Ⅳ
魔女。
自ら意図して、自然の摂理に反した現象を引き起こす、非科学的存在。
或いは、悪魔と契約した者。
「魔法がつかえるから魔女なのではない。悪魔と契約したから魔女なのだ」
悪魔と契約し、なんらかの代償を支払うことによって、ヒトは魔法を使えるようになる。
その時点で、ヒトは《人》でなくなり――《魔女》となるのだ。
「ヒトが契約できる悪魔は、ソロモン王が支配した七十二の悪魔……すなわち、『ゴエティア』に記された悪魔たちか、あるいはそれよりも低級の悪魔だけだ。この学園に通っている者たちは基本的に、低級悪魔と契約している。低級であればあるほど、契約の代償は軽い」
《代償》と一口に言っても、契約する悪魔によって、その内容は異なる。
たとえば、ほんのすこしの血。体力。精神力。上級になればなるほど、その代償はエスカレートし……とうてい、普通の人間では払うのが不可能なほどの内容となる。
「悪魔と契約した者たちは、揃ってふつうの人間じゃない。あるいは、ふつうの人間ではいられなくなるほどのナニカが起こったんだ。……たとえば、ぼく。おまえは、もう察しているかもしれないが」
尊は、そこまで言って躊躇うように眉をひそめた。それを振り払うように、彼女は一度、唇をきつく引き結び――開く。
「ぼくは、崇徳尊と名乗っただろう。あれは、ぼくの本来の名ではない。おまえにわかるように、いうのであれば」
崇徳尊。
イヅルが、その名前から何かを感じなかったかと言えば嘘になる。
イヅルは日本史の教員としてここに来たのだ。閃かないわけがなかった。……教科書にも載っている名だ。誰もが知っている有名人、というわけでは、ない。
…………そしてその無名性は、『その人物』の生涯に基づいている。
「ぼくは、おまえたちがいうところの――崇徳天皇だ」
崇徳天皇。
親に愛されることなく、時世にも愛されず、苦肉の策として行った戦争に負けたことで、都の遥か遠くに配流され……最後には、無念と憤怒を抱いて死んだ、不幸の天皇。
――――或いは、日本三大怨霊がひとり。
イヅルは何も言えず、ただ彼女を眺めた。その視線を、彼女は無表情に受け止める。
「ぼくは、力が欲しかった。力があれば、すべてがうまくいくと思っていたんだ」
尊はそう言うと、着ていたワンピースのボタンを外しはじめた。ぎょっとして腰を浮かせると、手で制されてしまう。彼女はぷち、ぷち、とボタンを外し、幼く未熟な肢体の一部を晒した。病的なまでに真白な肌。浮き出た鎖骨。……鎖骨の下に、痣のような、刺青のような、複雑な模様が浮き出ていた。
「それは……」
「これが《紋章》だ。ゴエティアに記載された悪魔と契約すると、このように刻印があらわれる……ぼくが契約したのはプルソンだ。契約者に様々な知恵を与え、良い使い魔を連れてくる。
ゴエティア級の悪魔と契約すると、契約者は不老の権能を得るんだ。だからぼくはこの姿のまま、千年ほどの時を過ごしてきた」
「……代償を、聞いてもいいですか?」
「『娯楽』だよ」
尊の口角が上がる。ひどく歪なかたちをした笑顔に、背筋に冷たいモノが走った。息を呑む。
「幼いぼくは精一杯、ぼくの思う娯楽を提供した。たとえば和歌。和歌を詠むのはすきだったし、あいつも喜んだ。……だが、あいつが本当に求めていた娯楽は、そんなものじゃなかった。ゴエティア級の悪魔が、ヒトの娯楽程度で満足する存在なはずがなかったんだ。そんな上手いはなし、あるはずがないんだよ」
――――――だって、悪魔と契約してしまったんだから。
薄く小さな、桜色をした唇が、凄惨に歪んだ。
「……言うだろう。ヒトの不幸は蜜の味、と」
「…………ッ」
何を口にすることもできなかった。
黙り込んだイヅルに、尊も何も言わなかった。わずかな沈黙のあと、彼女はひとつ息を吐くと、話をつづけた。
「ぼくが不幸でいるかぎり、ぼくは魔女でいられる。……ぼくには、あいつを楽しませる才能があるようだ」
「逃れたいとは……思わないんですか?」
「おもったよ。何度も。辛さよりも意地が勝った。それだけだ」
彼女は目を閉じ、胸元のボタンをひとつひとつ閉め直していった。最後のボタンが留められ、瞳が開く。その表情は、もとの虚ろなものに戻っていた。
「……おはなしが長くなって、すまない。でも、知っておいてほしかったんだ。魔女とは、既に狂った存在なのだと。……それを受け止められるものしか、この学園にはいられないから」
尊はぽつりと呟き、口角を上げた。その笑みは、ひどく儚く、今にも消えてしまいそうで――――まるで、親を待ちながらも気丈に振る舞おうとする、幼い少女のようだった。
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