五十音順殺人

小欅 サムエ

五十音順殺人

「私たち二人で、『五十音順殺人』をやろうよ!」



 茜色あかねいろに染まる教室のカーテンを背景に、私の友人、郁子いくこ突拍子とっぴょうしもないことを言い出した。この子は、まるでゲームをしようと誘うかのように、気軽に殺人をしよう、と言っているのだ。


「……いや、なんだって?」


 嘘だろうと言わんばかりに、私は思わず聞き返した。


 ええと、五十音順……確か、日本語の仮名文字を、『あ』から『ん』まで並べたものだ。あいうえお順ともいう。


 恐ろしいことを、随分ずいぶんと気軽に言い放つものだ、この友人は。普通ならば、そんなことを言われた時点で友人と呼ばなくなるところだ。


 完全に硬直した私を見て、友人はさらに声のボリュームを上げる。


「聞いてる? 『五十音順殺人』! 『あ』から始まる人を最初に殺して、最後に『ん』の付く人を殺すの。面白くない?」


 くだらない。殺人、と言っている時点で面白いわけがない。冗談で言っているのか、それともゲームの話をしているのか、そのどちらかなのだろう。


 軽蔑けいべつしてやりたいところだったが、こんな子でも私の大事な友人だ。小さいころから一緒に過ごしてきた、大切な幼馴染だ。


 この、屈託くったくのない笑顔を向ける私の友人は、日ごろからおかしな発言をする子だった。良く言えば『個性的』、悪く言えば『空気が読めない』。そんな子だった。だから私は、この発言もいつも通りおかしなことを言い始めただけなのだ、と思い込んでいた。


「さっきから、何で黙ってるの? ……面白くない、かな?」


 しきりに私の顔を覗き込み、反応を待っている。ええい、小動物か、お前は。


「……好きなの? ホラー映画とか、ミステリー小説とか。だからそんなこと思いついたの?」


 正解だったようだ。私の言葉に、友人の表情は、ぱあっと明るくなる。


「そうそう! 怖いのとかさ、こう……ゾクッとするのがさ、すっごく好き! 昨日読んだ小説がね、こんな感じで殺人をするやつだったの!」


 たちの悪い小説を読んだものだ。そんな作品を書いたやつの顔を殴ってやりたいところだ。


 ちなみに、私はホラーなどの怖いものは大嫌いだ。夜道を歩けと言われるのもイヤなくらいに、そういうものが大嫌いなのだ。


 月明かりが照らすだけの森の中の道……そんなものを想像しただけで、ぞっとする。思わず身震いをしてしまう。


「てかさ……私がそういうの嫌いだって、あんた知ってんじゃん。わざとなの?」


 当然のことながら、私の心には怒りの焔がともる。空気が読めないとはいえ、幼馴染が嫌がることを率先して行なうなど、言語道断だ。


「な、何よ……私は本気だよ? 小説みたいに、私は殺人をしたいの」


 にわかには信じがたいことを、真剣な表情で語る友人。その目は、いつものキラキラとしたものではなかった。


 沼の底のような、淀んだ瞳。この友人が、ここまで変わってしまったのには何か原因がある。そうでなければ、あの無邪気で可愛らしい友人が、こんな目をするはずがない。


「ね、ねぇ……一体、何があったの? 本当に、小説を読んだだけ?」


 濃紺のブレザーが、夕日の赤を受けて黒く染まっていく。毒を飲んだかのように、じわりじわりと、その黒が全身を覆っていく。


「……初めてあった日のこと、覚えてる?」


 一筋の光を、友人はその淀んだ目から零す。頬を伝い、やがてその光は、ポタリ、と床に落ちていく。小さな水たまりが一つ、ポツリと作られた。


 不意に、友人は私に近づく。音もなく、その涙に濡れた顔を寄せる。


「変なこと、聞いてごめんね。……でも、私は……もう、我慢できないの!」


 放課後の、静けさだけが支配するこの三階の教室……いや、学校中に響き渡るくらい、大きな声で友人は叫んだ。声と呼べるのかどうかすら怪しいほどに、恐怖すら感じさせる慟哭どうこく


「前に、言ったよね……好きだって。幼稚園の頃、そう言ってくれたよね」


 身を震わせ、ぐしゃぐしゃになった顔をさらに私へと近づける。その顔には、もう以前のような面影は無かった。絶望だけが、友人を支配していた。


「無理、だった……好きな気持ちを抑えることが、もう出来ないの……空気の読めない、こんな私とずっと友達でいてくれた。……気持ち、悪いよね? いきなり言われても、怖いよね?」


 目の前の友人は、ごそごそとブレザーのポケットを探る。そして、夕日を受けて銀色に輝く刃……ナイフを取り出した。


「もう、私は耐えられない。好きなのに、好きだって言えない……だったら、もうこんな世界なんて……」


「や、やめて!!」


 ゆっくりと、友人は私の首元へとナイフを向ける。その刃先はもう、私が身じろぎ一つでもすれば触れてしまうような、そんな距離だった。逃げなければ……そう考えても、思うように体が動かない。


 よろけてしまい、床にぺたりと座り込んでしまう。もはや、あらがうだけの力が私には無かった。


「楽にして……私は、あなたに……あいちゃんに苦しんで欲しくないから。抵抗されちゃうと、綺麗に切れないの。その首が」


 凛とした、しかし狂気に侵された目を私に向け、友人は私に微笑ほほえむ。そして、そのひと振りを、私に放った。


 涙液るいえきと共に、血飛沫ちしぶきが舞う。当然のことながら、私の首は落ちなかった。安物のナイフでは、人の頸椎けいついを貫くことなど、出来っこないのだ。そんなことも、この友人は分からなかったのか。……いや、冷静に考えるだけの気力が、もう無かったのだ。


 憐憫れんびんを込めた、最期の一瞥いちべつを私は友人にれた。友人は、私のその目を見て、満足そうに教室を後にする。愛してくれた、とでも思ったのかもしれない。本当に、最期まで空気の読めない、子、だった……。


 廊下へと無言で飛び出した友人は、自分の手を見つめる。血に塗れた手……それは、愛した人間を殺めた手だ。もう、彼女の心は決まっていた。窓を開け、空を見上げ、小さく呟いた。


「……私も、すぐそっちへ行くからね。待ってて……大好きな、あなた」






しき人……その心を、体を、我がものとせん』


 これが、窓から転落して死んでいた、市原いちはら 郁子いくこのポケットから見つかった、紙きれに書かれていた。


 それの意味するところは不明だが、同日、教室で遺体となって発見された相原あいはら あい……彼女の愛していた人間に送られた言葉なのではないか、と噂されている。


 『あ』で始まり、『い』で終わったこの事件は、決して『愛』なしでは語ることが出来ないだろう。

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