校長室を出ると、道花が待っていた。彼女は廊下の壁に身体を預け、腕を組んでいる。

「……行くぞ」

「はい」

 彼女は何も聞かなかった。イヅルの表情を見て、何かを察したのだろう。

「これから教員室へ向かい、お前のデスクまで案内する。マニュアルと教員用カードを渡し、あとはお前の担当に引き継ぐ」

「えぇと、入学式には……」

「新任教師は、入学式には出席しない。その代わり、明日の始業式で一分程度の自己紹介をしてもらう。今日中に原稿を用意しておけ……といっても、名前と担当教科さえ言えばそれで十分だ」

「わかりました。ありがとうございます」

 教員室は、校長室から直ぐのところにあった。デスクがいくつか置かれており、島外の普通の学校の教員室とさして変わらない作りをしている。道花とイヅル以外は部屋におらず、他の教師たちは席を外しているか、今日は出席していないらしかった。

「ここがお前のデスクだ。このスペースから出ない範囲であれば、私物の持ち込みに制限はない。……だが、整頓は怠らないように」

「はい!」

 他の机を見れば、家族写真や船の模型、アニメキャラクターのフィギュアなど、個性的なものが並んでいる。何を並べようかと考えて、何もないことに気がついた。家族はいないし、趣味もない。姉との思い出だって、何も残っちゃいない。

「……雲雀?」

「あ……す、すみません」

「気をつけろ」

 嘆息。道花は入り口近くの大きなデスクから、分厚い冊子を引き出した。イヅルの元に戻ると、それを手渡す。

「これがマニュアルだ。必要事項はここに全て書かれている」

「ありがとうございます」

 一旦机の上に置いて道花に向き直ると、彼女は「すこし頭を下げろ」と発した。何か気に触ることでもしただろうかと一瞬硬直し、そんなイヅルを見て、彼女は小さくため息をついた。

「……違う。教員カードを提げてやるから、頭をすこし下げていろという意味だ。紛らわしい言い方をしてすまない」

「あ、なるほど……ありがとうございます」

 彼女がかけやすいように身を屈める。道花は距離を詰め、刹那ふわりと花の香りがした。香水だろうか。優しく甘い香りは、彼女の印象にはそぐわないようでいて、まだ何も知らないけれど――彼女らしくもあるように思えた。

 首に、新しい感触。ぱっ、と花の香りが遠のき、新鮮なそれをなぞれば、柔らかな布だった。普通の社員証と、そのケースのようだ。

「これで、お前も今日から聖籠女学園の教師だ。頼んだぞ」

「……はい」

 頷く。

 彼女の真剣な瞳は、イヅルの胸に突き刺さった。ただ『ある目的』のためだけにこの島に来た自分はとんでもない不義理者でかつ、最低な裏切り者であるように思えた。

「……そろそろ担当が来るだろう。私はそろそろ入学式の方に出るが、何か聞きたいことはあるか」

 イヅルの心境は、幸いにして顔に表れてはいないようだった。特にないです、と告げようとして、ふと疑問が生まれた。しかし、それは触れていいことなのか否か判別がつかず、視線が彷徨ってしまう。

「……お前が聞きたいことはわかっている」

 道花は、深く息を吐いた。

「尊様の話を聞いたのだろう。であれば、私の歴史上の名称も、思い当たる節があるのだろうな」

「…………はい」

 誤魔化しは効かないだろう。素直に首を縦に振った。彼女は再び息を吐き、先ほど説明をしていたときのように自然な調子で言葉を紡いだ。

「私は菅原道真。契約したのは、序列七一番のダンタリオンだ。代償を教える気はない……これで満足か?」

「……はい、すみません」

「謝る必要はない。こんな適当な偽名で誤魔化せる方がどうかしている」

 道花はくるりと踵を返した。ヒールを鳴らしながら扉へと向かい――そして、またため息をついた。

「着いていたなら入ってきてよかったんだがな」

「え?」

 疑問を呈せぬまま、ガラリ、と扉が開けられた。

 そこに立っていたのは、艶やかな長い黒髪をした、美しい少女だった。校則通りきっちりと着こなされた聖籠女学園の制服には、皺のひとつもない。優等生、という言葉が、これ以上似合う生徒もいないだろう。

「雲雀。彼女がお前の担当だ」

「あ、そうなんですね……って、え?」

 担当? 彼女が? 他の教師ではなく?

 混乱していると、彼女は淑やかに一礼した。しゃらりと黒髪が枝垂れ、真白な頬に零れる。

 

「私は益田シオン。貴方に学園について教えるよう仰せつかりました、しがない学級委員です」

 

 鈴の音のように響いた声が、何故か一抹の懐かしさと共に、イヅルの耳を打った

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魔女と呼ばれた少女たちは シノミヤユウ @Yu_Shinomiya

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