セカイ、ひとりのために

柳なつき

タネが降る

 植物園のような、女子校の中庭。


 伝統あるミッション系お嬢さま学校として知られるこの学園だが、いまはその伝統というものを試されている時代だった――その証拠に、この中庭にも、いまや綿毛に似たものがいくつもふわふわ浮かんでいる。

 不自然なほどに、雪降る日のように。



 それらは、タネだ。



 中庭のベンチに、膝を並べて座る女子がふたり。

 この学園のトレードマークでもある、貞淑なブラックワンピースの制服を、それぞれで着て――。



 高等部一年のカレンはおにぎりを食べていた。高等部二年のユメミはそんなカレンをまじまじと見つめながら、ときたま思い出したかのようにエネルギークッキーをかじっていた。


 カレンは甘えるかのようにユメミをちらりと見る。


「すっごい、見てきますよね。先輩って」

「カレンちゃんは今日も可憐だなと思ったのだ」

「いやです、もう、先輩ったら」


 カレンは軽く受け流すふりをしながらも、満更ではなかった――偉大なる先輩、トオクノ・ユメミは、なぜかカレンのことをすごく気に入ってくれている。


 

 カレンの、金髪のストレートなロング。ユメミの、黒くてすこし癖のある、どこにいたってその存在を主張するボブ。

 カレンの、青い瞳。ユメミの、なにもかもをお見通しみたいな、漆黒の瞳。


 ふたつが並ぶことは、もはや日常となっていた。



 ユメミの評判ったらすごい。成績優秀、容姿端麗、文武両道、とにかく、なんでもかんでも。学校の垂れ幕にだってなんどもなんども名前が書かれている。

 なんだかよくわからない技術開発の賞だって、小学生くらいのときから取り続けているらしい。

 変態、らしい、という噂もあったけれど、それさえ名誉のスパイスだとカレンは思う。


 カレンったら平凡だ。自分で認めるのも哀しいけれど、でも事実なのだ。

 とっても、とっても、普通の女の子。



 でも、だってもちろん、気に入ってもらえて悪い気はしない。




「今日は、またよくタネが飛ぶな」


 ユメミが空を見上げて言って、カレンはハッと意識を目の前の先輩に戻した。


「カレンちゃんは、タネはつくらないのか」

「うーん、なんかちょっとそんな気になれないっていうか……親も、先生も、早くやれやれって言うんですけど」

「遺伝子情報を残すのは人類の義務だ」

「そうなんですよねえ」


 おにぎり、最後のひとくち。ぱくついて、もぐもぐする。ごくりと飲み込み終わって、うん、おいしかった。


「先輩は、もうやるって決めたんですか?」

「ああ、私は、もちろん」


 鼻先を、タネがかすめていった。なんてことないたんぽぽの綿毛にでも見える、このタネにだって、だれかひとりの遺伝子情報がまるごと乗っている。しかるべき装置に当てはめれば、そのままひとりの人間が再生――いや、創成できる。


「優秀なひとや、才能あるひとが自分の遺伝子情報をそうやってタネにして残すのはわかるんですけど、わたしが、何人いたところで。とか思っちゃうんです。先輩みたいに価値ある人間でもないし――」

「カレンちゃんは価値ある人間だ」


 ユメミは、カレンの拳を包み込むようにしっかと握った。


「カレンちゃんの遺伝子情報は残すべきだ。この地球上には、人類の保険として。宇宙空間には、新たなる惑星植民の可能性として。この私が保証する。だからカレンちゃんどうか、自分が価値ないなんて思わないでくれ」

「先輩」


 いつも、ふしぎだ。このひとは、どうして。ここまでしてくれるのか、ここまで言ってくれるのか。こんな普通なカレンに――。


 カレンは小さな子どもみたいに甘えた上目遣いをした。


「どうして、カレンのこと、そこまで褒めてくれるの?」

「変態だからさ」



 答えになってない気もした――でも先輩の宇宙の色をした瞳が穏やかにカレンを見つめていたから、……まあいいや、とカレンは思ってしまったのだった。




「先輩って、変だけど、優しいですよね」



 ユメミは、カレンの背中をぽんぽんしてくれる。





 そうして。

 ユメミに背中を押されたことで、カレンはけっきょく、自身の遺伝子情報をタネ化することにした――この世界でいま当たり前のこととして、やるべきこととして、推奨されている通りに。



 寝る前、ベッドのなかでカレンは想像した。


 ……タネ化した、ってことは。

 たとえばどこかの地面に着地した瞬間、それは自分自身の裸体そのものとなるのだろうか。


 それは不思議な空想だった。



 そして、カレンが自身の情報タネ化に、同意した翌日。

 カレンの住む街は、滅んだのだった。




 昨日までなんの変哲もなかったこの街は、いまや壊滅。

 ひとのすがたはカレン以外になく、死体と瓦礫のなかを、カレンは右足を引きずって歩いているのだった。



 タネも、死滅してしまったのか。もう、降ってはいない。



「……どうして」


 涙が、止まらない。泣いてたってしょうがない、わかっているけれど、もうなにがなんだかわからなくて。


 カレンは右足を負傷していた。今朝の爆発があったとき、お母さんと弟をかばったときの怪我だ。

 でもまもなく家族はみんな死んでしまった。お母さんも、お父さんも、弟も、まだ小さかった妹も。よくわからないうちに死んでしまった。

 やがて、異臭がして。まるで致死性の高い薬品を嗅いだかのように――眠りにつくかのように、みんなみんな、死んでしまった。


 どうして、カレンだけが異臭を嗅いでも死ななかったのだろうか。


 カレンもその場に残りたかった。家族のみんなといっしょにいたかった。でも、さらなる爆発が起こって、家は崩壊して――そのときに強烈に感じた死にたくないという感情が、カレンを動かしたのだった。



「だれか……」



 カレンは、小さな子どものように言っていた。



「だれか!」

「――カレンちゃんじゃないか」



 振り向くと。

 ユメミが、そこに立っていた。

 いつも通りの制服すがたで――。



 驚きの、あとには。

 絶望の心に染みわたるかのような、歓びがやってきた。生きていたひとが、いたんだ、それも自分の親しいひとで――!



「先輩! 生きてたんですね!」



 カレンは、ユメミに向かって駆け寄った。子犬のように。

 ユメミは先輩らしい包容力のある笑みを見せ、全身でカレンを受け止めた。



 カレンはユメミの胸で泣きじゃくる。



「先輩、先輩、よかった、よかったです。わた、わたし、世界でひとりだけになっちゃったかもって……いきなりのことすぎて、こんな、急に……なにもわからなくて……」

「そうだよねえ。なにもわからないだろう。……わかるよ」



 ユメミは、カレンの背中を優しく撫でた。



「カレンちゃん。もしかして、足を怪我した? さきほど、足を引きずっていた」

「はい……お母さんと、弟を、助けようとして。でも……」

「そうか。かわいそうに。いっしょに行こう。……あれに乗って行こうか」



 ユメミが指さしたのは、その背後に置かれている、透明なボックスのような大きめの装置だった。移動用マシンだろうか。ふたりならばぎりぎり入れる大きさのボックスに、車輪がついている。



「先輩、もしかして、わたしのために用意してくれたんですか……」

「うん。足を怪我しているのなら、なおさらだ。……早く乗っていこう」



 カレンはこくんとうなずくと、素直にそのボックスのなかに乗り込んだ。右足が痛くてうまく乗れないのを、ユメミが手伝ってくれる。そのままユメミもいっしょに乗るのだろうと思っていたが、そうはせず、外から、がちゃんと鍵をかけた。……ユメミはほかの手段で移動していくのだろうか?



「先輩?」



 カレンは、両手の手のひらをボックスの表面に当てた。ガラス越しの先輩は、笑っている。ふんわりと。柔らかく。いつも通り、いや――いつもとは違う。カレンにはうまく言えないけれど、なにかが、違う。




 その瞬間だった。ボックスのガラスは下に引っ込み、蛇のような腕のような黒光りする拘束装置が、カレンの腹と腕と足に絡みついて、その身体を無理やりバンザイするような格好に変えた。赤ちゃんがおむつを替えるときにそうされるような、犬が降参するときにそうするかのような。


 車輪も引っ込み、地面に爪を立てるかのように変形した。



 瓦礫だらけの崩壊したこの街の路上だったところで、青空のもと、カレンは拘束装置に拘束されるがままの存在になっていた。



「……え?」

「うまくいった。これで安心だ」



 ユメミは、ぴっかりと笑っていた。



「私ね、変態なんだよ。知ってるよね。言ったもんね。だからほんとはカレンちゃんに出会ったときからずっとカレンちゃんを好きなように弄びたくってさ」

「……え」

「でもね私は交わったあとそいつをいろんな方法で殺人しちゃうのが好きでね、ははは。そうじゃないと興奮しない。でもカレンちゃんはこの世にひとりしかいないし、困ってしまってな。だから遺伝子タネ技術を開発したのだ」

「先輩が開発したんですか?」

「私は天才だからな」


 えっへん、とユメミは胸を張る。


「カレンちゃんを無限生産できるのならば、無限にぶち犯して無限にぶち殺したってなんら問題ないと、気づいたのだ!」

「……先輩、先輩、なにを」

「私はこの街の廃墟で永遠にカレンちゃんたちを犯しまくるのだ、ぐふふ」

「先輩の、せいですか、こんなの」

「そうだが? この街は邪魔なのでカレンちゃん以外は滅んでもらった」

「そんな、そんなの、社会が、世間が、許さない。いずれ助けが」

「この街にはずいぶん前から次元バリアを張ってある。もう外部の人間はこの街はとっくのむかしに存在ごと消えたと思っているよ」



 ユメミは、空を見上げた。まるでいつもの通りに、眩しそうに、目を細めて。



「カレンちゃん、オリジナルのカレンちゃん」



 ユメミの冷たい手が、カレンのあご、首もとを撫でた。

 ……右足の怪我がこんなときに強烈に痛むのはどうしてなのだろう。



「もうすぐ、カレンちゃんたちが降ってくるよ」



 ふわり、と見えた。

 ふわり、ふわりと。


 たんぽぽの綿毛のような命のもとが、なすすべもなく落下してきている。カレンにはもう、どうしようもない、……カレンたち。

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