原始の太陽 ホノー&コーリ
田中ざくれろ
第1話原始の太陽 ホノー&コーリ
燃える様な太陽が原始の荒野を照らしていた。
毛皮のみを身にまとった半裸の少女二人が、恐竜にまたがっているという光景はリアルではないかもしれない。
しかし、二人の少女は荒野に実在している。
私はそれぞれの印象から色黒で赤い短髪の少女を『ホノー』と、色白で黒い長髪の少女を『コーリ』と呼ぶ事にした。彼女達の動作は名が示す通り、情熱的で、クールだった。
体高四メートルほどの春の野原の様な羽毛が全身に生えた小型のT・レックスは、轡をかましたホノーの手綱さばきに従って、草むらが点在する岩だらけの平原を走った。
私の眼線は『タイム・ヴュー』の機械的な補正を受けながら、彼女達を神の視点で観察し続けていた。
その観察は古代を知る為の研究だった。
彼女達が駆る小型のT・レックスが、時間を越えて未来から観察する為の縁起だった。
二十二世紀の私は発掘されたT・レックス頭部の化石から、それに蓄積されている情報の残滓を辿って、その恐竜が生きていた時代を機械的に観察している。恐竜と人類が同在している歴史などありえないはずだったが、もしかしたら私は万が一を見ているのかも知れない。
少女達がまとう毛皮は下半身の腰回りだけを覆う物だった。無防備な性器と肛門を寄生や吸血をする微小生物から守る意味があるのかもしれない。ツンと尖った未発達の胸は晒し出されていた。
ホノーとコーリは二人だけで生活していた。
小型恐竜を狩りし、数少ない高い木の果実を採った。
夜は性的に愛し合った。二人だけが群から外れて生活する理由がそれで解った気がした。
埃がキラキラとした金粉の如く舞う朝。
朝焼けの荒野を小型哺乳類が逃げ惑うのをT・レックスで蹴散らす。
捕らえた何匹かは彼女達の朝食になる。その骨を使って、コーリは住んでいる洞窟の壁に簡単な記号を刻んだ。それは食べた獣の数だと解る。どうやら一対一対応は理解している様だった。
コーリはさらに十数種の記号を使い分けて、壁に刻み、どうやら簡単な言語が出来上がっていく工程を見せてくれた。コーリは壁に細線を重ねて獣の姿を描く事がある。それは巧みだと言えるほどに進化したデッサンだった。
食べた獲物の種類だけ『文字』が出来ていく。
理知的なコーリと違って、ホノーは感情的で運動で自分の存在意義を主張する少女だった。
躍動する身体はまだ幼さを残しながら引き締まって、細いながらもカモシカの様な筋肉のラインが美しかった。
ホノーはT・レックスを駆って剣歯虎に似た獣を狩った。彼女自身の如く細く長いまっすぐな槍が彼女の武器で、それは長い木の柄の先に尖らせた黒曜石の先端があった。剣歯虎の左眼に命中した槍はそのまま脳内に尖端を潜り込ませたが、それでも獲物は生きていて、力強い前脚の爪でホノーの顔を描きむしろうとした。
ホノーは巧みに攻撃を避けて、槍の先端をいっそう強く、頭蓋骨の中へと押し込んだ。さすがにそれで剣歯虎は息絶えたが、ホノーの上半身は返り血で赤く染まった。
ホノーの黒曜石のナイフがや柔らかい獲物の腹を裂き、温かな内蔵が取り出される。
剣歯虎の上半身はT・レックスが噛み砕いた。
洞窟のそばには緑色に縁どられた速い川があった。
ホノーとコーリは二人しての川の水浴びで血を拭った。コーリは恋人の身体を海綿に似た物で拭った。そして、それで自分の垢も清めた。
洞窟の中に常時絶えない様に木や灌木の枝をくべられ続ける焚火があった。それで獲物は肉として解体されて荒荒しい熱い食事となる。その印象は二人とも同じだった。内臓や血まみれの骨、余った獲物はT・レックスの食餌となった。
ホノーとコーリは会話を交わさなかった。二人には喋る為の言語がなかった。二人を詳しく観察するとどうやらテレパシーの様なもので意思疎通をしているのが解った。
まるで一瞬で一斉に魚群を翻す海中の小魚の様な見事な連携が二人にはあった。彼女達が元いた群も同じだったのだろうか。この時代の人間は皆、言葉を交わさず、思念でシンクロしていたのか。私はそれが気になった。もしかしたら言語のない動物達は、彼女達の様に心で連携しているのかもしれない。そんな事を考える気持ちになる。
元に彼女達がいた人間の集団は、互いに意思を一つにした全にして個であるものだったかもしれない。意思疎通によって何の寂しさもなく、喜びを共有し、秘密も嘘もない安心の中にいられたのだ。
そんな群から二人は離れ、自分達だけで生きていく決意をしたのだ。
ある日、私はホノーとコーリに自分の思念を繋いでみた。タイム・ヴューには一方通行だがそれが可能だった。純然たる観察者であるべき私にふさわしくない行為だったのかもしれないが、それをしたくなるほどに私の彼女達に対する愛おしさが募っていたのだ。
心の声を出して呼びかけた。神の視点の観察者である私はとうとう彼女達に干渉してしまった。
「ホノー」「コーリ」
それは確かな声として彼女達が住む荒野に響いた。もしかしたら、世界で初めて放たれた人間の声だったかもしれない。
それは確かに彼女達の耳に届き、コーリとホノーが初めて自分達を呼ぶ声にきょろきょろと動揺した。しかし私はそれ以上、自分の意思を伝えなかった。その彼女達の動作が面白かった。
やがて彼女達の動揺は収まったが、面白い事に彼女達はそれぞれが自分達の名前だという事に気がついた様だった。集団で意思疎通出来た集団にいたならば、それぞれに名前などはなかったかもしれない。全として個としての境界は曖昧で呼ばわらなくても互いはそれぞれであり、個性は名前などに頼らなくても区別がついていただろう、というのが私の考えだ。
コーリは洞窟の壁に自分達二人の顔のデッサンを彫って飾った。それぞれの絵が自分たち二人の名を表わす『言葉』でもあった。恐らく世界で初めて『人物名』が出来上がったのだ。それは文字と呼ぶにはあまりに精緻で複雑なデッサンだった。
それは自分達に名前が出来たという嬉しさの表れだった。
雲は渦を巻いて頭上の空を流れていく。
コーリはある日、川の中の石で足裏を切った。その傷を泥でこすった。
翌日からコーリは熱病に倒れた。
毛皮を敷いた寝床から起き上がれなくなり、全身が震え、光や音に過敏に反応し、それらに怯えて激しく身を反らせる発作に襲われた。その発作は自分の力で自分の背骨を折ってしまいそうな強烈な引きつりだった。
そのコーリと意思を同じくしていたホノーの感情の動揺が私にも解る。
ホノーは必死に看病した。
海綿で汗に濡れた身体を拭き、噛み砕いた果汁や肉や薬草を口移しでコーリに与えた。
しかし病についての知識もなく、改善はなかった。
コーリの口には動物の腱で作った轡が噛まされた。そうでなければ発作で舌を噛み切ってしまいそうだった。
彼女とは違い健康で、しかし、症状を精神的なものとして共有するホノーは、そのパートナーと同じ様に骨が浮く様にやつれていった。
狩りのない日が続いた。
ある朝、陽も昇りきらない内にホノーは洞窟を出た。
洞窟のすぐそばに現れた異形の黒い闇に気づいて出たのであろう事が、私にも解った。
闇がとぐろの様に渦を巻いたそれは実体の肉感を持っていた。しかし、あくまでも本質は生命体ではない、渦巻くドロドロとした闇なのだ。それは五メートルほどの大きさを持ちながら不定形で、まるでこの世界の悪意の煮凝りの如き禍禍しさを放って存在していた。
『穢れ』だ。
穢れは人間の悪意だろう。この世界が創造されて様様な生物が生まれただろうが、嫉妬や欲望とは関係なく、純粋な悪意を持っている生き物など人間以外に思いつかないからだ。
その穢れは『死』でもあった。死神が骨身の姿をとって訪れる如く、穢れは死そのものでもあった。
穢れは飢えていた。
その餌食となるのは洞窟内で病魔に倒れているコーリだと私にも解った。勿論、ホノーは承知の事だ。この世界では人間の死はこうして訪れるのだろう。
同じくやつれたT・レックスにまたがり、ホノーは穢れと戦った。
すると穢れもその恐竜と同じ姿をとった。
T・レックスと同じ姿と戦い方の穢れと、ホノーとその騎竜の戦いは朝日に照らされ、やがて陽は空に昇った。
決着は着かない。
羽毛の生えたT・レックスが巨大な顎に並んだ牙で敵を噛み砕こうとすると、ネガポジ反転した異形の恐竜はすり抜けて逆に噛み返そうとする。尾を突っ張らせた前傾姿勢で二匹の竜は互いの背に回ろうと地煙を立てながら、姿勢を巡らせるが、乾いた砂と緑の灌木をを足跡で踏みならす以外に進展はない。
ホノーはT・レックスにまたがったまま、両手に構えた小槍を何度も穢れに突き立てた。
穢れは血を流さない。ただ傷から軟泥に似た闇を心音に合わせるかの如く、周期的に噴き出した。
戦い、傷つき、T・レックスの羽毛は黒く染まった。
穢れは引き裂かれ、槍を突き立てられ、なお果敢だった。
長時間に渡る戦いに、ホノーとT・レックスに明らかな疲れが表れてきた。防戦一方となり、疲れのない穢れが優位に立っているのは眼に見えていた。
穢れの牙が爪が、T・レックスの羽毛を、肉を切り裂き、黒と血のまだらに帰る。
このままでは穢れの手にかかるのはまずホノーだ。そしてコーリも穢れによって死を迎える。
「ホノー!」「コーリ!」
私の『心』は思わず叫んでいた。
その声はホノーにもコーリにも、そして穢れにも届いた様だ。
ホノーの元気の残り火が燃え上がり、穢れは戸惑い、洞窟の中のコーリは正気を取り戻して震える四肢で懸命に立ち上がった。コーリは硬い石針を手に壁伝いに生まれたばかりの小鹿の如く立ち上がった。
全身に汗をかいている。呼吸も苦しそうに激しい。
それでもコーリは全身の力を振り絞って、焚火に照らされた洞窟の岩壁を石の針で引っかき始めた。
私は彼女が何をしようとしているかを察した。
そして自分が何をすべきかを悟った。
私は『心』でホノーとコーリの精神のつながりに干渉した。二人に声を聞かす事が出来るならそれも叶うはずだと確信していた。
外ではホノーが再びほぼ互角に穢れと戦っていた。しかし、このままでは彼女の命火の蝋燭も短い。それは解っていた。
私はホノーが見ている穢れの姿を、自分の心を中継ぎにして、コーリの頭の中へ伝えた。
コーリは、ホノーが戦っている穢れの形を自分が見ている如く脳裏に浮かべる事が出来た。
石の針が洞窟の壁に穢れの姿を彫り描き始めた。素早く手が動くスケッチだった。デッサンを極めた者だからこそ出来る、線が少なくもその精緻をタッチで再現した、芸術的なスケッチだった。
すぐに穢れの姿が線少なくも完全に絵としてそこに顕現した。それは『穢れ』を意味する原始の『文字』の誕生でもあった。
コーリはそれを石針で引っかいて大きな傷をつけた。死を拒否する様にその文字を消し始めた。
洞窟の外。その瞬間に穢れに決定的な変化が表れた。
かの影のT・レックスは裂けた口から軟泥の如き自分の中身を吐いた。内側より傷ついていた。それはコーリの力が如実にダメージとして効いている証しだった。
写しである文字を書いて、その象徴を操作して本体にも影響を与える。
原初のまじないがここに成立したのだ。
T・レックスが自分と同じ形の穢れの首筋に大きく噛みついた。黒く柔らかい首筋に深く牙が食い込んだ。穢れは弱っていた。ホノーはその眉間に二本の槍を突き立てた。穢れは声もなく、断末魔の恨み言を吐くかの様に大きく口を裂く。
T・レックスの大きな口が閉じ、穢れの頭部と身体を喰いちぎり切った。
宙を飛んだ穢れの首が遠く離れた荒野に落ちる。
穢れの胴体は力なく崩れ落ちた。そのまま、輪郭から力を失い、グズグズと溶け崩れ、地面の上で大きな液だまりになると、霧の様な揮発を始めた。その黒い霧は天上から降り注ぐ太陽光線に当たって、どんどん無力化されていく。それはT・レックスの羽毛からも色が抜けていく事でも明らかだった。
血と汗の戦いは終わった。
見上げる空が青かった。
私はこの世界の二人の少女の生死に関わるほどの大きな干渉をしてしまった。
影響を与えてしまった。もう純然たる観察者ではいられない。
私はタイム・ヴューを切る事に決めた。
洞窟の外にホノーとコーリが立つ。二人ともやつれていたが、数刻前の重症は既になかった。コーリは病が治った様だ。二人して支え合って、立っていた。
洞窟から出たコーリが太陽の下でホノーと熱い口づけを交わした。黒と白の手が握り合わせられ、長い指を絡ませる。
T・レックスは一戦を終え、生えた血まみれの羽毛に自分の顔を埋め、寝る事で疲れ切った身体を休めていた。
私はタイム・ヴューを切った。役割を終える覚悟を決めたのだ。名残惜しさは残る。
しかし切ろうとしたその瞬間、それは起こった。
私の意識は機械的に補正された視点から、ぐっと眼前の光景にのめり込んだ。まるで意識が肉体的脳から剥離した様だ。原始の光景に吸い込まれていく様に私の身体は肉体的な感覚を失い、映画として観ていた如き幻の風景と一体化していく。私の視点は神の座から堕ちた。
現実化。
私は荒野に放り出されていた『穢れ』の切り離された頭部へと吸い込まれていった。黒く渦を巻く様な穢れの一部が自分の肉体となり、その一体化の瞬間に穢れである私の身体は赤く光り輝いた。
黒く渦を巻く穢れである私は、薄だいだい色の水気のある小さな身体へと変転した。
斃された穢れの死は生に反転した。
私は赤子の声で泣いた。それ以外は出来なかった。私は私の意思を持つまま、人間の小さな裸の赤子へと変化していた。私の見ている光景は赤子の視点からの主観、一人称でしかない。
私は赤子の魂となったのだ。
赤子である私の意思は、すぐに駆けつけたホノーとコーリの心のリンクに速やかに組み込まれた。とても温かなつながりだった。
ホノーが私を抱き上げた。コーリは濡れた海綿で私の肌を拭った。
やがて二人は洞窟の中に私を連れ込み、焚火の炎で私を温め、清潔な毛皮でくるんだ。
夜が来て、朝になる。
二人は母の乳房になっていた。
コーリは私のスケッチを洞窟の壁に彫り、ホノーがそれに値する言葉を口に出して叫んだ。
私は原始の地で新しい名前と、それを表わす文字と呼び方を与えられたのだ。彼女達との心のつながりと共に。
生んで育む。少女達が生んだ赤子として、私はホノーとコーリとT・レックスとこれから永い原始を生きていくのだ。
二人の少女が恐竜と共存する、太陽の下の原始の時代を。
原始の太陽 ホノー&コーリ 田中ざくれろ @devodevo
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