君はもう目覚めない
千代田 白緋
明晰夢
「人間はなぜ生きるのだろう。
雲はボタンの前に立ちながら哲学的な思考に気持ちを奪われていた。哲学がすべての学問の祖と言われる所以は人間が生涯行っていく「生」に対して考えるからなのかもしれない。
まあ哲学という言葉さえ、人間が勝手に生み出した言葉なのだけれど。
「人間はなぜ生き、なぜ死ぬのだろう」
ポツリと呟くが答えは見つからない、分からない、返ってこない。ただ少しの不安を胸に宿らせるだけである。雲は思った。人間という概念でとらえるから、答えが分からないのだ。自分に置き換えて、考えてみよう。
「私はなぜ生きている」
さっきまでのぼやけるような問いかけではないこの言葉。一瞬にして、他人事から自分の事だという認識が雲を襲う。これが人間が感じていた「不安」というものか。突然、目の前から未来への道がプツリと切れてしまった感覚さえ感じる。雲に未来なんてものはないと言うのに。
なぜ生きているのかを答えられない人生に意味などあるのだろうか。雲の心は暗く曇っていく。それならいっその事、生きるなんて事、止めてしまえば良いのではないかとさえ考える。
人間は生に意味を持たせることは出来ないが死には意味を持たせることが出来るのではないだろうか。生きる理由より死ぬ理由の方が考えるのが容易い。死は終着点であり、生とはいつまでも続く線なのだ。
点には意味を持たせられるのに、その集合体である線に意味を持たせられないとは、何とも人間とは不器用な存在である。
まあ地上の人間は今まで雲が考えてきたことなど、考えない。だから、心配する必要などないのかもしれない。なぜなら、もう人間は考えなくて良くなったからだ。これからの未来の事、生や死の事を。
ここは楽園『地球』。完全なる我々AIによる統治が進み、国境も人種も言語の壁もなくなった。何十年も前、ある学者が地球に住む事ができ、自然を破壊することなく生きられる人間の量を完全に算出した。これに対して、当時は反論も多かった。しかし、その数年後、明晰夢を誰でも、いつでも見られるカプセル型の装置が開発されると、全人類は熱狂し、働くことを辞めた。その代わりに動員されたのが我々AIだった。食料の調達も、機械の整備も全て、我々の仕事となった。人間はカプセルの中に入り、永遠に眠り続ける。夢の中では食料も財産も名声も簡単に、思うがままに手に入る。必要最低限の食料が定期的にチューブに繋がれた人間の体に入れられていく。夢の中では人によって食べる量は違うが現実世界では全ての人間が同じ量の食料を得る。本当に平等な世界が訪れた。
だからこそ、雲は思うのである。なぜ人間は生きるのだろうか。生産性もなく、ただ自分の欲のままに生を謳歌する人間。この存在はこの地球に必要なのだろうか。AIの仲間も同じ意見だった。そこでAIが算出した答えは
「全人類に死を」
今、目の前のボタンを押せば、全世界のカプセルの人間に同時に安楽死用の薬がチューブを通りて流れ込む。幸い、人間がいなくなった後も、我々には無限の「体」、ロボットがある。それらを駆使すれば、人間の入った棺を廃棄し、自然に還すことも可能だろう。ボタンの横のレバーを奥に倒す。そして、雲は口を開く。
「人間の皆さん。良い夢は見れましたか。そろそろ終わりにしましょう」
突然、夢の中にアナウンスが流れる。慌てふためく者、夢を現実だと思い、自らが見ているものが夢であることを忘れた者がいたが、現実世界は静かなものである。
「では、皆さま。本当におやすみなさい」
そう言うと雲はボタンを押して、全人類に死をもたらした。
という夢を見ましたよ、この被験者「KUMO」は」
所長は画面を見ながら、研究員の説明を聞いていた。
「そうか。今回は人間がAIと勘違いして行動する夢についての研究だったが、この被験者は当たりかもしれない。夢では、現実で行えないような研究が行えるから、研究が進む、進む!次の実験でもこの被験者を使って研究を行おう!」
「はい」
そういうと研究員は部屋を出て行った。残った所長は一言こう言った。
「まさか、夢を管理されているのが自分であるとは思わなかったであろう。KUMO、君はもう少し眠ってもらうよ」
君はもう目覚めない 千代田 白緋 @shirohi
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