その確かさに縋っていたいから
朝の陽射しが夢の世界の終わりを残酷に告げ、意識が地獄に連れ戻された。
彼の横顔を目に焼き付けてから、私は赤い液体が滴るベッドから這い出る。
あんなに愛しかった彼の体温も、首の傷跡を優しく撫でてくれた指の感触も、鼓膜を震わせた言葉の数々も、痕跡すら残さずに消えている。私と彼の間に満たされていた何かは、冬の朝の冷気と、決定的な消失がもたらす静寂によって置換されていた。
固く握りしめた掌に、まだ彼の薬指の欠片が収まっていた。私はそれを、昨晩彼と愛し合った記憶とともに口の中に放り込んだ。舌先で感触をなぞり、彼という存在の残滓が肉片に宿っていることを確認してから、一気に嚥下する。これで私は一個の永遠を手に入れた。
きっと、私の行為は異常と診断されるような類のものなのだろう。殺害相手に記念品を求めるシリアル・キラー、あるいは性的に倒錯したカニバリストとして。
だが、私と彼は確かに愛し合っていた。二人が過ごしてきた時間にはきっと嘘はなくて、二人が交わしてきた言葉には真実があった。
でも私は化け物になってしまったので、これから先も彼のことを想い続けることができるのかどうかは解らない。仕事で殺した相手について何も感じないのと同じように、寄り添い合って生きてきた日々を無価値だと思う時が来るのかもしれない。いや、私が私自身をなんとか騙し続けているだけで、もう私は彼のことを昔のように愛すことができていないのかもしれない。
これまでは当たり前のようにそこにあった不確かなものを、愛という目に視えぬものの実在を、私はもう無邪気に信じることができない。これまで彼が私に囁き、私が彼に返していた言葉の意味が、急に解らなくなってしまった。
だから殺したのだ。
愛が虚構に変わってしまう前に。
その存在の確かさを、私が信じていられるうちに。
この先、私は数えきれないほどの人々を殺していくのだろう。なぜなら私は化け物になってしまった。精神の混沌は次第に致命的に広がっていき、いずれ私は、彼が世界に存在していたことすら忘れていく。
それでも恐怖はなかった。彼がくれた薬指が、きっと私を守ってくれるから。
今、私の内側には彼の愛が確かに実在する。
成れの果ての街の日常 野宮有 @yuuuu_nomiya
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