あやとり

千羽稲穂

敬礼!

 敬礼!敬礼!敬礼!

 彼女は大声を上げて、洗い物をしている私につきまとう。

「おかあ、違った……隊長! 私にあやとり教えて」

「あら、小さな兵隊さん。隊長が何をしているかお分かり?」

「食器洗ってる」

 スポンジをお皿に滑らすと、次におわんを持ち上げた。泡がゆっくりと腕の坂を下っていく。水で指がふやけている。今日は一日洗濯物を干したり、部屋を掃除したり、極めつけにたまった洗い物をこうして片付けている途中なのに、この子はその合間にこうしてかまってほしくって、ちょっかいをかけてくる。たまったもんじゃない。と、言いつつも、私は娘の興味の興味が気になってしまう質だったみたい。

「そういえば、どうしてあやとり?」おわんの中をぬぐうようにスポンジを動かす。

「教えてくれなきゃ、教えなぁい」

 いじらしくも足に飛びつきつつ、顔だけは背けてくる。

「足が重いんですけど、小さな兵隊さん」

「教えてくれるまで離れなぁい」

「はいはい」

 蛇口をひねりシンクにたまった食器類に水を浴びせる。一気に泡は遠のき洗い流されていく。娘の駄々も聞こえないくらいに水音が大きい。蛇口からひねりだされる水に手を浸して、私も手を洗った。透明な水は水温を高めに設定しているため冷え切った手も弛緩する。水は糸を絡めるように私の手を離さない。ゆるやかに私を縛っていく。相反して娘の猛攻。腕を足に回し、顔をうずめる。

「じゃあ、これ終わったらね」

 敬礼!敬礼!

 よっぽど嬉しかったのか、小さな兵隊さんは抱き着いたまま頬を足に引っ付けて、敬礼をする。こんなことどこで覚えてきたのかしら。あやとりだって、娘の口からその言葉がでるとは思わなかった。


 洗い物を全て片付けると、私は寝室にある棚から一本の赤いあやとりを取り出した。大事にしまってある、想い入れのあるあやとりだった。昔遊びは子どもの頃にしたことがある。まりつきに、おはじきに、おてだま。今思うと本当に面白かったのか分からないものばかりだ。暇つぶしの遊びになぜか時間をかけて友達と遊んでいた。

「負けて悔しいはないちもんめ」と自然と口ずさんでしまう。「あんただかどこさ、ひごさ、ひごどこさ」

 そうだ、このさいだから、一昨年亡くなった祖母の部屋からそういった物をだしてきても良いかもしれない。

 そう思ったら、あれだけ乗り気では無かったのに意気揚々といろいろと取り出していた。祖母の遺品を整理したときに捨てられなかった缶があった。それを持って娘の前に立っていた。小さなアルミ缶の中を開けてみると、祖母の匂いが蘇った。

「隊長! それはなんでありますか?」

 娘は興味を持ってくれて、私の胸がうずく。この子に教えることや、興味を持ってくれるもの、なぜかそれを知るだけでいつも楽しいのだ。このごっこ遊びだって、私には愛おしくも面白い娘の一部。

 私はおはじきをとりだして、娘の前に並べてみる。透明な平たい粒が床に並んだ。それは部屋の明かりで色が変わる。横から見れば橙色が見えて上から見れば橙と青のセパレートに見える粒や色も、模様も施されていない平たい粒がある。全部の粒の裏は凹凸があった。

「これはおはじき」

 私はその一つを指ではじいてみる。

「こうして遊ぶの」

 はじいたおはじきの一つは、置いてあったもう一つのはじきとぶつかって跳ねた。するとその間に距離が生まれる。その小さな距離の間に横線を慎重に引く。

「これでこのはじいたおはじきを一つもらえるの。この線を引く時に、指がおはじきに当たったり、おはじきがはじきを弾かなきゃ次の人の番になるのよ」

「私もやってみる」

 そうすると、小さな兵隊さんは見よう見まねではじいて、透明のおはじきを追いやった。どれともぶつからない。隊長の番。と、娘は私を指さす。小さな兵隊さんは奮闘する。おはじきをはじき、距離をあけてきちんと線をひけるようにしたり、線を引く時指にあたらないようにして熱中している。子どもの集中力は凄い。おはじきの女王と呼ばれた私をすぐに追い越してしまう。

「よかったら、このおはじきあげる」

 床にまき散らしたおはじきが小さな兵隊さんによって制圧されると、私はおはじきといった昔のおもちゃが入ったアルミ缶を差し出した。

「いいの?」

「おばあちゃんだってその方が喜ぶでしょ」

「だって、おはじきってお菓子じゃん。こんなに食べていいってお母さん太っ腹ぁ」

「食べちゃダメ」

 どこの蛍の墓だ。

「これは何?」

「お手玉」

「これは?」

「ふくらませてみて」

 丸い紙の小さな穴のところにさくらんぼみたく小さな唇があてられる。息を送ると折り畳まれた紙は丸く太っていく。淡い赤や緑、白に色づけられた風船が、手の上にのせられる。それを上げてみて、と娘に手振りを見せると、彼女は嬉しそうに上にはね上げた。宙に舞った紙風船を私はしばらく見上げていた。

 ぽんっ、ぽんっ、と楽しそうに跳ね上げる男の子を昔ずっと見ていた。娘みたいに楽しそうに遊ぶのだ。彼のことを、胸を膨らませて見ていた。私も一緒に遊べたらな、と。

「なんか全部美味しそう。これも食べられるの?」

「全部食べられないって」

 彼女はひとしきり遊ぶと紙風船をつぶして、再び大事そうにアルミ缶にしまった。アルミ缶の中には祖母がつくったであろうお手玉もあった。その中身はきっと小豆だから、これは食べれるかもしれないけれど。

 しげしげとうなづいていると、娘は用意していたあやとりを手に取った。まっ赤な毛糸で作ったあやとりだ。これだけは祖母のものではなく私の物で、捨てるに捨てられなかったものだった。

「じゃ、あやとり教えて」

「あやとりの技のこと?」

 東京タワーとかあるけど。それはどこかの国民的アニメの眼鏡をかけた少年が得意なもののはず。

「二人でやるやつ」‪

 私はあやとりを取って、指にかけたり、とったりして、五芒星を手の中に作った。使い込んでいたから毛糸の柔らかさくなく、あやとりをやりやすくなっている。ゆっくりと手順を娘に見せる。ばつを二つ手の中に作れば二人あやとりの完成だ。これであとはこうすればいい。


「はい、とって」


 既視感のある光景だった。思わず口がほころんでしまう。彼女はどうとるか悩んでいる様子だった。暫くしてしびれをきらして、たおやかな髪を鬱陶しそうに後ろに払った。娘の癖だ。苛立つとよく髪を触ってしまう。そのくせ、髪は大事にしていて切ろうともしない。だから髪は伸びっぱなし。また切らないと。

「わかんない」

 ちょっとからかってやって、私は彼女のそういったぶすっと膨らんだ表情を眺める。あの人とよく似ている。寝ている時は特にそういう顔になる。私よりもあの人に似ている。

「じゃあ、隊長がやるから、今のように編んでみて」

 娘が四苦八苦しながら手に五芒星をつくる。赤い糸を絡めずに上手く作る。そして娘からこういってきた。

「お母さんとって」

 私はその小さな手の中にできた五芒星の中のばつを右手で一つ、左手でもう一つ、親指とひと差し指でとって、上にぐいっと持ち上げた。そこから娘の指からあやとりを外す。すると、私の手の中に今度はばつが下に二つできる。

「分かった! この下のばってんをとるんだ」

「正解。ばつをこうしてとるの」

 それを交互に繰り返す。

 こうしてあやとりをする人なんて、今ではもういないんだろうな。

 私はやっぱり娘の横顔を見つめてしまう。小さな子どもに昔遊びを教える祖母はもうこの家にはいない。私はお手玉の作り方を知らないし、こうしてあやとりをすることも減っていくかもしれない。

 せっかくあの人と出会ったのもあやとりだったのに、ね。


 敬礼!

 彼女はかしこまって、私に頭を下げた。いつもそんなことしないのに、ごっこ遊びとなると娘は真剣になる。

「隊長、今日はありがとう。お礼にとっておきを教えてあげる」

「あら、嬉しい」

「こっち来て」

 玄関に靴を律儀に私と彼女の分を持ってきていた。

 この前、蟻の巣を紹介されて困ってしまったのを思い出した。彼女の感性は独特だ。どこの誰に似たのか。いやいやどう見てもあの人でしょう。あの人、一人でお手玉する人だし。

 家の鍵を閉めて、彼女の手を握り、案内されたままに歩く。小さな手にはあやとりが掛けられていた。かなり気に入ったらしく、赤いあやとりを手放さない。公園手前で立ち止まり、ほらっと彼女がさししめした場所には、白くふわふわした綿毛が飛び交っていた。

 一体には種子を秘めた丸い白が生えている。秋風が凪いで、肌に寒気がしみる。そして一気に湧き上がる白い綿毛の数々。遠くまで種子を運んでいく。空は真っ青で澄み切っている。そこに娘がこうするんだよって一本綿毛の茎を手折り、息を吹きかけた。種子が拡散して、ぬくもりと共に弾ける。辺り一面に白。雪みたいに私達を包み込んだ。私も一本だけとって、息を吹きかけてみる。上昇する種子を見上げる。

「ねぇ、聞いていい? どうしてあやとりなの?」

「……あやとりしてたってお婆ちゃんに聞いたから。お父さんとお母さんが、よくしてたって。だから好きな子と一緒にできるかなって」

 萎れる娘に、ふふっと笑ってしまう。確か、あの人と出会ったのは、あやとりだった。珍しい一人遊びをしているあの人をみたから声をかけたのだ。手をだして、「とって」と。もうあの人は忘れてしまっているけれど。

「好きな子がいるんだぁ」

 私は娘に意地悪な声を出して問い詰めた。

「お父さんには内緒ね。うるっさいし!」

 敬礼!と私は手を警察官みたいに頭に手をかざす。これは娘の見様見真似だ。

 綿毛で視界が覆いつくされる。夕日がそこに差し込み、赤い雪にする。種子を遠くへと風がおいやる。彼女は私に綿毛を渡してきた。

「じゃあ、内緒にするから、またおばあちゃんのおもちゃで遊んであげてね」

「もちろん」

 娘の手にある綿毛を受け取って、ふっと蝋燭を吹き消すように息を強く吹きかけた。綿毛達は風に乗って飛んでいく。どこまでも遠くに。

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あやとり 千羽稲穂 @inaho_rice

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