拡散する種

枕木きのこ

拡散する種

「あなたの子どもだから、認知してほしい」


 三十を過ぎて、こんなセリフを言われることになるとは思っていなかった。

 これまでの人生で、女性から言い寄られることは何度かあったが、幼いころのそう言った取り巻きたちからのトラウマのせいで女性との交際をしたことはなかった——、というより、男性のほうを好む性癖を持っていたために、年齢に関係なく、こんなセリフを言われる筋合いや見当はまるでなく、狼狽はありありと相手に提示される。


 ましてや、私はこの女性のことを見たことがない。


 コンビニを出るなり、いきなりこんなことを言われたのだから、私の驚きたるや筆舌に尽くしがたい。店内からも、女性のこのようなセリフがまさか聞こえたわけでもあるまいに、立ち読みをしていた数人の客がこちらへと視線の向きを変えたのがわかる。


「や、やめてください」


 私は振り絞るようにそう言葉にした。


「やめるも何も、事実を述べているだけです」


 胸に抱えた赤子は眠気に勝てないらしく、両手を中空へ伸ばし、さまよわせている。口を何度も開閉し、そのたびにちゅぱちゅぱと音が鳴る。


 空はどこまでもすがすがしいほどに明るく、太陽は痛いほどに照り付けてくる。

 ——本当に、こんなセリフの似合わない、なんてことのない休日のはずなのに。


「間違いなく、あなたの子どもです」


「——わ、わかりましたよ」私はコンビニ袋をがさがさと鳴らしながら、強気な口調を意識してずいと身を詰めた。「あなた、そうやって赤子を抱いてあちこちで同じことを繰り返しているんでしょう。認知自体は目的じゃなくて、示談金かなにかを請求するつもりでしょう。当たり屋とか、痴漢冤罪と同じやり口だ。そうに違いない!」


「——馬鹿なことを言わないで」女は毅然とした表情で私を睨んだ。「この子は間違いなくあなたの子ども。場当たり的じゃないことを証明しましょうか?」

 

 そう言うと、女は私の名前や生年月日、出身地などをそらんじた。対象者リストか何かを暗記してきたのだとしても——、いや、そんなことは関係がない。彼女の網膜に特殊なスキャン機能が備わっていない限り——、もしくは彼女自身が世界中のネットワークとつながったAIでもない限り、たしかに確実に「私」個人を特定し、認識し、やってきたことは、これで間違いがなくなった。そもそも、AIは子どもを産まないし、詐欺もしない。


 私はいよいよ立場が悪くなった。

 立ち読み客たちも私たちのほうをじっと見ている。コンビニ店員が、警察を呼ぶべきか否か、悩んでいる様子で首を前後させている。通行人の目も痛い。

 買ったばかりのアイスも溶けてしまう。


 ——背に腹は代えられない。


 私はいくらかの金を財布から抜き取り、赤子の上に押し付けるようにして放ると、その場を走って逃げだした。


 ■


 帰宅し、卓也にそのことを告げると、彼は怒りをあらわにした。

「僕がいながら、女と子どもを作るなんてありえない!」


 ——この場合の「ありえない」は、私に対する非難ではない。


 これまでに女性経験がなく、絶対的にそんなことはありえないはずだった。

 しかし、こうして痴漢冤罪同様、周囲の目や、相手の威圧に対して、屈してしまう男性が世の中には多くいるのだろう。


 軽い事故に遭ったと思えば——、払った四万円も、少ないほうだろう。

 私はそうして自分を慰め、卓也を慰めた。




 ■


「成功したよー」

「あ、ほんと? やったじゃん」


 赤子を抱き、四万円をちらつかせながら、女は対面する白衣の男に声を掛けた。


「——どれだけアプローチしても、彼ってば全然振り向かないどころか、あの様子じゃ、私のことなんて覚えてなかったんだろうな」


 そして中学時代、彼と過ごした日々を思い返す。


 ずっと忘れられずにいた。それを、一年前偶然街で見かけ、ストーキングするようになった。何度かは偶然を装って声を掛けてみたりもした。


 彼の行く先々、あとを追い続けた——。


 その中で、ある喫茶店で、女は彼の「遺伝子情報」を手に入れた。




「彼の子どもも手に入ったし、お金まで払ってもらえた。もう、彼本人が手に入らないことはわかったから、私にはこれで十分」


 女は、くつくつと笑い声を立てた。

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