佐々木先生
森山流
佐々木先生
「佐々木さん、どうぞ」
「失礼します」
促されて中に入る。精神科の診察室というが、真っ白な壁と床に机と椅子、それから先生の真正面ではなく横に置かれた患者用の椅子があるだけの、そっけない空間だ。窓がなくて天井が低い。
「今日はどうされましたか」
「最近眠れなくて…」
井上先生は丸顔にめがねをかけた、穏やかそうな男性だ。怖そうな印象はない。ワイシャツとスラックスに白衣を羽織っている。
「そうですか。他には」
「それから、何か変な声が聞こえることがあるんです」
「声というと」
「周りの人が私を悪く言っているとか、私のことを嫌っているとか、そういうことを言う声なんです」
「他に何か変わったことは」
先生は手元に文字を書きつけながら尋ねる。今時珍しく手書きのカルテなのだ。
「変なものが見える時もあります。光る虫みたいなものが壁とか、部屋の隅にいたり」
「…典型的な統合失調症ですね」
「はあ…」
「ありふれた病気です。そんなに深刻になることもありませんが、根気強いつきあいが必要になります」
井上先生は微笑んでそう言った。
「そうですか…」
「お薬を出しておきますから。1週間したらまた来てください」
「…はい」
私は席を立って外に出る。ドアを閉めると、外から厳重に2つロックをかけた。看護師の上田さんが待っている。
「佐々木先生、どうでした、井上さんの様子は」
「だめだわ、完全に自分を精神科の医師だと思い込んでる」
話しながら私の部屋に戻る。先ほどの「井上先生」の部屋の様子がパソコンのディスプレイに映し出されている。部屋の天井に監視カメラをつけてあるのだ。自分が医師であるという妄想が激しく、看護師たちに抵抗したために、隔離して個室で様子を見ているところだった。個室の壁は特殊な素材でできており、防音と衝撃吸収の効果がある。窓はない。万が一のことが起こらないようにするため、何かをひっかけられるような部品はすべて除かれ、患者の衣服は靴を含めていっさいの紐がないつくりになっている。
「佐々木先生からは何かおっしゃったんですか」
「私のことは患者だと思っていたから、おとなしく患者のふりをして診察されてきました。自分がいる部屋は診察室だと思っているみたい」
「そう…」
私は椅子にひっかけておいた白衣を羽織る。患者に接するときは威圧感を与えないためあえて脱いでいたのだが、それで余計に「井上先生」の妄想を強化してしまったらしい。
「…典型的な統合失調症ですね」
「そうですね…もうしばらく様子をみるしかないのかしら」
「そうね。また私もしばらくここで、カメラの様子を見ています」
「またお茶の時間になりましたら、お呼びしますから、それまで佐々木先生も少しお休みになって」
「ありがとう」
上田さんが笑顔で部屋をあとにした。ドアからガチャ、ガチャと音がする。あれ?この部屋、中から開かないんじゃない?
そういえば、この部屋は画面の中の「井上先生」の部屋とそっくりだ。白い壁、白い床、机と椅子と患者用の丸椅子。
私ー私は、ここへ来るまで何をしていたんだっけ。
頭の上の監視カメラが静かにジーッと回転して、私を見つめていた。
佐々木先生 森山流 @baiyou
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