七転抜刀

双傘

第1話 名刀『鬼薙』

時は戦国。日本中が血に染まり、武士たちは己の名を刻むため、または生き延びるために刀を振るう時代であった。


初夏の青空の下、若き武士・ヨエモンは天笠の国の山中を一人歩いていた。彼は小領主の次男坊として生まれたが、家督争いに破れ浪人となり、行く宛もないままこの地をさまよっていた。


「……にしても静かすぎるな」


木々の葉擦れの音さえ妙に耳障りに感じる中、ヨエモンは剣の柄を軽く握り、辺りを見回す。その時だった。


「助けてくれ!誰か!」


遠くから男の叫び声が聞こえた。


ヨエモンは音のする方へ駆け出す。程なくして開けた場所に出ると、そこには野盗三人に取り囲まれた一人の商人がいた。商人は背中の荷物を守ろうと必死に身をかがめている。


「おい、逃げても無駄だぜ!」

「荷物を置いて命乞いしな!」


野盗たちは刀や棍棒を振り回し、商人を嘲笑っていた。その光景を見たヨエモンは、すかさず太刀を抜く。


「そこまでだ!」


ヨエモンの鋭い声に、野盗たちは振り返った。


「なんだぁ?浪人風情が何の用だ!」

「こいつは関係ねえ、引っ込んでろ!」


だがヨエモンは応じることなく、一気に間合いを詰めた。一人目の野盗が刀を振りかぶるも、ヨエモンはその動きを読み、瞬時に斬り捨てる。血飛沫が舞い、残る二人が慌てて身構える。


「こいつ、ただの浪人じゃねえぞ!」

「やっちまうぞ!」


二人がかりで襲い掛かるも、ヨエモンは怯むことなく応戦する。一人の棍棒を受け流しながら、その隙を突いてもう一人の胸を一刀で貫く。残る一人は恐れをなして背を向けて逃げ出したがヨエモンは野盗の打刀を足で飛び上がらせ、掴んで瞬時に野盗の後頭部めがけて一閃を放った。串刺しの死体が1つ出来上がった。


「助かった……助かった……」


商人は膝をつき、ヨエモンに向かって深く頭を下げた。


「礼には及ばない。こんな山中で襲われるとは、不運だったな」


ヨエモンが太刀を野盗の着物で拭っていると、商人はそれを見ながら、感謝の念を込めて言った。


「あなたのような腕前の方に助けていただけるとは思いませんでした。これをお礼として受け取ってください」


そう言って商人が背負っていた荷物から取り出したのは、一振りの刀だった。


「これは……?」


鞘から少しだけ刃を抜いたヨエモンは、思わず息を呑む。その刀身は鏡のように輝き、鋭い刃紋が青白い光を放っている。


「この刀は、代々名のある鍛冶師の手によるものと聞いております。ですが、私にはもったいない代物です。どうか、あなたが持っていてください」


ヨエモンは最初こそ躊躇したが、その美しさと確かな造りを見て、結局受け取ることにした。


「名を聞いても?」


「『鬼薙(おになぎ)』と呼ばれています。この刀には鬼をも薙ぎ倒す力があるとか……」


商人の話は半ば伝説めいていたが、ヨエモンはその名に納得した。


それから数か月後、ヨエモンは立ち寄った宿で酔った刀鍛冶から噂話を聞いた。


その昔、天笠の国近辺に轟いていた最強の武士の話だ。鬼神のごとき働きを見せる武士がいると。彼はその刀「鬼薙」を手にするようになってからというもの、敵を斬るたびに妙な感覚を覚えるようになっていた。まるで、刀そのものが渇きを癒すかのように力を吸い上げる感覚だった。


ある時、その武士は敵の大将と一騎打ちをする機会を得た。相手は名高い武将の手勢で、その武勇は周知の通りであった。その家臣との一戦で、武士はその実力を試されることとなる。


「来い!」


相手が大声で叫ぶと同時に突進してくる。武士は冷静に受け流し、一瞬の隙を突いて「鬼薙」を振り下ろした。その時だった。


刃が敵の兜を切り裂き、首を跳ね飛ばした瞬間、武士は見たこともないような光景を目の当たりにした。刀の刃から黒い煙のようなものが立ち上り、相手の魂を吸い込むかのように揺らめいたのだ。


「これは……何だ?」


恐怖と興奮が入り混じる中、武士は悟った。この刀はただの名刀ではない。「鬼薙」とは、敵を倒すたびにその力を吸収し、使い手を強くする呪われた刃だったのだ。


その武士はその後も戦い続け、名を上げていった。だが、その代償として彼の心は徐々に蝕まれ、やがて己が何者であるかを忘れてしまう。


「鬼薙」は最終的に行方不明となり、伝説のみが語り継がれることとなる。だが、誰もがその刀の力を欲したが手にすることはできなかったそうな。



酔った刀鍛冶は手にした盃をくいっとあおり

「まぁ、これは俺が聞いた話だが霞山にある寺の坊さんが呪いの刀を封じたらしいでい」


ヨエモンは荒れ果てた山道を一人歩いていた。彼の腰には一振りの刀がある。光を浴びてなお闇を纏うような、異様な気配を放つその刀には、奇妙な伝説が語り継がれていた。


この刀は商人を襲う野盗を倒した時の報酬として手に入れた。その夜、刀は彼にささやくように語りかけた。


「我を抜けば、お前の望みは叶う。」


だが、どれだけ力を込めても、その刀は抜けなかった。そればかりか、刀に触れるたびに彼の体は重くなり、命を削られていくような感覚に襲われた。

その後、ヨエモンは刀の秘密を探るため、噂話を信じて霞山を訪ねた。そして、ようやくたどり着いたのが、この山奥の寺であった。


寺の門前に立つと、苔むした石段が長く続き、彼の行く手を阻むようにそびえ立っている。寺の住職に会うべく、ヨエモンは重い足を引きずりながら石段を登った。


寺の奥の座敷に通されたヨエモンは、目の前の老僧に刀の話を切り出した。


「この刀、封印を解く方法をお聞きしたい。」


老僧は静かに目を閉じ、短く息を吐いた。


「その刀は、かつてこの寺で封印したものだ。その持ち主が悪しき意図で使おうとしたため、七転八倒の苦しみを経ねば抜けぬ仕掛けを施した。」


「七転八倒、だと……?」


「七度転べ、という意味だ。己の魂を七度打ちのめし、痛みを知り、悔悟し、この刀の力を思い知った後に抜刀できるのだ。」


ヨエモンはその言葉に息を呑む。


「七度転べば抜刀できる。」

それは嘲笑のようにも聞こえる言葉だったが、ヨエモンにとっては絶望だった。


ヨエモンは山を下り、彼は自問した。

この刀を待っていても役に立ちそうにないが、すでに魅了されてしまっている己がいた。


「この刀は固執するほどの価値があるのか……?」


その日からヨエモンは寺のふもとの村に留まり、自分と刀を見つめ直す日々を送ることにした。七転の意味、今後どうやって生きていくのか。使える主人を探しさすらっていた中で巡り合ったこの刀と己の運命を想っていた。


やがてある夜、ふとした瞬間に刀が微かに震えるのを感じた。ヨエモンは意を決し、再び刀に手を伸ばした。外の光は昼のそれではなく炎によるものだ、野盗の仕業だろう。


「今こそ、お前を抜く時だ!」

なぜか心の中でわかった。


刀は鈍い音を立て、ゆっくりと鞘から刃区が姿を現した。その刃は光を吸い込み、漆黒の闇を湛えていた。その闇に自身の生命力を吸われる感覚が確実にあった。


「すでに一度失った武士の誉など、この刀の前では無意味か」


そう悟ったヨエモンは、野盗を前にし地に額をつけたそして足が宙を舞い再び地につく。


"でんぐり返し"


それは人類史で初めて人がでんぐり返しをした瞬間であった。

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