デウス・エクス・マキナ

阿井上夫

本文

 状況は最悪だった。


 私は王国を守護する堅牢な城壁の上から戦況を見守っていたが、眼下に広がるのは惨状である。

 圧倒的な量の魔王軍—―俊敏な動きで敵を翻弄する『疾風ケル』と、体内の核を破壊しない限り無限再生する『死霊ゴーウン』が先陣を切り、その後方では『巨漢ガイウス』が巨大な刃を振り下ろす。加えて暗黒魔術に長けた暗き森の民『災厄ミナ』が、攻撃魔法を繰り出していた。

 対する王国騎士団はまだ健在であったが、それももはや風前の灯火――数に押されてじりじりと後退を続けている。大陸随一の機動力を誇った騎馬隊は、すでに跡形もない。弓隊は矢が尽き果て、弓は折れて、戦場を呆然と見下ろすことしかできなくなっていたし、残る希望は魔法部隊だったが、その力は枯渇しかけていた。

 明らかに人類は押されている。

 それというのも、魔王が創造した拠点攻撃用の巨大な魔物—―『混沌ゲヘル』が五体も、魔王軍陣地の後方から姿を現したからである。それで王国軍は浮足立ってしまった。

 まあ、それも無理はない。

 数か月前に隣国を襲った災厄は、誰もが知っている。わずか一体の『混沌』によって、北方の城塞都市タルミーナは廃墟と化したのだ。

 それが同時に五体――正気を保つことが難しいほどの、最悪の事態である。

 しかし、それでも私の隣に立っていた師匠—―王国筆頭魔導士アインズフェルトは、いつもの通り落ち着き払っていた。

 異世界から呼び出された人類史上最強の魔導士。神に愛され、転生する時に魔法の素質を授かったという。彼の昔いた世界は「ショウワーのニポン」だと聞かされたことがあるが、どんなところなのかは笑って教えてくれなかった。きっと嫌なことでもあったのだろう。

 ともかく彼はまさに「王国の平和の象徴」で、おかげで私にも軽口をたたく余裕があった。

「師匠、よくもまあこんな時に落ち着いていられますね」

「当たり前だ。取り乱してどうする?」

「この状況じゃ仕方ないですよ」

「まあ、そうだけどよ—―ちょいと試してみるとするか」

 そう言うと、アインズフェルトは呪文を詠唱し始めた。

 火焔魔法『鉄槌ガーンズベック』――人類最大の攻撃力を誇る究極魔法で、これを使える者は世界広しといえどもアインズフェルト唯一人である。


「世界を火焔で埋め尽くせ、『鉄槌』!!」


 杖の一振りとともに頭上に展開された魔法陣の中央から、眩いばかりの白い光が、五体の中央にいた『混沌』へと矢のように放たれる。あまりにも高温のため赤を通り越して白く見えるその矢は、正確に『混沌』を貫いた。

 爆炎。

 世界に熱い風が吹く。

 空気の一部が分離したような臭気が、鼻の奥を刺す。

 同時に戦場にいた全王国騎士から歓声が上がった。誰もが『混沌』の殲滅を確信したのだ。

 ところが爆炎が薄れ始めた中で何かが蠢き、その場にいた人類は声を失う。

『混沌』は装甲版のような皮膚の一部が欠けた姿で、ゆっくりとこちらに向かって歩みを進めていた。そのかけた装甲すらも、急速に修復されているように見える。

「やっぱりこれでも無理かあ—―」

 それでも師匠の声は落ち着いていた。


「――これはもう、最後の手段を使うしかなさそうだな」


「ええっ、そんなのあるんですか?」

 私は驚愕した。

『鉄槌』ですら誰もまねのできない究極魔法なのに、それを上回る魔法があるという。

「まさかこの劣勢を押し返すことができるというのですか?」

 師匠の実力を信じてはいたものの、さすがに私は疑問の声を上げる。

 しかし、師匠はやはり平然としていた。

「押し返すというか、機械仕掛けの神――デウス・エクス・マキナを召喚して、世界を根本から覆すんだけどな!」

 そういって恥ずかしそうに小さく笑ってから、王国筆頭魔導士アインズフェルトは、両腕を大きく上に広げて、世界に向かって宣言した。


「究極魔法『漂流ドリフ』――ダーメダ・コリャー!!」


「はあ?」

 私の間の抜けた声を追いかけるように、機械仕掛けの神が奏でる音楽が世界に鳴り響く。


 ちゃちゃちゃちゃんちゃらちゃんちゃん、ちゃんちゃらちゃんちゃんちゃちゃーん。ちゃちゃちゃちゃんちゃらちゃんちゃん、ちゃんちゃらちゃんちゃんちゃちゃーん。ちゃちゃちゃちゃちゃーん。


 悲劇は喜劇へとゆっくりと反転し始めた。


( 終わり )

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デウス・エクス・マキナ 阿井上夫 @Aiueo

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