夏木


「いいかい? 絶対にUターンして、ここへ戻ってきてはいけないよ」



 ふと昔の記憶がよみがえる。

 土砂降りの雨と大きな雷が落ちる夕立。雨宿りをするために立ち寄った廃屋で言われた言葉。


 今にも潰れそうなその建物は、昔、人が住んでいたであろう痕跡がいくつも残っていた。


 かろうじて屋根や壁はあるものの、台風でもくればすぐに壊れそうなほど痛んでいた。

 いつもは遠くから眺めているだけだった。でも、ずっと気になっていた。

 いつか探索しようと決めていた。今日をなんとなく探索日にしたのだった。


 廃屋のドアは劣化し、すでに外れており、閉めることはできない。


 まだまだ止みそうにない雨を、軒下で待つにしては暇すぎる。

 僕は好奇心に負けて、廃屋の中へと足を踏み入れる。



 電気なんてない。

 たまに光る雷をライト代わりに進む。少しだけ恐怖心もあったが、好奇心が勝った。


 平家の一軒家になっているので、つい癖で靴を脱いでから建物内の探索を始めた。一歩進むごとにきしむ床が、僕の好奇心を更に刺激する。




 ――ずずっ……。


 何かヘンな音が聞こえた。

 引きずるような音が。建物の奥ではなく、上の方から。


「ふげっ!」


 上を気にしながら歩いていると、足下の何かに躓いて転んだ。

 何に躓いたのか見たら、何もない。僕は何に足がひっかかったのかわからない。


 きっと自分の足に躓いたんだろうと、原因を適当に決めて、探索を再開した。




 玄関、居間、台所。家具はそのまま残っている。床には穴が空いている部分もあった。居間には大きなソファー。台所の流しには、茶碗やお皿。どれもこれも、人がここで生活をしていた証拠だ。


 どこもかしこも埃を被っているので、長い間使われていないことは確かである。


 奥へ奥へと進むうち、今度は地下へと進む穴を見つけた。

 だが、懐中電灯がない今、地下へ進んだら真っ暗で何も見えない。


「すっげえ。ここ、秘密基地にしようかな……」


 当時、小学生の僕にとって「秘密基地」は憧れだった。この建物に人が入った形跡はない。ならば秘密基地にうってつけだと思った。

 暗い中での探索は難しい。また今度ここへきて、地下の探索をしようと決めた。




 ワクワクしながら探索していると、突然眩しい光が窓から差し込む。そしてすぐにゴロゴロッと大きな音が鳴り響く。



 雷の音である。

 光と音の間隔がとても短い。

 まだ習ったばかりの知識から、近くに雷が落ちたのだとわかった。


 僕は急に怖くなり、体をブルッと震わせた。



「おやまぁ、お客さんかい? 怖かっただろう?」


 台所の方から声が聞こえ、バッと振り返る。

 すると、そこには今まで誰もいなかったはずなのに、老婆が僕に向かって話しかけていた。


 白髪頭に、腰が直角に近いほど曲がった老婆は、壊れそうな柱で自らの体を支えている。


「汚くてごめんねぇ。何にも出せるものはないけれど、止むまで休んでいきなさい」


 老婆はそう言うと、ゆっくり歩いてどこかへ行ってしまった。

 雷でさえも怖くなっていた僕は、老婆の登場で更に怖くなった。

 確かにこの建物に、人気はなかった。誰かがこの建物内へ入っていく様子など見たことがない。しかも、探索中に自分以外の足音はしなかった。


 ――じゃあ、あの老婆は誰?


 僕が住む地域は田舎だし、ご近所付き合いが多いので、近所の人の顔は大体わかっている。

 だが、あの老婆の顔は見たことがない。



 気温が高く、じめっとした夏なのに僕の体はとても冷たく感じていた。



 あの人は誰なのかを頭の中でグルグルと考え混んでいるうちに、夕立が過ぎ去った。

 ところどころ割れている窓から、綺麗な空が見えている。


 雨が止めば、この場にいる理由はない。

 一刻も早く立ち去りたい。



「おや、もう帰るのかい?」



 出ていこうとすると、玄関にあの老婆が立っていた。

 怖くなった僕は声がでず、老婆の言葉に頷く。


「そうかい。気をつけて帰るんだよ。ああ、そうそう……」


 靴を履いているとき、何かを言いたそうな老婆の声に耳を傾ける。

 そして言われたのが、あの冒頭の言葉だった。聞いたときには、何を言っているのかサッパリわからなかった。


 しっかりと靴を履き、老婆の方へ一礼してから僕は家へと向かって走り出した。

 そして家で母に全てを話そうと、今までにないほど猛スピードで帰ったことを覚えている。




「あんた! どこでそんなに汚れてきたの!? さっさとお風呂に入っちゃいなさい!」


 帰るなりすぐに母に怒られた。

 よく見れば服は蜘蛛の巣や土ぼこりがついている。長年使われていない建物内を探索したからついた汚れだった。

 言われるがまま、僕はお風呂へ向かう。


「あれ……?」


 服を脱いでいるとき、おかしなことに気がついた。

 足裏が真っ赤だったのだ。

 自分の足から血が出たわけではない。

 赤い何かを踏んだようだった。

 

 気持ち悪いと、靴下をゴミ箱へ投げ入れる。

 その後にもおかしな点があった。



 右の足首に何かを巻かれたような跡があったのだ。2センチぐらいの太さの跡が。

 痛くもなければ、かゆくもない。紫色のその跡はお風呂場でこすっても消えない。



 お風呂から出た後、母に全てを話した。

 母は「あそこには誰も住んでいない。人がいるわけないでしょ?」って言っていた。

 だけど、一緒に暮らす祖父の反応は違った。


「大昔に村のため、大蛇の生け贄になった美しい娘がいた。その大蛇の祠があの建物の地下にあると言われている。大蛇が暴れないように、娘の血筋があの家で祠を守っていた。たが、その血筋はとうに途絶えてるがな」



 それでもあそこには人がいたことを伝える。

 すると祖父はうーんと何かを考え始めた。

 祖父に靴下のことを伝え、足の跡を見せると、いつもは温厚な祖父が血相を変えて、僕の足を食い入るように見る。


「こりゃ……大蛇の跡だ。お前を喰おうとした。その婆さんはおそらく、大蛇からお前を守ってくれたんだろう」



 あの老婆が。

 ――勝手に人の家にお邪魔して、探索していた僕を守ってくれたなんて。

 いや、待てよ。大蛇の祠を守っていた血筋は途絶えたと言ってたけど……?



「死してなお、守ってくれているのだろう。いいか、もうあの中へは入ってはいけないよ」


 この日以降、あの廃屋に僕は近づいていない。

 大人になった今でも、僕の右足首には大蛇の跡が残っている。

 たまに右足が廃屋へと引っ張られる気がするが、きっと大蛇が僕を呼ぼうとしているのだろう。

 でも、すぐにその感覚は消える。

 もしかしたら、あの老婆がまた助けてくれているのかも知れない。




 好奇心は猫をも殺すとはいい例えで、僕も好奇心で殺される可能性があったのだろう。

 大蛇の話を知るものは少ない。この地域に住む若い人ならなおさら。

 僕の体験を交えて、この話を伝えていくことにしよう。

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夏木 @0_AR

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