前に進むためは、時にターンをしていかねばならない。

管野月子

回転させて丸を描く

 満天の星を眺めつつ、硬い操縦シートを倒す。

 静かだ。


 宇宙空間なのだから外からの衝撃波があったら緊急事態だ。しかも散々攻撃を受けて満身創痍まんしんそうい――から、ちょっと頑張って応急処置をしたばかりの遭難しかけてる宇宙船は今、ちょっと大きめのデブリが当たっただけでも完全遭難してしまう。

 現在AIのフラムバードが、ちゃんと動くかどうか精査しているところだ。

 やることが無くなった無重力のコックピットに、浅黒い肌の相棒が漂ってきた。


「ターンって……ギリシャ語のコンパスを意味する言葉が語源なんだとよ」

「コンパス? 方位磁針の?」

「二本足の……回転させて円をまぁるく描いたり。同じ線分の長さを取る時の両脚器の方」


 ゼリー飲料を吸いながら説明するジョンを見上げ、俺は「あぁ……」と呟いた。

 子供の頃、骨董品の山から見つけ出した不思議な道具を思い出す。どうやって使う物か分からずいじくり倒している間に、思いっきり針を指に刺した痛い記憶も。

 ジョンがその前前前時代的な小道具を知っていたとは驚きだ。


「そこから回転させるとか、裏返すとか……引っ繰り返す、という意味でも使われているとよ。どうする? ファーン」

「引っ繰り返されちゃ堪らないなぁ」


 慎ましく、親切丁寧迅速なうえに堅実をモットーとしてお仕事をしてきたというのに、どうも当りが悪い。小さな宇宙船一つで依頼をこなす何でも屋に、何故か過大な依頼ばかりがくる。

 いやいや今回も、本来は簡単な話だったのだ。


 オリオン座領域のとある惑星にある、とある生物研究施設から、とある鉱物生命体を受け取って来てよ、というだけの簡単なお使いだった。

 注意事項として「地球産鶏のSサイズ卵くらいで石っころみたいなものだから、傷さえつけなければ大丈夫」という言葉を信じたのだ。ところがジュラルミンケースにクッション材を敷き詰めて参上した所、石っころは奇怪な少女の左手の甲に埋め込まれていた。

 更に橋渡し人は「持ち出したのが見つかったら殺されるから!」と叫ぶと、少女を押し付けて逃げてしまったのだ。


 いやいやいや、それって盗み出したってこと!?

 犯罪の片棒なんて契約に無いんだが。なのに追って来た研究施設警備隊は、こちらの言い分を聞くことなく攻撃してくるものだから、逃げるしかないでしょ。腕だけ切り取って、女の子一人荒野に置いてくわけにはいかないでしょ。

 しょうがないからと、まとめて持って来て今に至るわけだ。


 いつ超新星爆発を起こすか分からないベテルギウスと、たった十光年しか離れていない。明日かもしれないし十万年後かもしれない恒星の側からは、さっさとおさらばしたいというのにねぇ。


「お水くださーい」


 可愛らしい声と一緒に、ふよふよと少女が漂ってきた。

 ジョンが「はーい」と軽い声で、パウチ包装の水を投げ渡す。上手くキャッチはしたが、そのまま慣性の法則でコックピット内をあちこちバウンドしてから、フロントの方まで漂ってきた。


 少女は小さな人形みたいな可愛い顔ですらりとした手足。地球人で言えば十二か、十三歳程度だろう。

 ぷにぷにした肌はうっすらと白く透き通り、淡い色の血管が見える。幸い……人体標本的不気味さは無い。腰の辺りまである髪は白く細く、腹部の内側に紅いかたまりがちょっと透けて見えるがえて何の器官かは聞かない。怖い答えが返ってきそうだし。

 膝上丈の半透明なスカートが常にふわふわ動いている。どういう素材なのか、船内が無重力のせいばかりじゃなさそうだ。

 左手の甲の、翡翠ひすいのような淡い緑色の鉱物生命体は、今のところ意思表示無し。


「お水、美味しいです」

「それはよかった」


 可憐な少女といかついジョンの和やかな会話が流れる。

 いろいろな遺伝子が混ざっている人間みたいな宇宙生物が、このまま温和でいてくれればいいのだが。そんなふうにつらつら思っている所に、AIが演算完了のアラームを鳴らした。


『まぁ、結論から言いますとね。普通の航行ではコロニーどころか、亜空間ゲートを通るのも無理ですわ』


 やけに砕けた口調でAIフラムバードが報告した。

 ジョンが顔を引きつらせる。


「無理ですわ……って、じゃあなに、遭難確定?」

『慌てない慌てない、二つのプランで生還できる可能性は、ぐぐっと高まります』

「感嘆詞はいいからはよ言え」


 先を急かす俺に、フラムバードは愚痴りながら続けた。


『そもそも亜空間ゲートを通るにもある程度加速してないとダメなんですけどね、そのための燃料が足りないんですよぉ。なのでまず一つ、Uターンして惑星に戻り、研究所や街にある燃料を奪いま――』

「却下」

『はやっ! じゃあもう一つ、惑星の引力を使って重力ターン! 重力アシストで加速スイングバイなんてどうでしょ?』

「それしかないじゃないかよ」


 ジョンが大きな体の空気を抜くように声を上げた。

 同感だ。命からがら逃げてきたというのに今更戻ってどうするんだ。


『そーなんですかぁ? 私のおススメはUターンなんですけれどね』

「いいから。早速、その軌道やら計算に入ってくれ」

『えーっ、ちなみに今はこちらの位置をロストしてるみたいだから攻撃止んでるけど、惑星の周りをうろうろしていたら間違いなく見つかっちゃいますよ。いいですか?』

「は?」

『いやだから、追っ手に見つかって今度こそ宇宙の藻屑もくず的に撃ち落とされる可能性が、94.567%ぐらいあるんだけど。ファイナルアンサー?』


 ちょっと待とうか。






 仮にだ、Uターンもせず加速スイングバイもせず、亜空間ゲートは使えず、残りの燃料でのろのろと宇宙を航行したとして、一番近いコロニーや惑星に向かったとしたらどのぐらいの時間がかかるのか。

 かるーく算出してみたところ、43,823,000時間ぐらい。

 分かりやすい単位にするなら、約五千年とちょっと。もちろんこれは小惑星などがぶつかって、方向が狂わなければ……の話だ。


『冷凍ボックス積んでないからお二人はミイラ決定』

人工冬眠装置コールドスリープとか言えよ」


 呻く俺に、フラムバードは『めんどくさいなぁ』と愚痴る。本当にお前はAIなのか?


『うーん、じゃ、攻撃してもらおう』

「はぁ!?」

『的はここです! ってお尻に当たれば加速するじゃん』

「的に当たらなきゃどこに飛ぶかわからないだろ! その前に船壊れるだろ!」

「てか尻に当てられるなんざ、絶対ヤダ!」


 俺とジョンとで代わる代わる反対されて、フラムバードは拗ねてしまった。

 ますます完全遭難色が濃くなるところに、おずおずと可憐な声がかけられた。


「私が……あの星に帰れば助かるのでは?」


 ずっと様子を見ていたのだろう、少女は続ける。


「脱出ポッドか小型機があれば、私一人で帰ります」

「ここまで来たのに、一人でUターンさせるってぇのか?」

「それじゃ、依頼が果たせない」


 ジョンが声を上げ、俺も呻いた。

 それは考えなかったわけじゃない。だが、ここまで来て手ぶらで帰るなら、それこそ赤字だ。顧客の信用にもかかわる。

 事前説明や契約になかったようなドンパチが発生したことを突っつけば、ちょっとは報酬の上乗せも期待できるというものだが、が無ければ元も子もない。


「うーん……この状況じゃ、依頼とか言ってられないか……」

「大丈夫です。きっと依頼も果たせます」


 少女は明るい顔で力説する。


「その為に是非ぜひ、この腕の部分をスパッと切り落としてください!」






 加速スイングバイへの軌道計算を終え、宇宙船の後ろと後ろをくっつけ合うように小型機が配置された。AIのフラムバードがドヤ声で言う。


『まぁ、尻相撲の要領ですな』

「尻言うな。メインエンジン同士向け合って壊れないのかよ」


 たしなめる俺にフラムバードは言い返す。


『小型機の火力程度じゃ壊れませんよ。時差つけますからね、あっちもたぶん大丈夫でしょ』


 惑星地上までの操縦は遠隔操作で誘導するから、たった一人で乗り込んだ少女は何もしないで帰還を楽しめばいい。現に少女は小型機のコックピットからカメラに向かって、をひらひら振りながら笑っていた。


「この鉱物生命体は、異なる生物融合の媒体となるものなんです」


 ベニクラゲという、小さな肉片からでも元の身体に再生する生命体と融合したクラゲ少女が説明した。

 クラゲだけれど水陸両用らしく、宇宙船のコックピットには緑色の石がついた通常サイズの腕と、そこから新しく生え始めた親指サイズの少女がいる。シュールだ……。


「永遠に若返るかわいいって正義ですよね!」

「……本当に、全部再生するのかよ?」


 隣の操縦席で、ジョンも薄目になって見ている。

 厳つい大男なのに、実はホラーが苦手な繊細な心の持ち主である。


「しますよ。さすがに腕一本からなので、たぶん一週間ぐらいかかっちゃうと思います。分離した子とは、定期的に記憶を共有するため意識の更新アップデートもかけますから、離れ離れになっても寂しくありません」


 本当に生物なのか疑わしくなってくる。


「不老不死か……」

「死ぬこともあります。肉片も残らないぐらい一瞬で燃やされたら無理です!」

「弱点属性は炎」

「なので、手荒に扱うと増えてしまうので気をつけてください」


 まさか「傷さえつけなければ大丈夫」って、そういう意味じゃないよな。






 少女を乗せた小型機がエンジンを点火して惑星に帰っていく。

 その力も利用して俺たちは加速スイングバイを開始。追っ手が小型機に気を取られている隙に、惑星を支点に回転させて丸を描き、俺たちの宇宙船は惑星軌道を離脱した。一路亜空間ゲートを通ってから手近なコロニーで燃料補給と追加整備か。まだまだ旅は続きそうだ。


『ところで……』


 フラムバードが遠慮がちに声をかける。嫌な予感がする。


『後で小型機を回収しに行かないと大赤字になりますけど、よいですか?』

「よくないだろー!」


 依頼を終えたら、結局は小型機回収にUターンか!?

 新しく買った方が安いかなぁ。小型機も、分離増殖しないものか。






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前に進むためは、時にターンをしていかねばならない。 管野月子 @tsukiko528

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