隔離病棟 〜 特殊併発病棟にて 〜

火ノ島_翔

本編

「はぁ~、今日も一日頑張ったわぁ~!」


 薄暗い廊下を照らす明かりのついた一室で私は両手を伸ばしながら呟いた。


 私の名前は 共依ともい 愛己あいこ ! 年齢は四捨五入で20歳!


 職場は東京郊外にある、とある病棟。都会の喧騒けんそうから少し離れて、山や森などの緑が窓の外に見える職場だ。私はここで看護師として働いている。


 看護師という仕事が私は大好きである。つらいこともあるが、昔から弟の世話などを任されていて、誰かの役に立つことが好きな私からすると、この仕事はまさに天職ではないかと思える。


愛己あいこちゃんは凄いわねぇ。楽しそうに仕事ができるなんて。私なんてもう、枯れ果ててズーンよっ!」


 面白おかしくも私を褒めてくれたのはこの職場の上司である 吉枝よしえだ 沙織さおり さんである。とても優しく、面倒見がいい先輩だ。


 少し前、今年で40を超えてアラフォー女子に進化したわと豪快ごうかいに笑っていたのを覚えている。ちなみに物凄くガタイがいい。元レスリング世界王者と言われても疑わないだろう。


「もぉ、沙織先輩さおりせんぱいのどこが枯れ果ててるんですかぁ? どう見てもムチムチでバリバリの現役ですよ。患者さんもあこがれるって言ってましたよ」


「あらやだ、それ言ったの201号室の田村さんじゃないのぉ? もう60代なのにまだまだお盛んねぇ」


「それは患者さんの個人情報保護のため黙秘もくひさせていただきます。ふふふ」


 こんな他愛もない会話だが、先輩の優しさを感じ今日の疲労も吹き飛ぶ。本当にいい先輩だと思う。


 看護師というのは重労働だ。一日中あっちで世話して、こっちで世話して、体重の軽いお年寄りなら良いのだけれど、何故かこの病棟にいる患者さんたちは、体格のしっかりした人ばかりで、ベッドから起こす時なんかとても大変なのだ。


 まぁ、確かに「キツイ」「キタナイ」「キケン」という3Kが当てはまらなくもない仕事だし、最近では連勤れんきん続きで最後に実家に帰ったのすら思い出せない。だが、助けが必要な人の世話をして感謝される。


 大変だけど……とてもやりがいのある仕事だ。


 まだこの仕事に就いて数年……ん~もうちょっとやったかな? 細かい年数は覚えてないが、そろそろ脱新人なんじゃないだろうか?


 他にも看護師は複数人いるが、大抵入社時に熟練じゅくれんの先輩がバディとして選ばれ、極力予定を合わせて同じシフトに入るようになっている。


 そんな感じなので正直なところ、他の看護師のイメージは薄いし、関わりもそれほどない。入社した頃は、従来の看護師のイメージより、随分と違う印象を持ったことを覚えている。


 それにしても先輩看護師の方々はみんな体格がしっかりしている。やはり、力仕事の多い看護仕事だから……私もいずれ人類最強の看護師になるのだろうか。


 まぁ、そんなことはどうでもいいのだ、今日は先輩にあることを言おうと思っている。前々から言おうとは思ってはいたのだが、優しい先輩だから少し言い難かった。それは私の看護師としての教育に関わることだからである。先輩は私の教育担当だから、教育方針について問うことで、気を悪くしなければいいのだけれど。


「あのぉ、先輩?」


「ん?どしたの愛己あいこちゃん」


「私もここに来て色々な仕事を覚えてきましたし……最初の頃より上手にできるようになってきましたよね?」


「そうね、とても頑張ってるわねぇ♪」


 先輩に褒められて嬉しくなってつい口元がゆるんでしまう。だが、今日こそは言わなければ。


「そろそろ、私も……採血とか点滴とかの仕事をやってみたいのですが」


 そう、私は新人時代からこれまで、一度も注射を使用したことがないのだ。確かにこの病棟ではあまり点滴や採血をすることはない。だが、全く無いわけではなく、何度か目にすることはあった。その時は毎回必ず先輩がやっていたのだった。


「…………んぅ〜、元々ここでは注射を扱う機会って少ないのよねぇ。まぁ精神病棟だからねぇ。この職場だと一度でも痛い針の入れ方をすると患者さんが暴れて大変なトラブルになるのよ。患者さんが暴れて愛己あいこちゃんが怪我でもしたら私……うぅ、患者さんぶっ飛ばしちゃうかも♪」


 沙織先輩さおりせんぱいは遠くを見つめながら言う。恐らく過去に何かあったのだろう。患者さんと看護師の関係に『ぶっ飛ばす』というパワーワードが入ったことは驚きだが、この先輩なら有り得そうで内心苦笑いだ。


「そういうことで、この病棟では先輩看護師が針を使うことになってるのよ。まぁ、その分他の仕事を頑張ってもらうから、覚悟しときなさいね!」


「はい……」


 正直なところ、看護師になって多くの人を助けるという夢を昔から描いていた。その中には患者さんと楽しくお話ししたり、献身的に看護したり、注射を上手に挿して『あれっ?痛くなかったです!上手ですね』という患者さんとのやりとりもやってみたかったのもあり、少し残念だ。


 気落ちしたのを察したのか沙織先輩さおりせんぱいはげましてくれる。


「気にしなさんなってぇ、愛己あいこちゃんは十分やってくれてるわよ!」


 まったくもって素晴らしい先輩である。ついつい口元がニヤリとゆがんでほころんでしまう。気分を変えよう。注射以外にも私にできることはあるんだから。


「分かりました! これからもフレッシュに頑張りますねっ!」


 決意表明をした後、引き継ぎを終え、自室に帰ってきた。


 この病棟は少し特殊で、複数の精神病を併発した患者さんが生活する病棟である。そのためセキュリティ保全や脱出防止のために、一部の看護スタッフは自室を持ち、そこで生活をするのだ。


 私は自室に戻り心機一転これからも頑張ろう! そう思いながら就寝の準備をするのであった。


 ベッドに横になり一日を振り返る。


「今日はあんまり看護しなかったなぁ……明日からも頑張ろう。……あれっ?」


 だが、しかし、ナニカ違和感いわかんがあるような。


 昨日も、その前も、私は同じことを考えていたような。


 頭がクラクラする、仕事のし過ぎかなぁ。


 一体何連勤目だったカナ?


 私は、看護師。人の役に立つ仕事。


 ミンナ私を頼ってくれる。


 弟も……弟は?


 ナニカ重要なことを忘れてイルヨウナ気ガスル――――


 ◇◆◇◆


 その夜、病棟内に叫び声がひびいた。


「あれは……違う、違う、私は違う、そうじゃないのぉぉぉ!あぁぁぁあああぁっぁっぁぁああぁ!」


 ここは 隔離病棟かくりびょうとう 特殊併発精神病棟とくしゅへいはつせいしんびょうとう である。



 ◇◆◇◆


「監視モニター12番異常なし」


「こちら6番も異常なし」


「4番就寝せず何やら手記をつけている模様」


 複数のグレイの制服を着た人がモニターを見つめている。そこには病棟内の患者が寝ている部屋の映像が流れていた。


「今夜は暴れないでくれるといいんだがな」


「大丈夫だろう。夜食の精神安定剤も増量したみたいだし、寝室の吸気システムにも少し濃度を上げた精神安定剤を噴霧しているからな。それこそ沙織さおりさんぐらい強靭きょうじん人間離れモンスター化してないと効かないってことは……っ!」


 とてつもない威圧感プレッシャーと嫌な雰囲気オーラを背後から感じた男は突然に話を止め、冷や汗を流す。


「えぇ、誰がバケモノだって?」


 彼の後ろに凄まじいオーラを放ちながら悠然ゆうぜんたたずむのは、女性看護師とは思えないほど体格のしっかりとした存在。話題の人類最強の女性看護師 吉枝よしえだ 沙織さおり その人であった。沙織さおりは素早く男の背後に接近する。


「はぐっ……!いででで……くる……しいでしゅ……!」


 人間離れ発言をしたスタッフは沙織さおりに首を絞められていた。毎度のことなのだろうか、他のスタッフは苦笑いをしながら呆れている。


 最強看護師ナースチャンプ沙織さおりは、ある程度締め上げたところで男性スタッフを解放し別のスタッフへと質問した。


「それで、4番患者は今どうしてるんだい?」


「まだ就寝はしていませんが……今の所、落ち着いているようです」


「そうかい……」


「何か心配事でも?」


「いや……ね、今日もあの子が針を刺したいって言い出したから、上手いこと誤魔化したんだが……それがストレスになってないかと思ってねぇ。もうひとりが目覚めなければいいんだけどねぇ」


「4番患者には空間散布薬を増量して対応中です」


「そうかい……んっ!?」


 沙織さおりがふと4番モニターを見ると、モニターに映る女性はベッドの上で突如頭をかきむしり始めた。


 そして病棟内に叫び声がひびき渡る。


 モニタールームのスタッフたちは慌てずに対応していく。沙織さおりも少しまゆを下げ悲しそうにしながらも、即座に気持ちを切り替えて、事態に対応する。


 ◇◆◇◆


 モニター室の机の上にはいくつかのファイルと書類が置かれている。机の上に広げられた書類には、一人の少女の写真とプロフィールが記載されている。


-------

[患者番号:4番] 

[氏名:共依 愛己(トモイ アイコ)][性別:女][年齢:23][入院歴8年]

[精神疾患名せいしんしっかんめい:代理ミュンヒハウゼン症候群、解離性同一性障害かいりせいどういつせいしょうがい]

[隔離入院理由かくりにゅういんりゆう:弟や周囲から称賛しょうさんや評価を得るため、故意こいに弟に怪我を負わせ、毒物を飲ませ、弱ったところを懸命に看護していた。当時、少女14歳、弟8歳の時、ペットボトルにバッテリー液(希硫酸)を混入し弟に飲ませる。具合が悪くなる程度の想定だったが、結果として弟は翌日死亡。検死の結果、毒殺だと判明。弟の殺害にて逮捕。家族や周囲からの叱咤しった罵倒ばとう、取り調べなど極度の心理的負荷により解離性同一性障害かいりせいどういつせいしょうがい併発へいはつ。他者を看護し、称賛しょうさんされる精神的安定がない場合に不安定な別人格が表出、自他関係なく傷害行為を行うため、病棟内に看護師役として入院]

[改善見込み:様々な心理療法しんりりょうほうを行うも効果はかんばしくない。薬物療法やくぶつりょうほうはいくらかの成果が出ているが、根本的治療にはなり得ない]

[今後の治療について:担当官『吉枝よしえだ 沙織さおり』が経過観察と心理療法を用いながら心身のケアを行い、長期的な改善を模索する。]

-------


 無機質なモニター室のディスプレイに表示されたNo.4と右上に表示された画面。


 そこには暴れる女性を筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとしたたくましい体つきの女性介護士が抑え込み、鎮静剤ちんせいざいを投与している姿が映っていた。


 隔離病棟 ~ 特殊併発病棟にて ~ (完)

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