Ⅲ
「待っていたぞ、雲雀イヅル」
教員用出入口にて。その女性は腕を組み、壁に凭れて立っていた。眉間の皺、鋭い眼光。怒っているような表情で、イヅルは僅かに気圧された。
彼女は流れるようにこちらを向いた。ポニーテールにくくられた長い白髪が揺れる。
「予定時刻十五分前、大いに結構。今後も弛まぬように」
「はい!」
敬礼でもしたくなる雰囲気だったが、姿勢を正しての威勢の良い返事に留めた。彼女はひとつ頷くと、眉間の皺はそのままに続けた。
「私は菅原道花。この学園の理事長を務めている」
「あ……」
その名前に、ようやくイヅルは合点がいった。そういえば、聖籠女学園の理事長の名前は『トウカ』だった。あの少女は、理事長のことを言っていたのだろう。
……だが、おそらくこの学園の生徒にすぎないはずの彼女が、理事長の名前を呼び捨てにするものだろうか?
「……どうかしたか?」
「い、いえ、なんでも。俺ーーあ、僕は……」
「一人称は問わない。ここは面接会場ではないんだ、好きにしろ」
「す、すみません」
「謝る必要はない。それと、自己紹介も不要だ。お前の履歴書、及び調査書は既に読み込んである。ついてこい」
「は、はい!」
道花が玄関の扉に何かをかざした。電子音と共に扉が開き、「入れ」の言葉にこれまた威勢よく返事をしてあとに続いた。
「教員用出入口、及び生徒出入口は、それぞれに支給されるカードを用いてのみ開く。教員用はこのように一度にひとりしか入れないが、生徒用は改札のようになっている。教員用カードは生徒出入口への通行にも適用されるが、逆は適用されない」
「つまり、教師は生徒用の出入口を利用できるが、生徒は教師用の出入口を利用できない、ということですか」
「そうだ。お前のカードは後ほど支給する。くれぐれもなくすなよ。もしなくした場合はマニュアルに従え。その書類も後ほど」
「わかりました」
教員用昇降口で、持ってきた室内履に履き替える。道花は、何も言わずにそれを待っていた。履き替えなくていいのか、と思ったが、足元をちらりと見れば、パンプスだったはずの靴がベルト付きのサンダルへと変わっていた。
「……魔法だ。私は服を魔法で編んでいるのでな」
「成る程……」
視線に気づいたのか、道花はそう口を開いた。……理事長も魔女なのか。間近で魔法を見たことはほとんどなかったので、困惑じみた感動を覚える。
「履き替えたなら行くぞ」
「は、はい!」
感動に浸ろうとする思考を断ち切り、足を動かした。
昇降口を抜けると、長い廊下が広がっていた。試験の時に一度来たけれど、厳かな雰囲気漂っていたあの時とは違って、今はどこか『学校』らしい平穏な空気感に満たされていた。
道花が足を止め、振り返った。彼女はすぐ横の、他の部屋よりも豪奢な作りをした扉を指し示す。
「ここが校長室だ。お前にはまず、校長に挨拶してもらう」
「わかりました」
「気負うことはない。……尊様、よろしいでしょうか」
室内に向かって話しかけたようだった。少しして、道花は頷く。イヅルに目配せして、彼女は扉を開いた。
「失礼します」
「し、失礼します」
道花が堂々とした足取りで室内へと進み、イヅルもそれに続く。
(……豪華な部屋だ)
最初に浮かんだ感想はそれだった。中央には革張りのソファが対面に鎮座し、その間には洒落たガラステーブルが置かれている。横を見れば、アンティークらしき大きな棚が並んでおり、ガラス戸部分から見えるティーカップやソーサーは、実に高級感溢れていた。
……部屋をじろじろと見回している場合ではない。ハッとして、道花の視線の奥ーー校長机を見遣る。
「え……?」
そこで、イヅルの思考がストップした。
ーー聖籠女学園の校長は、どのメディアでも顔出しをしていない。それはこの学園のパンフレットすら同様で、彼女の顔を知る者は、聖籠女学園の関係者以外存在しない。
だからこそ、絶句せざるを得なかった。
「……おまえが、あたらしい教師か?」
舌ったらずな声。変声を一度も経験していないであろう、手毬が鈴を鳴らして転がるような、高く澄んだ音色。
「ぼくは崇徳尊。この学園の長である」
ーーーーそこにいたのは、幼い少女だった。
その小さな身体に、威厳高くあつらえられたソファはあまりにも大きすぎた。肘置きにすら手が届いておらず、彼女はベッドの上のぬいぐるみのように、そこに腰掛けている。
「尊様、おはようございます。お変わりなくお過ごしでしょうか」
十も行かないだろう少女ーー或いは幼女に、道花は跪いた。それを見て、幼女ーー尊は、すこし眉をひそめたが……すぐに無表情へと戻る。
「ぼくはいつも通りだ。……道花、彼とおはなししたいのだが、いいだろうか」
「構いません。ーーーー雲雀イヅル」
「はっ、はい!勿論です」
跪いたままの道花に睨まれ、イヅルは慌てて姿勢を正した。
それを見た道花は、ひとつ息を吐いて立ち上がった。そして、扉の方向に歩き出す。どうして、と咄嗟に手を伸ばせば、「……外で待っている」とだけぽつりと呟き、扉の前でお辞儀をすると、部屋から出て行った。
「……すわれ」
「は、はい。失礼します」
目の前のソファに腰掛ける。極上の座り心地に、一瞬脱力しかけたのを慌てて振り払った。
「今年あたらしく入るのは、おまえだけだからな。ふたりでお話できることを、ぼくはうれしく思う」
尊大な中に幼さの滲む口調は、言葉だけ聞くと違和感だらけなのに、彼女の雰囲気もあいまって非常にしっくりきた。「光栄です」と返せば、幼女はすこし眉をひそめた。先ほど、跪く道花に対して向けられた表情と似ていた。
「……ぼくは、おはなしがあまり得意ではない」
「……へ?」
彼女の乏しい表情に宿っているのは、悲しみだった。
「頼長は、それでいいと言ってくれる。心の底からの言葉を紡げば、それが不格好でも、この学園のひとは気づいてくれると」
イヅルは何も言えなかった。それでも、彼女が真摯に何かを伝えようとしていることは分かって。尊を見つめる。視線が交わり、尊は僅かにたじろいだ。それでも彼女が視線を逸らすことはなく、すこしの間空白があった。
「……はなしをしよう。もう、知っているかもしれないけれど……それでも、この学園の長として、ぼくは敢えて、つたえたいと思う」
「何の、お話でしょうか」
イヅルには、彼女が年端の行かぬ少女には見えなかった。彼女は、容姿や話し方こそあどけないが、その瞳には、恐らく過去に裏打ちされた諦念とーーそれを抱いてなお、煌めきを追わんとする意志が籠もっていた。
……その瞳に、強烈な既視感を覚えた。
『イヅル』
艶やかな黒髪が、脳を打った。
振り払う。今は、尊に向かいあう時だ。
尊は、桜色の小さな唇を、そっと開いた。
「魔女のはなしをしよう、雲雀イヅル」
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