。いじらしく、恥ずかしそうな花が気になった。
「綺麗な梅だねえ」
のんびりした声に誰?と振り返ると、そこには咲き始めた梅を見上げる老婆の姿があった。
「こんにちは」
何となく、花摘みの手を止めて、小柄な老婆に挨拶をする。老婆は丸い背中を少し伸ばして、しわくちゃの頬を緩めた。
春の空気が何度も何度も、間をすり抜けるさまは、映画で見た春の女王が駆け抜けるような透明感に満ちている。紘子は、小さな背丈を伸ばして、老婆を見上げた。
「いい子いい子」
老婆の手は優しく、温かい。母とも父とも違う、包容力に満ちていた。でもしわくちゃで、少し悲しそうな手だ。
「いい子じゃないよ」
紘子はぽつんと呟いた。姉と仲良く画用紙に森の動物たちを描いていたが、姉は熊をピンクに塗った。紘子はむかっと来て、その画用紙を破いてしまったのである。結果、姉とは大ゲンカになって、破いた画用紙に心が痛んで、家を飛び出して、独りで花を摘んでいた。
「――あなたの、名前は?」
「紘子」
「紘子……、では、ひろちゃんね。この木は知っているかい?」
外に出て思ったが、どの樹々も同じようでいて、少し違った。昨年、父に抱っこされた時に目にしたピンク色の木はどれだろう。
「これは、梅だよ。わたしは、この梅には想い出があってね」
老婆は懐かしそうに樹々を撫でながら、可愛いショールを引き上げた。とても可愛いチェック柄。ポンチョだよ? と老婆は囁き、紘子の肩に掛けてくれた。
「梅が咲いたら、きっと、一緒にこの街を出て、外を見ようとおじいさんと約束したんだよ。でも、わたしたちの梅は咲く暇もなく、引き抜かれてしまってね。わたしたちは街を出ることはできなかった。この街の梅がその時の梅の木に良く似ているんだ」
春の木漏れ日に消えそうになりながら、老婆は目を細める。老婆の廻りは小さな光るものがたくさんで、とても美しかった。
「おじいちゃん、来なかったの?」
老婆は頷いた。
「でも、きっとくるよ。さあ、寒いだろうから、おうちへお帰り。そのポンチョはあげるから。気に入ったんだろ?」
「でも、おばあちゃん、風邪ひいちゃう。あ!それなら紘子の帽子! ママの手編みで雑だけど、交換しよう」
紘子は被っていた赤いポンポン付の帽子を脱ぐと、老婆の前につま先立ちになった。
「変じゃないかね」
「おじいちゃんが見つけやすいと思うよ。このポンポン、わたしも手伝ったんだ」
不思議と気が晴れて、Uターンのつもりで、つま先をくるんとやって、紘子は振り返った。
「おばあちゃん、ありがとう! 梅、もうすぐ咲くといいね」
心は不思議と晴れやかで。紘子は姉と書いていた楽しいお祭り、の画用紙を思い出す。破いてしまったことを謝ろう。大好きなクレヨンのピンクを使って欲しくなかった。でも、姉と一緒にどんな色でも使って、世界を描こう。
ポンチョが温かい。どこかで見た、柄だけど。そして気になることが、一つ。
**********
「おーい」
「まあ、まだ梅は咲いていませんよ。よく分かりましたね……あらまあ」
耄碌しても、変わらない表情が老婆に向く。二人で並んで梅も観たし、躑躅も観た。日本中の春を観に行こう、なんていって、結局一番良く見たのは、庭に植えた桜の木。もう、その木も見当たらない。
「その、帽子は」
老婆はふわりと笑った。
「この年になって、手作りのニット帽なんか、おかしいかしら」
「いや、似合っているよ。ポンチョがないね、きみのお気に入りだったのに」
老婆は溶けるように微笑む。春になりたかった。春になって、大切な人たちを春の度に見たかった。
「わたしにはもう、必要ありませんよ。それに、今日は暖かいからポンチョはもう要らないわ」
「本当だね。足元が浮き立つような、温かさだ」
ふたりで梅が咲いたら、桜が咲いたらと、よく口にしては、ゆっくりと時を見送った。老婆は緩く、呟いた。
「孫って可愛いものですね。あの子は気づくかしら」
――わたしがひとつ、気になること。
おばあちゃんの足音、全くしなかったよ?
そうママに告げたら、ママはポンチョを見て号泣したので、ポンチョはあげた。
泣きはらした姉と、わたしはまた画用紙に夢を描き始めた。この画用紙に、おばあちゃんを足そうと決めて、ふっと見上げると、そこには、紘子が産まれる前に他界した、赤いポンチョを羽織っていたはずの祖母の笑顔の写真があるばかりだった――。
春待ちのポンチョ(了)
春待ちのポンチョ~梅が咲いたら、桜が咲いたら~ 天秤アリエス @Drimica
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