第4話



口に入ってきた金星を飴玉みたいに舐め回してガリッと噛み砕いた。無明の世界。



 角質生命体はにょろにょろと地を這って前進して、巴旦杏がたどった道のりをさかのぼっていった。アスファルトの隙間の砂に汚れ、草原の下の土に汚れ、角質はみるみる黒ずんでいく。幾日か経った頃、角質生命体は博物館にたどり着いた。破れたガラスの天井から入り込んで子供たちに襲いかかる。

 博物館の中は阿鼻叫喚。イオからの侵略者は博物館を占拠して、子供たちを犯して、ロボットにとりついた。


          ○


 赤いネオン、青いネオン、すいへーりーべぼくのふね。教科書は墨で塗り潰されて。

巴旦杏とルイが博物館に向かう途中、西の空が太陽みたいに真っ赤に燃えて、勃起したキノコが生えた。

うーがしゃん、うーがしゃん。手の長い猫背の鉄生命体はどこからやってきたのか。空に生えたキノコより高い頭から、銀色のウンコをしている。どぴゅ、どぴゅ。

「アイツらなら太陽に手が届きそうだ」

「君は太陽に手が届かないのかい?なら、どうやって太陽を殺したんだ」

ビー玉みたいな太陽に手を伸ばしても届きっこないのは明らかだが、ルイは確かに太陽の死骸を持っていた。

「あの太陽はもう寿命だったんだ。西の地平線に沈むとき、地面にポトリと落ちてきたよ。本当は僕が殺したんじゃない。古い太陽が死んで新しい太陽が生まれた。ただそれだけのことさ」

「僕を犯した幽霊がいただろ。あいつが、太陽のビー玉を潰したんだよね」

「それは君のことだろう」

巴旦杏はルイの言葉の意味が分からず、猫が水鉄砲くらったみたいな顔をした。草原の草から気味の悪い「生命」を感じる。生きている命がびっしりと地面に敷き詰められ、カサカサカサカサ。吐き気。嘔吐。背の高い木々が背の低い木々に唾を吐きかけ、尿をひっかける。カサカサカサカサ。命、命、命。蠢く。生。悪寒。吐き気。嘔吐。

巴旦杏はゲロにまみれた自分がもはや醜い展示品になっていることに気づいた。人の形をした生きた展示品だ。性欲と支配欲にまみれた汚らわしい展示品だ。

「君はもうただのゲロまみれのヒトだね」

巴旦杏は博物館へと駆け出した。緑色の細長い命を踏みつけ踏みつけ。白いねっちょりとした白い硬い生命がぐちょり。欲情も誘わない。

破れたガラスの天井からりょうは落ちる。もう翼のないその体では上手く「教室」に降りたてない。ばたん。どす。ぐちゃ。太陽のビー玉みたいに頭は割れて月の汁が飛び出す。太陽みたいに真っ赤な月の汁。巴旦杏が見上げたその先にはLEDのツマラナイ月。展示品となったりょうの頭はそれと同じくらいツマラナイ。

「これは、これは、お久しぶりですね」

そこにいたのは「先生」と涼月だった。




「涼月さん、先程の発言についてご高説賜りたい」

このロボットの目玉はよく見ると白い角質生命体の塊だった。蛆虫より硬くゴキブリより柔らかいそれは相手の瞳をグリグリと覗き込む。

「と言いますとなんのことでしょうかね、」

「『この博物館には何もない』とおっしゃっていたじゃないですか」

「え、ああ、あれのことですかね、ああ、はい、分かりました、ええ、」

そうやって涼月がロボットからの質問に狼狽していると、その脇でりょうはいつものように死んでから起き上がった。しかし、今度は様子がおかしい。突然走り出したのだ。無理もない。彼は今自分があの幽霊だと気がついたばかりの巴旦杏なのだから。彼が向かったのは地下室だ。

「だれか、走って行きましたよ」

「ああ、放っておけば大丈夫です」


りょうはこの博物館にもう誰もいないことに気がついた。みんな展示品になってしまったのだ。階段を駆け下りていくとLEDの月はもう彼を追いかけなくなった。

顔の消えたセルロイド製の人形、カニバリストに食べられたバラバラ死体、苦悩の梨で口を裂かれた魔女のミイラ……。久々に訪れた懐かしいホンモノ月の世界だ。

彼はガラクタの中から血まみれのハラキリ刀を手に取った。


「先程、確かに私はこの博物館には何もないと言いました。つまり、それは、この博物館には何もないということなのですね。つまり、ここには沢山のものが並んでいる。少なくとも並んでいるように見える。しかし、実際にはどうでしょう。その実体はどのようなものでしょう。私には分かりません。ここで一つ、カント哲学の認識論に頼ってみましょう。カントは知覚によって得られた情報からそのものを認識することはできるけれども、物自体を認識することはできないと言っていますね。つまり、分からないのですね。我々の認識というのは感性によってとらえられたものに構想力によって概念を与えることによって成り立つのですね。となると、ここにある展示品を知覚して我々は概念を与えるわけですが、その与えた概念はどこからきたのでしょう。そうですね、我々の経験でもありますし、展示品につけられたプレートでもありますね。それによってようやく我々は展示品を認識できる。それで、何が言いたいかと言いますとね人生博覧会ということは、沢山の人間の人生を並べているのでしょう。人生というのは、つまり、虚無ですね。これはわざわざ説明するまでもない自明な事実ですね。ですので、私はこの事実を自明のものとして私の哲学の第一原理としたいわけです。それで、私の哲学というのはですよ、それに従うとですね、この博物館には何もないと言わざるを得ないわけであります。これは、もう、これはですよ、まさにこの博物館には何もないということに他ならないわけです。」

涼月がそこまでデタラメを話したとき、りょうは「教室」に戻ってきた。破れた「空」から新しい太陽がガンガンと彼を照らす。彼のcuntはカントと貝合わせをして、絶頂に達した。りょうはハラキリ刀を振り回してロボットを叩き割る。目玉は弾け、角質生命体は次の寄生先を求めて蠢きはじめた。生命体は壁をよじ登り「空」にぶら下がったLEDの月の中に入っていった。「月」は膨張し、空へと浮かぶ。デコボコの毛穴みたいなクレーター。彼らはそこから見張ってる。

さっき床にぶちまけた月の汁には空の月はどす黒い穴として映っていた。あの穴はこの世界の出口なのだ。半月かけてゆっくりと開き、半月かけてゆっくりと閉じる。あの出口が完全に開くのは月に一度だけだ。だけどもその穴も今では角質生命体が住み着く目玉だ。

りょうはいつのまにか生えていた自身のペニスを刀で切り取った。溢れ出る血は経血にしては多すぎる。

そして彼は苦悶の中で正しい作法に則ってハラを切った。内臓が潰れたトマトみたいに溢れ出した。

りょうは破れたガラスの天井からルイがやってくるのを見た。その後ろでは、太陽と月が隣り合って並んでいた。統治者の君臨。歴史は繰り返す。

りょうは床を浸している月の汁の中で世界の出口へと向かっていった。しかし、出口は遠く遠く、そして狭い。りょうがもたついている間に、太陽と月はみるみる大きくなり、ついには空を一面を覆い尽くしてしまった。太陽に熱せられた月の汁は干からびてしまい、世界の出口は閉ざされた。太陽と月は空の上で膨らみすぎて互いに互いを風船みたいに押し潰している。破裂。世界が吹っ飛んだ。

ルイはいつのまにか消えていて、夜空に浮かぶいくいくつもの目玉となってキラキラ星は瞬きしてはみんなを見てる。







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巴旦杏の実は食い尽くされた りょう(kagema) @black-night

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