U ターン

あんどこいぢ

U ターン

 ネレイド・プリンセスは四星系共同ステーション五〇〇への最終アプローチに入った。減速、姿勢制御のレスポンスの音がコツン、コツンと響く。ステーションの向こう側に、長い卵型のタンクの束が視える。船長の佐那は自分の船の名前ではなく、他の船の名前を引き合いにに出し、その事態をこう表現した。

「ネレイドⅢと同型の船がいる」

 空かさず彼女の船のメインコンピューターが応じる。

「ユウナ・コミネ船長のコッペパンですね。ネレイドⅢよりだいぶお姉さんです」

「じゃ、あんたよりもだいぶ。でも綺麗な船……」

 ネレイドⅢも佐那のネレイド・プリンセスも、軍の補給船だった頃の濃いグレーの塗装のままなのだった。しかしその船はかぎりなく白に近い薄茶色。確かにあまり焼き色をつけていないパンの色だ。

 船内には先ほどから、若い男の声も響いている。共同ステーションの管制官の声だ。

「いいぞ、ネレイド・プリンセス。でも慎重に──」

「了解」

 いまだに男性中心の社会だ。荒くれ者たちが中心になった初期開拓時代に、いったんその面での人類の進歩はリセットされたのだった。というわけで、ステーションの管制官が男性で、それにアプローチをかける船の船長が女性というのは、多少珍しい取り合わせだった。佐那も女の癖に的な物いいをされることが多い。だが今回のこの管制官は──。

「お見ごと! ネレイド・プリンセス! オール・グリーン!」

 スターシップのドッキングとなると、なにかあった場合弾き飛ばされるのはステーションのほうだということにもなりかねない。彼らも気苦労が多いのだろう。

 そんな男性管制官の態度に気をよくして、佐那は多少めかし込んでステーション内へ入った。気楽な白のワンピースなのだが、スカート姿はなん年ぶりだろう。

 髪もポニーテールにした。もう四十の大台だったが、いまや星間航行時代、アンチエイジング技術もそれなりなものだ。そこにいわゆるウラシマ効果による若さが加わる。まだまだイケている。

 とはいえステーションのラウンジに入ると、むくつけきロケットメンたちのあいだでのこの装いには躊躇いが生じた。

 さいわいカウンター席に一人女性の先客がいたので、彼女の隣りに一つ分席を空け、かけた。ただそこで日系オヤジ風の地が出てしまった。

「とりあえずビール」

 そのビール自体は洒落た細身のグラスに注がれ出てきたのだが……。

 さて、隣りの女にどう話しかけようかと考えあぐねていると、彼女のほうから笑みをむけ、話しかけてきた。

「あなた凄いのね。さっきのアプローチ、窓からずっと観てた」

「えっ? ああ、どうも……」

 もうそれだけで打ち解け合ってしまった。

 伊達だろうか? 彼女はガラスの眼鏡をかけている。ブラウスには桜の花が散らされているし、スカートも水色のフレアで、どこか文学少女染みている。彼女がアプローチの話を続ける。

「私はダメね。なん年やっても上手くならないの。ここの管制官のひとにもドッキング・モジュールの寿命が一年縮んだななんて、嫌味いわれちゃった」

「ひどいっ。私の担当はいいひとだったけど、同じひとかな?」

「うん。たぶんね。あなたのアプローチは完璧だったもの。ほんと感心しちゃった」

 そしてお互いの船の話題になった。そこでなんと、佐那ではなくてその女が、こんなことを口にした。

「巡回補給ミッションの帰り? あなたの船、ネレイドⅢと同型の船ね? ごちゃごちゃタンクがついてて扱い難い船なのに、さっきのアプローチ、ほんとに凄かった」

 早くも三度目の誉め言葉だったが、佐那の注意は一瞬でそのことからはふっ飛んでしまった。

「ネレイドⅢ? ネレイドⅢをご存じなんですか?」

「もちろん。私、あの船の船長、安部博己の奥さんなんだから」

「えっ? 奥さんって、えっ? あっ?」

 あとで思い出せば耳の先まで真っ赤になってしまうような動揺をたっぷり晒してしまった。

 これは飲み直さなければならないという話になり、結果、問題の女の船、コッペパンのリビングへと招待されることになった。絨毯を敷かれた洋間だったが、丸い座卓にフロアクッション、やはりジャパニーズ・スタイルなのだ。ヒト型インターフェイスは使っていないようだ。

 抹茶が練り込まれた手製のパンが出された。ちなみにコッペパンもああ見えて実は日本発のパンだ。そして飲み物は……。もてなし側の彼女が訊ねる。

「お飲み物はコーヒーでいい?」

「あっ、ええ。済みません」

 女は優雅に、脚を流して座った。

「あなたも楽にして」

 佐那もそれに倣う。前の女子会では? 学生時代の先輩、そしてそのインターフェイスと車座になっての酒宴だった。ヒトの女は揃いも揃って、胡坐を掻いて座った。

 もてなし側の女が訊いてきた。

「どう? 私もうこのお仕事辞めて、新しくパン屋さんでも始めようかなって思ってるんだけど……」

「凄く美味しいです。でも……。お仕事辞めちゃうって、Uターンですか?」

「そうね。正確にはJターンってとこかな? ダフネaにマイホーム用にはちょっと広すぎるような土地、買ってあるの。一階を工房と売店にして、庭でプチトマトとかベリー類とか作ったりして……」

 佐那は思う。このひとも出身はダフネbなのかな? 星系のさらに内側を廻るダフネaは、最近ようやく惑星改造が終わり、入植が始まったところだ。とはいえ……。本当に訊きたいことはほかにあるのだが、佐那はまだ、その点に斬り込んで行くことができない。

「お仕事辞めちゃうって……」

「うん。フロンティアの空気に当てられちゃったのかな? あなたは? この航路の終着点には なん回?」

「いえ。エンプレス・ランディングの先の、ちょうどこれぐらいのステーションまでです」

「そう。この航路の終着点はステーション九〇〇辺りなんだけど、そのさらに先に各星系の観測基地があるのね。リダ星系の基地がそのなかでも特に曖昧領域に突出してて、バルジをぐっと廻り込んでる感じで……。あそこがほんとのフロンティアかな……」

「怖いとこなんですか? やっぱ」

「べつに怖いってことはないけど、なんかね、もういいかなって感じにはなっちゃうのよね、大抵のひとは……。あの辺であんなに元気に飛び廻ってるのは、ネレイドⅢぐらいかな?」

 どうやら彼女のほうから、佐那がいま気になっていてしょうがない話題に、寄ってきてくれそうだった。

 佐那としては、ゴクッと生唾を飲み込みたい気分だった。女がコーヒーのお代わりを勧めてくる。

「それじゃ遠慮なく……」

 ぺこりと頭を下げ、その勧めにしたがう。それを一口啜って顔を上げると、女がニコッと微笑みかけてくる。

「ダフネaでお店やりながらね、彼のこと待ってようかなって思ってるんだけど、でもあまり重く考えないでね。べつに私だけが、彼の妻ってわけじゃないんだから……」

 ちょっと痛い話になるのだろうか? 女の表情からすると、とてもそのようには考えられないのだが……。

「あなただって知ってるでしょ? 四星系共同政府のフロンティアでの方針は、産めよ増えよ地に満ちよで、このいて腕でも先のほうへ行くと、植民者同士のあいだでの重婚が認められているのよ。リダ星系の基地なんてそれこそ乱交状態で……。もっともそれじゃただのセフレになっちゃって、共同政府の意図が実現されてるとはいえないんだけど……」

 女の表情はあくまで軽い。そしてそこで、佐那にとって、驚愕の提案がなされることになった。

「そうだ。あなたも彼と結婚しちゃいなさいよ。彼のこと、気になってるんでしょ?」

「えっ? なにっ? 結婚って? 嫌ですっ。それにそんなっ、こんなとこでっ? 勝手にっ?」

「大丈夫よ。彼からパートナーの紹介枠、たっぷり五人分もらってるから。ちょっと待ってて」

 彼女は一旦奥へ消えると、プレート型の端末を持って帰ってきた。

「えっと、入力事項は普通の婚姻届けと同じね。音声入力でもいいんだけど、これに手動で打ち込んでくれれば、打ち込んだ文字は黒丸表示になって、私にも読めなくなるから──」

「ちょっ、ちょっと待ってっ。結婚ってそんなっ。それにあなたは、いいんですかっ? 彼のこと故郷でパン屋さんしながら、待ってるつもりなんでしょっ?」

「ええ。だから彼に会ったとき、ついでにそのことも伝えておいてね。あと、私の紹介枠だってこともちゃんとアピールしといて」

 一瞬のパニックが去ると、なんだか腹が立ってきた。

 パートナーの紹介枠? たっぷり五人分?

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