もうひとつ
「……はい、ここの名物の焼きそば。これでも食べてよっか」
章から手渡された焼きそばのパックを受け取りながら、少しだけ不満顔をしてみる。
「いいけど、今日の晩ごはんこれだけじゃないでしょうね?」
「良美にいいとこ見せに来てんだもん。これだけでは終わらせないよ」
章はそう言ってニコッと笑う。
まったく、人の気も知らないで……。
川崎競馬場のスタンドに腰を降ろしたわたしたちは、焼きそばのパックを開く。
章と付き合って6年。一緒に暮らしてもう3年。
なんか最近はズルズル来てるだけって感じもしてきてる。
ふたりとも馬が好きで競馬も好きで付き合うことになって、なんだか流れで一緒に暮らしてるけど。
なんだか、ずっとこのままなのかなって気もするんだよね。
今日は鎌倉記念だからってふたりして見に来てるけど、今日がなんの日か、きっと章は忘れてるな……。
「うわぁ!今日は一段と辛いね!」
焼きそばを口に運び、あまりの辛さに思わず声が出る。
「このくらい辛くないと川崎名物とは言えないよ」
章は余裕な顔して焼きそばを頬張る。わたしも負けじと口に運ぶけど。
胡椒がガツンと効いた焼きそばは結構辛くて、食べ切るには時間がかかりそう。
せめてタンメンにしてくれたら良かったのに。
やっとのことで焼きそばを食べ終えたわたしと、余裕で食べきってコロッケまで頬張ってる章。
ふたりして競馬新聞を開く。
出走馬たちがパドックに出てくるまで、まだ1時間くらい。
他のレースには目もくれず、メインレースの馬柱を食い入るように見つめる。
「で、どうなの?」
章が口を開く。
「どうって、なにがよ」
「なにがって、良美の推しはどんな感じ?」
見ればわかるでしょと言わんばかりに、わたしは新聞の馬柱を指差す。
8枠10番、ライゾマティクス。11頭立ての7番人気。
予想の印はスッカスカ。
これにわたしはムカついてた。
「一度負けたぐらいでこれはないじゃんねぇ……」
それまで3連勝してたのに、前走で負けたからって一気に評価が下がってる。
あれから鍛え直してるかもしれないのに。
「まあ、浦和の馬ってのもあるよなぁ」
章が同情したような口ぶりで続ける。
「浦和でいくら強くても、他と当たるとさっぱりって事もよくある事だったからさ。血統もよくわからない仔だし評価が決まらないのかもなあ」
「よくわからないって何だよ。てめえらが持ってるスマホで近親調べてみなよって言いたいよね」
「おお怖い。良美はライゾマくんの事になると熱いねぇ」
それはそうだ。
毎日のように見てるネットの番組でライゾマティクスが生まれた時から見てんだもん。
お母さんの姉にすんごく強いのがいるってことも、お母さんが花嫁道具持たされて日本に来たこともその番組で教えてもらって。
生まれてすぐにれぜおって名前で呼ばれてて。
同じ牧場で生まれた仔っこたちの長男坊みたいに仲間をまとめてて。
牧場の人もすごく期待してるって言ってて。
セリで二千万の値段で売れて浦和のいい厩舎に入って。
そういうの全部知ってるから推せるんじゃないか。
競馬場で上っ面しか見てない連中とは違うんだ。
……とは言えない、か。
「仔馬のときからいい仔だったからさ。なんとか結果出してほしいじゃん」
「そうだよなぁ。小さい時を知ってるってのは大きいよな」
「生まれた時からだよ」
「……そっか。じゃあ何がなんでも買わなきゃな。ライゾマくんの馬券買ってくるよ」
章はそう言って席を立とうとする。
その腕を引っ張って、わたしは今まで溜めてた事をぶちまけることにした。
「ねぇ」
「ん?なに?」
「れぜ、ううんライゾマくんが2着までに来たら……」
「来たら?」
「あたしと籍入れろ」
「ええっ!?」
「あんた、今日がなんの日か忘れてるだろ」
「……なんの日?」
やっぱり忘れてやがった。
「あたしたちが一緒に暮らすようになった日じゃんか。覚えとけよ」
「あー、そうだったか。そんな大事な日だったとは」
「あれから3年も一緒にいて籍も入れないなんてありえないじゃんか。中途半端でいるのがどんだけ不安かわかんないかなぁ?」
「……だよな、うん。わかった」
章はそう言うと、こっちに向き直る。
「人生最大の大勝負かけてくるか。馬券とは別にもうひとつ」
「うん。2着でいいんだから気楽にね」
「わかってるよ。……良美に先越されちまったかぁ……」
それだけ言って、章は馬券を買いに行った。
馬券を買った章が戻ってきて、わたしたちはパドックに向かう。
重賞だしたくさんのお客さんでなかなか前に行けない。
それでも、馬たちの様子を見ることは出来た。
ライゾマティクスの調子は良さそうに見える。
「先生も強気なコメントしてたし、前走みたいなことにはならないと思う」
章が馬を見ながら言う。
「うん、相手強いけどあの仔なら大丈夫だよ」
わたしは自分に言い聞かせるように答える。
「あたしたちの将来まで背負わせちゃって大変だろうけど、がんばって」
そう声をかける。
その瞬間、ライゾマティクスが頷くように頭を振った。
「お、ライゾマくんうんって言ったぞ」
章がびっくりしたように言う。
「あの仔賢いからね、わかってるかもよ」
そんなことを言ってるうちに本馬場入場の時間。
わたしたちはスタンドに戻った。
ライゾマティクスはしっかりした足取りでコースに入った。
スタンドのどこかから「れぜー!」って声援も聞こえる。
わたしはスマホを取り出して、いつものネット中継をチェックした。
「れぜは大丈夫。やってくれるよ」とか「長男坊を信じろ」とか、リスナーのコメントが飛び交ってる。
みんなも一緒に応援してるんだもんね、きっと大丈夫。
そう思ったら、不思議と落ち着けた。
隣では章が少し緊張した顔をして、こんな事を言い出した。
「……31日が良美の誕生日だろ?そこで市役所に連れてって籍入れるつもりだったんだ。先越されちまったが、この先も俺と一緒にいてくれる?」
「わかりきった返事はレースの後。今は応援だよ」
「そうだな、うん。そうする」
そうしてふたりでゲートが開くのを待った。
ライゾマティクスは3番手からレースを進める。
逃げたのが潰れて下がり、前にいるのは強い北海道の馬。
そいつに4コーナーで外から勝負を仕掛けてきた。
「れぜ行けっ!!」
思わず声が出る。
「後ろ気にすんな!ぶっ飛ばせ!」
章の声も大きい。
このまま勝っちゃったらって、期待がふくらむ。
でも、前の馬を最後まで交わせずにゴール。
後ろからの追い上げは封じたけど、もうちょっと足りなかったのかな。
それでも……。
「やってやったなあ。7番人気の大激走だ。ざまあ見ろ!!」
章が絶叫してる。普段なら止めてるとこだけど、そのままにしといた。
だって、わたしも同じ気分だったから。
うちらのれぜをナメてんじゃねーぞ!って言いたいくらい。
「……でさ、さっきの返事……」
しばらく経って、章が聞いてきた。
「明日の夜、うちの親に話しに行くから予定開けといて」
「じゃあ……」
「いいも何も、れぜが2着来たんだもん。籍入れろって言ったのはわたしだし」
「そっか、うん」
「浮気したらその場でシメるからそのつもりで」
「うん、了解」
そうして最終レースを待たずに、わたしたちは帰ることにした。
これからずっと一緒に暮らすために。
あれから数日。
どっちの親とも話を済ませて、あとは31日を待つだけ。
そう思っていたら、章が「良美、これ見て」とスマホの画面を見せてきた。
ライゾマティクスは31日のハイセイコー記念に出走と書いてある。
「今度は大井に行かなきゃだな」
章はニコニコしてる。
「そうだね、また応援に行かなきゃ」
「その前に、31日はこれつけてってよ」
そう言って、章はわたしの手に何かを握らせた。
「開けてみ?」
小さな箱みたいだけど……え!?
中には指輪がひとつ。
「これ高かったんじゃないの?どっから金出してきたのさ」
「ライゾマくんに買ってもらったようなもんさ。次はお礼言いにいかなきゃだからね」
「うん……」
涙で声が出ない。
「お礼言ったらもうひとつ。今度はもう少し稼がせてくれって頼まなきゃ」
「次は人気するからこんなの買えないよ?」
「あー……」
章はそれに気づいたのか、その場で固まってる。
わたしがしっかりしなきゃ、いけないかな。
固まった章を見ながら、そんな事を考えた。
競馬場へ行こう @nozeki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。競馬場へ行こうの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
思い出のお馬たち/@nozeki
★54 エッセイ・ノンフィクション 連載中 24話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます