今日のごはん 異世界変 『塩鮭と豚汁の朝ごはん』

石束

塩鮭と豚汁の朝ごはん

 千年の歴史を誇る魔法王国の王都。至高神を祭る神殿に保管されている『予言書』によれば、この世界のどこかにすでに魔王が生まれているという。

 王国は魔王を打倒すべく勇者を選定し、これを補佐すべき人材として、才能ある騎士や冒険者を募った。褒美として金銀財宝はおろか、望みのままに領地や高位、そして貴重なマジックアイテム与えられ、魔導図書館の閲覧などもを許されるとあって、王国のみならず世界中から腕に覚えの猛者が招請に応じて都に集う。

 まさに千年王国は、その威信をかけ魔王討伐に向けて体制を整えつつあった。

 

 ところが、いざ勇者の出陣という段階で、思わぬ齟齬が起きる。

 王国が選定した勇者を祝福する儀式の直前、儀式を主宰する巫女に至高神が降臨し、託宣を下したのである。


 ――『魔王現るるとも恐れるなかれ。今だ現れざるも勇者あり』と。


 それは希望を告げる託宣であったが、同時に不都合でもあった。王国が選定した勇者が勇者ではないと――偽物であると示すものだったからだ。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「……そのような託宣を受けた巫女を、王国や神殿は人の目の及ばない場所へ、隠すことにして――本来なら一人の巫女として、神殿の意向を受け入れるべき立場で、でも、わたしは」


「姫は、悪くねえよ!」


 少年は――ケンタさんは何度も、そういってくれた。けれど。


「でも、わたしは……」


 フィアーネは今でも、何が正しかったのか、わからない。


 昨日までの上司や同僚が自分を捕らえようとし、友達だと思っていた巫女たちも敵に回り、街の人たちも勇者や王太子の方を信じた。


 自分の受けた託宣は、天啓は間違いだったのだと認めて、王国の体制を盤石のものとすべく、ふるまうべきだったのかもしれない。そんなことを考えた。


『偽宣の巫女』として自分一人が罪を負うことで、世界が救われるなら、それが「正解」だったのではないか? その運命から、怖さや心細さや悔しさから、逃げてしまったのは自分の身勝手ではなかったか。そんな風に思った。


 もはや王都にも王国にも、彼女の居場所はない。昼夜を問わず襲い掛かる追っ手から逃れるべく、冒険者すら二の足を踏む『死の荒野』へと足を踏みいれた。

 通りすがりの、追われている彼女をたまたま助けただけの少年を道連れにして――否。巻き添えにして。

 そんな罪に罪を重ねるような道行きを、自分の正しさを疑いながら歩いてきた。

 でも――それでも、なお。歩みを止めなかったのは――

「あの勇者と討伐軍が魔王を打倒できるなら、いいのです」

 だが、もし。――もしも、天啓をないがしろにして、本当の勇者を探さなかったことで、王国軍の魔王討伐が失敗したら、世界はどうなってしまうのか。

 それだけは、だめだ。

 至高神の託宣を受けた巫女として、そんな終末は断じて認めてはならない。

 

「おのが無力を承知で、わたしは真の勇者を探すために旅立ちました」

 隣に座り、震える彼女の手をしっかり握ってくれている少年の存在だけを、たった一つのよるべとして――彼女は今こそ顔を上げる。

 勇者を見出し、今は不明である魔王の所在を突き止める。そこで王国と連係できるかどうかわからない。だが、

「それでも、わたしは――世界を守りたいのです」

 たとえ、それが誰にも認められず、ただ一片の賞賛もなく、たった一人の道行きになったとしても。

 その道行きの何処かで、自分が果てたとしても。彼女は征かねばならない。


 きれいな姿勢で正座する彼らの前。集落を束ねる長老――少年が『じっちゃん』と慕う老爺が端然と坐し「ふむ……」と少女の言葉に頷いた。


 玄関を入り三和土を上がってすぐ。白い障子を朝日が明るく透かしとおる居間。

 卓袱台というにはいささか厚みも広さもある卓を挟んでの朝食時。

 目の前には、陶器の皿に塩じゃけ、丹塗りの椀には具沢山の豚汁がある。

 ごはんが三角形のおむすびなのは、箸が苦手な彼女のために少年が朝から握ってくれたから。

「……」

 ふわり。と優しい香りがして、フィアーネは昨夜のことを思い出した。


 昨夜、少年の帰郷とともに訪れた彼女を、村人たちは温かく迎えてくれた。折よく村祭りの日が近く、一番のごちそうと少年が言っていた『ちらしずし』なる食べ物を前倒しで振る舞ってくれた。

 それを、一口ほおばった瞬間。

 少年の「おむすび」でごはんに目覚めていた少女は、めまいするほどの喜びを覚えた。巫女として一人で味わうのは恐れ多いと、小皿に分けて神殿の方向へお供えし至高神に祈りささげたほどだった。

 二人で枯れ谷に行って、サケとクマを協力して仕留めたのだと自慢する彼のとなりで、大して役に立った自覚もなかった彼女は面映ゆく。そんな彼女に村人たちが話しかけてきた。討伐の様子を尋ねたり、あるいはちらしずしのどの具材を自分がとってきて、それにはどんな苦労があってと、代わる代わる話しかけてくれた。

 目の前の長老もその一人だ。

 ちらしずしにおける米の重要性を、ちょっとお酒が入って赤くなった顔で説明し、美味しいごはんの炊き方を教えてくれた。

 こちらの熱心な様子を気にいってくれたのか、

「健太の嫁云々はどうでもいいから、うちの孫になりなさい」

といってもらえた時に溢れかけた感情を、まだ彼女は言葉にできない。

 そして。少年が旅程を伸ばしてまで、無理に枯れ谷に行ったのは……行ってくれたのはきっと、自分をこんな風に村人の輪の中に入れるためだったのだ。

 ――そう気が付いて、彼女は後でこっそり、結局、少しだけまた泣いた。


 だから、話すのは「今しかない」と思った。

 この久しぶりに、いや生まれて初めて感じた温かさに、おぼれきってしまう前に使命の旅へと赴かねばならぬと思ったのだ。

 口を一文字に引き結んで俯く彼女に代わって、少年が口を開いた。

「じっちゃん。なんか知ってる事があったら、教えてくんないか」

 老人は目を伏せて、うめくようにいった。

「山ほどもある巨大な黄金の竜。……か」

 それが、予言書に記された今代の魔王。王国の情報網もまだその姿を捕らえていない。いずれかに潜んでいるのか。休眠状態か、それとも人跡まれな辺境にいるのか。

 少年が死の荒野を越えてきたと聞いた時から、まずここで情報を集めようと彼らは相談していたのだが——

「……知っておる、といえば、なんとする?」

「ええっ!」と少年が立ち上がりかけ――老人に視線で制止されまた座った。


「健太が知らぬのも無理はない。もう十年以上前じゃ。村人総出で三日三晩戦ったが倒すに至らず、なんとか森向こうの山まで、追い払った」

 え、と少年が声を漏らして目を見開く。

「村のみんなが総出で、追い払うだけって……ウソだろ」

 それは驚くべきことだった。千年王国が国家を挙げて挑もうとしている戦いに、こんな小さな村が先んじて挑み――勝ったといわないまでも引き分けた、というのだ。

 それが本当なら、偉業といってよい。だが――

「だめ……なんてこと」

 託宣の巫女たる彼女は衝撃のあまり、よろめいた。その肩を少年が支える。

「魔王には恐ろしい能力があるのです! 存在を脅かされると体から種子を放ち、周囲にまき散らすのです!」

 そうして『拡散する種子』はやがて本体を守るための小型竜となり、あるいは種子の状態で他の動物や魔物が食べれば強大な変異種となる。

 存在するだけで、魔獣を強化するもの。魔獣の王。

 予言書に魔王が魔王と詠われる所以こそが、それだった。

 竜は怒りを忘れない。やがて巨大な群れを率いて帰ってくる!

 山津波のようなスタンピートが発生し、怒涛となって王国へ襲い掛かる。


 もし、そんなことになったら、一番最初に犠牲になるのは――


「くそっ」と立ち上がった少年を、老人は「狼狽えるな」と、一喝した。

「お前ひとりでなにができる!」

 その真正面からの問いかけに。

 健太はまっすぐ老人の貌を見つめて、言った。

「それでも、俺は! フィアーネを助けるって、決めたんだ!」

 わずか半年、それなのに――少年は一人の男の顔をしていた。

 

「慌てるな」と老人は深いため息をついて苦笑した。

 全く誰に似たのか。

 若衆か、やんちゃ盛りの悪童どもか。そして、いたずら好きの魔女に、彼らの元締めたる居酒屋の主、寛治。

 ――一度、子供らの教育について説教してやらねばなるまい。だが。

「いつか、この日が来ると思っておった。……頃合いかもしれぬな」

 老人の貌にもまた、決意の焔が立っていた。


 にしても。と老人は食卓の椀を覗き込んだ。


「種子とやらは、一粒残らず回収したはずだったが、漏れがあったようじゃの。ヤツが現れてしばらく森の大根やナスが妙に手ごわかったのはこれが原因だったのか」

 何気ない老人の言葉に、フィアーネは顔を挙げた。

「種子を回収した」と今、老人は言わなかったか!

 であれば、実物を見れば何かわかるかもしれない。自分がわからなくても、密かに都にもどり、信頼できる友に分析を頼めば、あるいは、何か突破口がみつかるかもしれない! どこかに保管、いや封印されているとしたら!


「教えてください!おじい様。黄金竜の種子はいったいどこに!」


 老人は一瞬瞑目した。そして少女の目を真っすぐに見た。


「大変申し上げにくいことで、できれば言わずにすませたかったのだが」


 こうなっては是非もない、と老人は背筋を伸ばした。

 そして「フィアーネさん」と少女の顔を真っすぐみて、言った。


「前回収穫分は、あんたが食べているおむすびで最後じゃ」









「……………………………………は?」


 自分に饗ぜられた最高の食卓。

 そして何より大好きな白おむすびを見た。そして、


 ―――――彼女は猛然とおむすびに食らいついた。

 

 はぐ。はぐはぐ。はぐはぐはぐはぐ。


 彼女は思った。

 食べねば。頭が理解するまでに、このおむすびを食べてしまわねば!


 ―――――よし。食べた。


 ケンタが渡してくれたほうじ茶を飲む。


「はふ」


 間に合った。満足した。今日も彼のおむすびはおいしかった。


 さて――事態に理解が追いつくのはこれからだ。




 完

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