痛いのが好きなんでしょ?

青葉黎#あおば れい

痛いのが好きだから、いいよね?

「お嬢様が舐めてくれたこの指、しゃぶっていいですか?」

「は? 死ねばいいのに」


 痛烈な言葉が、私の胸を打ち抜いた。

 

 私はこの毒舌なお嬢様に仕えているメイドだ。

 お嬢様の可愛さは世界一だし、こうして見下されたように罵倒されるのもなんだかゾクゾクする。


 と言っても、お嬢様の根は優しい。

 今だって、包丁で切った指を舐めてくれたし。


「はぁはぁ……お嬢様、もう一度その視線をプリーズ……」

「気持ち悪いわよ、この変態っ。いいから、早く朝食作ってよ。学校に遅れちゃうじゃない」

「そんな……! お嬢様は私と学校、どっちが大切って言うんですか!」

「学校に決まってるじゃない、このバカ」


 あぁ、今日もお嬢様に蔑ろにされて、私、とても幸せです……!


***


 屋敷の掃除をしていると、廊下の向こうからお嬢様が歩いてきた。

 他のメイドたちもいる中、お嬢様は私の前に立った。


「どうしたんですか、お嬢様?」

「うん。ちょっと付いてきてもらいたいところがあってね」

「え!? まさか、愛の告白ですか……!? そんなぁ、メイドとご主人様が結ばれるなんて禁断の恋……」

「バカなこと言ってるとクビにするわよ」


 お嬢様が背中を向けて歩き出したのを見て、私はあわてて同僚メイドたちに声をかけた。


「ご、ごめんなさい。私、お嬢様と一緒に行かないと」

「は? お前、何を言ってるんだ……?」


 髪を金色に染めたメイドが言った。


「お嬢様は……」

「待って」


 何か言おうとした金髪メイドを止めて、丸いメガネをかけたメイドが続けた。


「あのね……」

「――……ああ、そういうことか」


 メガネのメイドが何かを言うと、金髪メイドは頷いて答えた。

 そして二人は私に言う。


「分かったよ。あんた一人が抜けても、掃除しているだけだしな」

「行ってらっしゃい。でも、掃除が終わった後は食事だから。一緒に作るの、手伝ってね」


「はい。すみませんね。では」


 二人に手を振って、私はお嬢様の小さな背中を追って歩き出す。


 掃除をしていたので、屋敷の中はピカピカに磨かれていた。広く長い廊下に、埃ひとつ落ちていない。ふと窓を見れば、その向こうでは整えられた花壇が並んでおり、季節の花が咲きほころんでいた。


「お嬢様、外の花も綺麗に咲いておられますね。まるでお嬢様のようです」

「そうね。でも、メイドはあの花よりも私が綺麗だって言うんでしょ?」

「もちろんじゃないですか。お嬢様は世界で一番可憐で美しくて、なにものにも代えられない、ただ一つの奇跡ですよ! お嬢様以上に輝くものがあるとすれば、それは奇跡を通り越した何かです」


「褒めているのか分からないことをいうわね……。そういうところ、ほんと気持ち悪い。どうして私のことそんなに好きなのかは分からないけど、少しは自重しなさいよ」

「無理です。お嬢様の可愛さで、私はもう全身の毛穴の隅々までお嬢様にぞっこんですよ」


 お嬢様の前に回り込んで、小さな手を両手で握りしめた。


「お嬢様は世界一です。それは私が保証しますよ……!」

「……触んな」


 ペシッ、とはたかれてしまった。

 

 でも、私は別に拒絶されるのが嫌だというわけじゃなかった。


 お嬢様が、そう言いながらも優しいことを知っているから。

 それに、本気で私のことを嫌がっているわけじゃないと分かっている。

 もし本当に嫌なら、私のことなんてすぐにクビにしているはず。

 お嬢様になら、それをする権利もあるのだから。


「えへへ」

「はたかれて笑うとか、あんたほんと意味わからない性格してるわね。気持ち悪い。加工されてハムになればいいのに」

「きゅぅうん……! はぁはぁ、お嬢様の罵倒が、身に染みます……!」

「気持ち悪い声を出すな!」


 お嬢様が叫び、私はえへへ、と笑った。


 その反応を見て、お嬢様は「ふんっ」と顔を背けると、再び歩き出した。廊下の向こうには玄関がある。


「外ですか?」

「そうよ」


 お嬢様が頷くので、私は先に玄関に向かって歩き、お嬢様の靴を用意した。靴を履き替えている間に玄関の扉を開き、お嬢様が出た後で扉を閉める。


 玄関の向こうは、道の両脇が木で囲まれていた。手入れされた木々は風でからからと音を鳴らして揺れ、涼しい風が首筋を撫でてきた。


 お嬢様が先に歩いていくので、私もついて行く。

 門に差し掛かる直前に、ふと、私は道の脇に建てられた石碑に気づいた。


「あんなもの、ありましたっけ?」


 石碑には花が添えられていた。それと、アップルジュースやお菓子も。

 けれど、私には見覚えがなかった。


「……どうでもいいじゃない。それよりも」

「あれ……? あの石碑に刻まれてるの……お嬢様の名前では?」


「……」


「どうして……?」


 お嬢様へと振り返る。瞳孔が収縮せず、虚ろな目が私を見ていた。



 かと思えば、どろり、と眼球が溶け出して地面に落ちた。



 眼球を失った眼窩の奥に赤い光が灯され、目が離せなくなる。ああ、ルビーのように綺麗。お嬢様はいつだって美しい。


 たとえその腕がねじ曲がって、片足を失って、長い髪が散り散りになっていようとも。


 私のお嬢様は……いつだって美しい。


「ねえ、メイド。私と、一緒にいてくれるって言ってくれたよね?」

「はい。もちろんです」

「そっか。なら、こっちだよ」


 お嬢様が前を向いて歩き出した。

 門を通り過ぎて、右へと進む。


「お嬢様? どちらへ行かれるのですか?」

「……」

「お嬢様?」

「メイドは、いつも言ってくれたよね。私が必要って。私と一緒にいるのが幸せだって」

「そうですよ? もちろんじゃないですか」


 お嬢様が、くふふ、と笑う。


「メイドなら、そう言ってくれると思った。じゃあ、行こ。ほら、」


 お嬢様が手を差し伸べてくれた。

 太陽のように眩しい笑みが、私の胸をきゅんと高鳴らせた。


 私はお嬢様の小さな手を握って、足を踏み出した。


「メイドはいつも言ってくれた。大切だって。大事にしたいって。宝物だって。大好きだって。私がいなきゃダメだって」


 独り言のようにお嬢様は言って、片足から黒い血を滴らせながら前へと歩き出す。


 どうしてだか、お嬢様には片足がない。何かに潰されたのか、千切れたのか……それがいつのことなのかは分からないけれど、ともかく失った片足から血を滴らせながら歩いていた。


「だから、あんなことをしたんだよね?」

「あんなこと……?」


 お嬢様はこちらに顔を向けないまま、言う。


「私の下着を盗んだり、着替えているところを盗撮したり、私の入った後のお風呂のお湯をペットボトルに入れて保存して、紅茶にして飲んだり……」

「うっ……ばれてましたか?」


 お嬢様の淡々とした声が、続く。


「私が寝ているときに身体中をまさぐったり、キスしてきたり、大事なところに指を挿れて擦ってきたり、舐めたり、写真を撮ったり……何度も、何度も、何度も何度も何度も何度もナンドモナンドモナンドモ……」


 その声に、なぜだか背筋がゾクリと震えた。


 お嬢様が立ち止まる。

 私も立ち止まって、お嬢様の話を聞いた。


「写真持ってるからクビにもできないし、だから殺してやろうと思ったのに……ビルの屋上から突き落としてやろうって思ったのに……なのにメイドは避けちゃうし。代わりに私がビルから落ちちゃって、こんな身体になっチゃった」


 両手を広げて、お嬢様が笑う。


 身体のいたるところが捩れて、歪んで、血に滲んだ身体を、見せつけてくる。


「全身が痛いよ……コンクリートの地面に全身の骨が砕かれてぐにゃぐにゃになって、肌が砂利とこすれ合ってずたずたになって、皮膚から血がいっぱい出て来て、目玉が衝撃で零れ落ちて、鼻が潰れて、歯が砕けて、鼓膜が破れて、痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイ……」

「お嬢……さま……?」

「だからさ……」


 ほら、とお嬢様が手をこちらに差し出した。


「あと一歩、こっちにおいで」

「……どうして、ですか?」

「私を助けたくないの? メイドのくせに」

「……行きます」


 私は、お嬢様に逆らえない。

 だから足を踏み出した。


 ――高層ビルの屋上から、飛び降りた。


「は、え……?」


 どうしてここまで来たのか分からない。思い出せない。思い出す暇もない。


「や、やだ……私は、まだ死にたく――」

「くふふっ、あはは!」


 耳の奥で、お嬢様の笑い声が聞こえる。

 

「きもっちわるいんだよ、ゴミムシがぁああああ!!」


 お嬢様の笑い声が罵倒に変わり、私は自ら犯した過ちに気づいた。


 私が『愛』だと思っていたことは、全部、お嬢様を傷つけていたことだったのだと。


 取り返しのつかない出来事をしてしまった。

 けれど、過去は取り戻せない。

 

 そして私自身も、今まさに未来を閉ざされようとしている。


 アスファルトの地面が迫る。周囲に人はいない。受け止めてくれるものはない。

 硬い地面に頭を砕かれて、潰された果実の如く脳みそがまき散らされて、全身の骨がぐちゃぐちゃに砕かれる未来。


 それを最後に、私は――。


「やだ、わ、私は……まだ……死にたく――!?」

「嬉しいでしょ? だって」


 お嬢様の声が、耳の奥で聞こえた。


「メイドって、痛いの大好きじゃん」


 地面まで、残り――……。



 ――ぐヂゃッ。



***


 とある名家のメイドが自殺したことを聞いて、あるメイド二人は囁いていた。


「まさか、あの後自殺するなんて……」

「あの時、あたしらが止めていれば……」

「無駄よ、だって……あの人、狂ってたから」


 メガネをかけたメイドは、唇を噛んで続けた。


「死んだはずのお嬢様が見えるとか言ってたし、もしかしたらあっちの世界に導かれたのかもしれないね」

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