Ⅴ
校長室を出ると、道花が待っていた。彼女は廊下の壁に身体を預け、腕を組んでいる。
「……行くぞ」
「はい」
彼女は何も聞かなかった。イヅルの表情を見て、何かを察したのだろう。
「これから教員室へ向かい、お前のデスクまで案内する。マニュアルと教員用カードを渡し、あとはお前の担当に引き継ぐ」
「えぇと、入学式には……」
「新任教師は、入学式には出席しない。その代わり、明日の始業式で一分程度の自己紹介をしてもらう。今日中に原稿を用意しておけ……といっても、名前と担当教科さえ言えばそれで十分だ」
「わかりました。ありがとうございます」
教員室は、校長室から直ぐのところにあった。デスクがいくつか置かれており、島外の普通の学校の教員室とさして変わらない作りをしている。道花とイヅル以外は部屋におらず、他の教師たちは席を外しているか、今日は出席していないらしかった。
「ここがお前のデスクだ。このスペースから出ない範囲であれば、私物の持ち込みに制限はない。……だが、整頓は怠らないように」
「はい!」
他の机を見れば、家族写真や船の模型、アニメキャラクターのフィギュアなど、個性的なものが並んでいる。何を並べようかと考えて、何もないことに気がついた。家族はいないし、趣味もない。姉との思い出だって、何も残っちゃいない。
「……雲雀?」
「あ……す、すみません」
「気をつけろ」
嘆息。道花は入り口近くの大きなデスクから、分厚い冊子を引き出した。イヅルの元に戻ると、それを手渡す。
「これがマニュアルだ。必要事項はここに全て書かれている」
「ありがとうございます」
一旦机の上に置いて道花に向き直ると、彼女は「すこし頭を下げろ」と発した。何か気に触ることでもしただろうかと一瞬硬直し、そんなイヅルを見て、彼女は小さくため息をついた。
「……違う。教員カードを提げてやるから、頭をすこし下げていろという意味だ。紛らわしい言い方をしてすまない」
「あ、なるほど……ありがとうございます」
彼女がかけやすいように身を屈める。道花は距離を詰め、刹那ふわりと花の香りがした。香水だろうか。優しく甘い香りは、彼女の印象にはそぐわないようでいて、まだ何も知らないけれど――彼女らしくもあるように思えた。
首に、新しい感触。ぱっ、と花の香りが遠のき、新鮮なそれをなぞれば、柔らかな布だった。普通の社員証と、そのケースのようだ。
「これで、お前も今日から聖籠女学園の教師だ。頼んだぞ」
「……はい」
頷く。
彼女の真剣な瞳は、イヅルの胸に突き刺さった。ただ『ある目的』のためだけにこの島に来た自分はとんでもない不義理者でかつ、最低な裏切り者であるように思えた。
「……そろそろ担当が来るだろう。私はそろそろ入学式の方に出るが、何か聞きたいことはあるか」
イヅルの心境は、幸いにして顔に表れてはいないようだった。特にないです、と告げようとして、ふと疑問が生まれた。しかし、それは触れていいことなのか否か判別がつかず、視線が彷徨ってしまう。
「……お前が聞きたいことはわかっている」
道花は、深く息を吐いた。
「尊様の話を聞いたのだろう。であれば、私の歴史上の名称も、思い当たる節があるのだろうな」
「…………はい」
誤魔化しは効かないだろう。素直に首を縦に振った。彼女は再び息を吐き、先ほど説明をしていたときのように自然な調子で言葉を紡いだ。
「私は菅原道真。契約したのは、序列七一番のダンタリオンだ。代償を教える気はない……これで満足か?」
「……はい、すみません」
「謝る必要はない。こんな適当な偽名で誤魔化せる方がどうかしている」
道花はくるりと踵を返した。ヒールを鳴らしながら扉へと向かい――そして、またため息をついた。
「着いていたなら入ってきてよかったんだがな」
「え?」
疑問を呈せぬまま、ガラリ、と扉が開けられた。
そこに立っていたのは、艶やかな長い黒髪をした、美しい少女だった。校則通りきっちりと着こなされた聖籠女学園の制服には、皺のひとつもない。優等生、という言葉が、これ以上似合う生徒もいないだろう。
「雲雀。彼女がお前の担当だ」
「あ、そうなんですね……って、え?」
担当? 彼女が? 他の教師ではなく?
混乱していると、彼女は淑やかに一礼した。しゃらりと黒髪が枝垂れ、真白な頬に零れる。
「私は益田シオン。貴方に学園について教えるよう仰せつかりました、しがない学級委員です」
鈴の音のように響いた声が、何故か一抹の懐かしさと共に、イヅルの耳を打った
魔女と呼ばれた少女たちは シノミヤユウ @Yu_Shinomiya
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