カクヨム2020夏物語 その3 母校の英雄、母国の英雄

@wizard-T

母校の英雄、母国の英雄。

 もう一年半近く経つなど、まったく信じられない。ああして一緒に走る事さえ、まったく自然現象同然の話のはずだった。そんな存在からいきなり突き付けられた言葉。


「さようなら」


 その一言と共に、グラセラ・ムカスは学校を去って行く旨ぼくに告げた。




 ※※※※※※※※※




 一年半前、箱根駅伝を走りたくて埼玉地球大学の門をたたき陸上部入りを決めたぼくが出会ったのが、アフリカからの留学生であるムカスだった。


 やっぱりこの学校って事前に調べてたとおり国際色豊かなんだなとか適当に考え、とりあえず何て言おうか考えてためらっていたぼくに対し、ムカスは流ちょうな日本語をしゃべりながら右手を差し出して来た。

 ぼくが機械的にこんにちはと言いながら手を差し出すと、笑顔を浮かべながら軽く振ってくれた。ああ、実に日本人らしい。



「順二、お弁当付けてどこへ行くんだー」


 どこで覚えたのか、そんな事を言ってぼくの昼飯のカツ丼の残りを面白おかしく指摘して和ませてくれる。

 それで本人も日本に来てすっかりカレーが気に入ったのか、練習のない日は毎日単位でカレーを食いまくるほどには日本の食文化、取り分けコメ文化になじんでいた。


 学科が違うせいか陸上部以外ではなかなか顔を合わせられなかったものの、それでも合わせた時は好き放題にしゃべくり合っていた。



「とりあえず二人一組で部屋を作る。石藤はムカスとだな」


 ぼくらの仲が本格的になったのは最初の夏合宿の時だ。


 監督の命令により、ぼくらは同じ部屋になった。


「これ見てくれよ」

「誰だ」


 ムカスが部屋に入るなり真っ先にぼくに見せたのは、スマホの待ち受け画面だった。そのアニメっぽい女の子のキャラクターを見て首をかしげると、ムカスは大笑いした。


「これ日本の文化だって言うけどなー」


 言い返せないことに少しだけ苦笑いしながら、より一層日本人らしい面を見せてくれたムカスの事が大好きになった。


 それでも同時に「留学生」らしくと言うべきか、走るとあっという間に高校時代から名の知れた日本人ランナーたちを置き去りにしていく。

 その姿、昔小学校時代にぼくがそうしていたのと同じ姿はただただ単純にかっこよかった。


「世界と戦うってのはああいう事だよな」


 先輩からもそう言われた。鳥なき里の蝙蝠に過ぎない事はとっくにわかっていたが、それでもなおこうして世界基準の一端を見せられると改めて感心するしかない。


 でも世界が違うんだよなと思うには、ムカスはあまりにも優しかった。




「いろいろすまなかった……」

「しょうがない、ボクが区間賞取り損ねたからだよ!」


 前回の箱根駅伝。埼玉地球大学はシード権を取れなかった。

 一年生にして走る事になったぼくが、復路のスタートである6区でブレーキを起こし流れをぶち壊したからだ。あの時はもう本当に陸上なんかやめてやろうかと思うぐらい泣いた。


「来年は絶対花の2区で区間賞取ってやるから!安心していろ!」


 区間2位とは言え前区間記録を更新したムカスの大きな胸にすがりながら、ごめんと何十回も連呼した。

 そして監督たちにもまた深々と頭を下げ、もう一度やり直す事を決めた。


 それからずっと、冬と夏の入れ替わる所から来た彼と一緒に走り、一緒に食事を取り、一緒に遊んだ。そして一緒にタイムを上げ、気が付けばぼくのタイムも部内で五番手になっていた。




 そんな中やって来たのは、あの東京オリンピックだった。


 マラソンの日、ぼくらはテレビの前に集まっていた。

 応援するのは日本人と、ムカスと同じ国から来たジョセフ・チョール先輩。


 六年前にこの埼玉地球大学に入り、四年間箱根駅伝を走って来たチョール先輩のおかげで、弱小校だった埼玉地球大学は二度も箱根駅伝のシード権を取れた。

 そして卒業するや帰国してさらにポテンシャルを高め、あれよあれよという間に母国の代表として東京オリンピックに来る事になった。その時にいの一番にこの学校に来てくれた時は、それこそ嬉しくてたまらなかった。


 ムカスだけでなくこのチョール先輩も日本人以上に日本人らしいとかよく言われていたけど、まさにその通りだった。極めて礼儀正しく、それでいておごり高ぶらない。本当に尊敬できる先輩だ。ムカスだってチョール先輩に憧れて埼玉地球大学に入ったらしい、まったくどこまでも偉大な先輩だ。


「お前らまた一緒かよ」

「チョール先輩と日本人のワンツー、見たいっすね!」


 陸上部のいかつい男たちが、ずらりと並んでテレビを見ている。

 アナウンサーが日本人たちの名前を並べ立てて紹介する中、ぼくらはじっと先輩様の紹介を待っていた。


「ジョセフ・チョール。埼玉地球大学のOBで箱根駅伝でも活躍。卒業後は母国に帰国し日本との友好を深めながら練習に勤しみこの座を手にしました」


 平々凡々な紹介文だ。でもそれがかえって重たくて気に入った。

 ムカスを見ると、ぼくと同じように静かに笑っていた。


 この学校に関係する人間全員の誇りと言うべき存在。

 世界中でもそんなに多くの人が知っているわけではないジョセフ・チョールと言う名前を、誰よりも早く知っていると言う喜びが校内にあふれ、この部室に充満していた。三、四年生がじつにうらやましかった。







 結果は、43位。




 そして三人の日本代表の順位は、銅メダル、6位、8位。


 日本人ランナーが銅メダルを取ったと言うのに、誰も喜ぼうとしない。

 そんな日本で唯一の空間の中にぼくらはいた。


 今年の箱根駅伝のワンツースリーの大学出身のランナーたちとの差だとは、思いたくない。


 でも紛れもない「母校」の英雄は、母国の英雄にはなれなかった。


 大学の時と同じように、いや国内代表を決める時と同じように最初から飛ばし、そしてそのまま逃げ込もうとしたチョール先輩。しかし15キロも走らない内に先頭集団から消え、あとはさっき言ったように日本人全員が入賞圏内にいたせいかデータ放送で無理やりその姿を追うことしかできなくなった。




 そんな結果を見てしまったムカスが、あんな事を言ったのは当然かもしれない。




 ※※※※※※※※※




「日本が嫌いになった訳でもない。埼玉地球大学の事が嫌いになった訳でもない。ただ、好きすぎるのが良くなかった」

「そういう事だよ」


 当たり前だけど日本より、ムカスの母国の方がずっと強いランナーは多い。

 それでもあと二年半ぐらいとか言うのは、それこそぼくのわがままでしかない。既に監督以下ほとんどの人間と話を付けているようだ。まったく、実に話が早い。


 多くの物を失う事になるのかもしれないけど、それでもそれ以上の物を得られるはずだ。だからぼくとしては、これ以上グダグダしている訳にも行かない。


 ぼくは涙をこらえながら、必死に叫んだ。




「サヨナラ、ムカス!」



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