勝ち負けだけじゃない
「ただいま。……第1レースどうだった?」
「おかえり。安心して。ふたりとも外れたから」
夜勤明けで帰った一番の挨拶がこれ。
疲れも倍になりそうだ。
「まあまあ、勝った負けたは時の運っていつも言ってるのは拓海でしょ?」
優樹菜が屈託のない声で笑う。
「まあ、そうなんだけどねぇ……」
俺も苦笑いで応じるよりない。
結婚してすぐに新型コロナが流行りだして。
俺の仕事の都合でふたりともどこにも出られなくなった。
俺が感染しちゃいけないのは当然としても、家族からも感染者が出ると仕事に穴が開く。
だから、優樹菜にも最低限の買い物外出以外は我慢してもらってる。
そんな中、優樹菜が競馬に興味を持ち始めた。
スマホゲームで競馬にはまって、その流れで競馬中継を見るように。
今じゃネットであちこちの地方競馬の中継まで見るまでになった。
競馬は俺も好きだったし、そのスマホゲームを勧めたのも俺なんだけど、まさか優樹菜がここまでハマるとは思わなかったな。
今じゃふたりしてネットで馬券を買うようになっちゃったくらいだもの。
「新婚旅行の行き先も決まってないんだもん。どうせ行くなら競馬場のあるとこがいいし」
そんな事を言いながら、リビングの優樹菜はパソコンのモニターを見てる。
画面の中には笠松競馬の中継。
「こんなレトロな競馬場もいいよねぇ。きっと」
「レトロなだけじゃなくて、名馬のふるさとって呼ばれてるんだってさ」
「名馬?」
「オグリキャップがデビューしたのが笠松の競馬場だよ」
「わたしのオグリちゃんの!?行きたい行きたい!!」
……いつから優樹菜のオグリになったんだ。
「あ、でもさ。俺が競馬始めた頃にはもう強い馬はめったに出て来なくなってるんだ。良くない話もあったしね」
「それでずっと競馬やれなかったところだもんね……」
話が暗くなってしまった。
なんとかしなきゃ……。
「またいい馬が出てきてくれたら、変わってくるかもしれないんだけどね」
「そうなの?」
「いい馬が出ればお客さんは集まるし、そうなれば売上も上がるだろうし、馬主さんもいいのを預けようかってことにもなるだろうしさ」
「そうなったらいいねぇ。この画面で見てると、なんだか寂しそうなんだもん」
……ああ。
コロナのせいで無観客だもんな。もっとも、観客入れてても超満員になるかって言われたら別だけど。
それこそ、オグリキャップみたいなのが出てきたらいいけど、そんな簡単じゃないのはよくわかるからさ……。
そこら辺の事を伝えるのが難しいし、あまり夢のない事は言いたくない。
そんな気分で、リビングから出ようとした。
「ねえねえ、パドックにサイレンススズカがいるよ!」
優樹菜の大きな声が響く。
え!?
一瞬ドキリとする。
俺の一番好きな馬。
リアルタイムで見ることは出来なかったけど、動画で走りを見て好きになった。
スマホゲームでもよく使うキャラだし、優樹菜じゃないけど『俺のスズカ』。
でも、とうの昔に事故で……。
「あ、ごめんごめん、『サイレントシズカ』だったわ」
優樹菜が笑いながら言う。
それでモニターを見てみたら、確かにパドックを周回してるのはサイレントシズカという馬。
未勝利なのにぶっちぎりの一番人気なのは、持ち時計が一番いいからか。
栗毛の馬体はサイレンススズカにどことなく似てる気がするし、逃げて競馬したこともある……か。
買うしか、ないよな。
気持ちが固まるのに大して時間はかからなかった。
「優樹菜、サイレントシズカの単勝買おうか」
「えっ?ガチガチの人気だよ。儲けなんか出ないけど」
「勝ち負けは時の運だけど、勝ち負けだけじゃない馬券だってあるんだ」
「……それがこの仔の単勝ね。応援したいのが出来ちゃったかぁ、そうかぁうんうん」
優樹菜はそう言いながらスマホの画面をタップしてる。
その顔はやけに嬉しそうだ。
「……はい、単勝1000円。勝ったら『俺のスズカ』って呼んでもいいよ」
馬券の購入画面を見せながらニヤニヤしてる。
てか、サイレンススズカじゃないっての。
苦笑いしてると、優樹菜は「逃げて勝ってほしいんじゃない?そう顔に書いてあるよ」と言う。
「それもあるけど、もしこの仔が強くなってくれたら、笠松にもお客さん来てくれるかなってね」
「そうなったらいいねえ……って、そろそろ締め切りだね。わたしも買うよ。拓海のスズカ」
……わざと間違えてるな、こいつ。
結局、ふたりで単勝を1000円ずつ。
当たったところで1200円ずつにしかならないけど、俺はそれでいいと思った。
勝ち負けだけじゃない。
この仔がどんな走りをして、どんな勝ち方を見せてくれるのか。
それが見たかったから。
ついた名前も栗毛の馬体も、その他大勢じゃ終わらないような気がしたから。
客を呼べる馬になるかもしれないと思ったから。
そんな夢を地方競馬の笠松に見たっていいと思ったから。
「……拓海、顔が怖いよ」
優樹菜が俺の顔を見ながら、不安そうに言う。
「ああごめん、ちょっと気合入ってた」
「『俺のスズカ』のレースだもんね。そりゃ気合も入るかぁ」
今度はニヤニヤしながら言う。
「……そういう事にしといてくれ」
そう言ったところで、ファンファーレが鳴った。
距離1400メートル、ほぼコース一周。
スタートしたサイレントシズカは外枠から猛ダッシュをかける。
しかし、逃げた馬を捉えきれず1コーナーは2番手。
「あれ?逃げなくていいのかな?」
優樹菜が不思議そうに言う。
「逃げるつもりだったんだろうけどね。なかなか思う通りには行かないよ。……でも」
「でも?」
「スピードが違う。3コーナー入るまでには先頭に立てるよ」
そう言った次の瞬間には逃げ馬を交わして先頭へ。
そして3コーナーから追い出すと、後ろがみるみる離れていく。
「うわぁすごいすごい。勝っちゃうね」
優樹菜がはしゃぎ出す。
「うん、大丈夫」
平静を装って返事はしたけど、俺もワクワクしてた。
どれだけ突き放せるんだろう。
同じ勝つならド派手な方がいい。
さあ、ぶっちぎれ。
4コーナーを回ると後続ははるか後ろ。
サイレントシズカの勢いは最後までそのまま、ぶっちぎりのまま先頭でゴールした。
「すごい!勝っちゃったねえ、『拓海のシズカ』だねえ」
優樹菜がニコニコしながら言う。
だからスズカじゃない……あれ?
「応援してるときの拓海、熱かったよ」
「大きい声出てた?」
「そりゃあもう、イケイケって大騒ぎよ」
自分でも知らない内に大声出てたらしい。
「わたしも単勝買ったけど、やっぱ『拓海のシズカ』だよ。あれだけ応援されたら勝てるって」
「そうかな」
「そうだよ。コロナが落ち着いたら一緒に応援しに行きたいな」
「そうだなあ……」
あ。思いついた。
「なあ、新婚旅行で行くのはどうかな?」
「笠松に?それもいいね!全然新婚旅行らしくないけど」
「競馬場のあるとこがいいって言ってたじゃん」
「うんうん。競馬場あるからね。わたしのオグリちゃんのふるさとだし」
「じゃあ、それで計画立てようか」
「うん!そのときにうんと強くなったシズカがいてくれたらいいね」
そうなったら最高だよね。
今見た夢の続きがどうなったかをふたりで見に行こう。
それを励みに、仕事頑張るか。
「あ、馬券の口座の残高もだいぶ少ないからね、そっちも頑張ってねぇ」
……そっちは自信ないけど、頑張るしかないよなあ……。
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