帰ることすら叶わぬ地を望む

未翔完

帰ることすら叶わぬ地を望む


 ザッ、ザッ、ザッ……。


 軍隊の行進する音が聞こえる。

 彼らはけして士気が十分というわけではなく、その足並みも一様に揃ったものではなかった。ある者は槍を支柱にするかのようにのろのろと鈍重に進み、ある者は馬にまたがりながら、やる気のない半農兵はんのうへいたちに怒号を飛ばす。

 しかしその数は3000を優に超え、多数の騎士きしを擁している。

 その空気はけして、安穏あんのんとしたものではなかった。




 時は龍誕りゅうたんれき1241年、冬のことである。

 東方世界において、圧倒的な軍事力を背景に版図はんとを広げた遊牧民ゆうぼくみん国家が、西方世界に侵攻を開始した。それは、悪夢の始まりであった。

 遊牧民国家の侵攻に対して、西方世界の中でも東に位置する王国群はただちに軍の急速的な招集を行った。

 〈ピャストランド王国おうこく〉もその必要性に迫られた国家の一つであった。 

 しかし、ピャストランドでは古来より王の権威が弱く、国土の殆どを公国こうこくとして半独立させ、貴族である諸公がその実権を握っている状況であった。

 これによってピャストランドが身動きの取れない状況にある中、西方王国最東端にあり広大な土地を持つ〈ルシア大公国たいこうこく〉が遊牧民国家の来襲によって壊滅。

 その後、年を新たに春を迎え。

 ピャストランドは西方世界最前線の国家となったのである。

 この危機的状況に際し、時の王〈へリスク2世〉は遂に果断な対応を見せ、軍を招集して遊牧民たちの攻撃に備えた。

 ……そして今、戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。




 俺は小高い丘の上から、これから戦場になるであろう地を望んでいた。

 ずしりと重い板金鎧プレートアーマーを身にまとい、長い剣を掲げ、馬体に揺られながら。

 俺は騎士だった。古くから続く貴族の家に生まれ、小さなころから騎士となるべく主君の下で鍛錬を積み、技術を学んだ。

 20歳で騎士になってからもいくつかの戦場を経験し、戦功を挙げた。

 それは名誉や主君の為というのもあるが、それよりも大切な理由があった。

 

 〈故郷の為〉。


 俺は故郷が好きだった。

 その街並みも、人々も、その全てが。

 だから、それらを絶対に守りたいと思った。

 この国はけして平穏でないことを知っていたから。

 ……そして今。この国に、故郷に、最大の危機が迫っている。


 遊牧民国家が侵攻を開始している。

 既に北方の都市は壊滅した。

 殆どの都市は焼き払われ、全てを略奪された。

 遊牧民の軍隊と戦った兵士は皆、残らず殺された。

 全てが死んでいるから、敵の戦術は分からず仕舞いだ。

 更に付け加えるのならば……。


「この戦いに負ければ、故郷は敵のものだ」


 眼前に見える平野を突破されれば、俺の故郷であるみやこ〈クラカウル〉までは目と鼻の先だ。其処そこに到達されれば北部の都市と同様、クラカウルは焼き払われる。

 俺の故郷が、消えて無くなってしまう。

 そんなことはさせない。

 俺は強い意志をもって、戦いの地へと赴いた。



「全騎士隊、突撃を開始せよ!」


 そして全軍の陣形配置が終わり、敵の姿も遠方に見え。

 太陽が天に昇りきるかきらないかというきわの頃。

 俺が属する軍の指揮官〈クラカウル公アルディームィル〉が攻撃命令を下した。

 俺は、それを待ち望んでいたとばかりに馬体を強く蹴って、手綱をり、異民族への攻撃を開始した。故郷を荒らす者は許さぬ、と叫ぶように。

 誰よりも早く、誰よりも力強く。

 草原を駆け抜け、長剣を振り上げて。


「全て、殲滅せんめつしてくれるわ……!」

 

 勇ましく、そう叫んだ。

 そう、これは名誉の為でも主君の為でもない。

 故郷の為だ。

 生まれ育ち、あらゆる恵みを貰った故郷の為だ。

 

「異民族共! 俺に挑む者はおるか!」


 既に俺や後続の騎士たちは敵軍の中央へと迫り、戦闘が開始されていた。

 敵軍の中央にいたのは、東方世界の民族衣装のような服装の騎兵たちであった。

 敵が鎧を身に纏っていたのならば、己の腕力を以て鎧ごと叩き潰さねばならず、頭から足まで全身を重い板金鎧プレートアーマーを着ている俺たちのような重装騎兵にとっては、苦戦を強いられる相手である。

 だが、軽装でしかも短弓たんきゅうを主武器としているらしい奴らが相手となれば、俺達は無敵だ。何故今までこんな奴らに負けていたのか分からない。

 俺は逃げ腰となっている敵に追いついて、長剣で薙いで吹き飛ばす。

 そのまま猛進する俺の、決闘を求める言葉に応じる姿勢すら見せない。……言葉が違うのだから、当然なことではあるが。

 敵の短弓からバシュッと放たれた矢が、かぶとによって守られた後頭部に当たって弾かれるのを感じた。その衝撃がまた怒りに変わり、次はどいつを仕留めてやろうかと疾走しながら思案している中。


「……なにッ……!」


 今まで俺達の勢いに押され気味ではあったものの、果敢に戦っていたはずの軽装騎兵たちが俺達に背を向けて退を始めたのだ。

 それは確かに喜ばしいことではあった。敵が俺達の勢いに尻尾を巻いて逃げ、我が故郷が攻められることが無くなるのであれば。

 しかし、そのような感情以上に俺は怒りに沸いていた。

 

「ふざけるな……! こんな弱兵共に、我らの愛すべき国土は荒らされていたというのか……! 許されてたまるか、そんなことがッ……!」 


 俺も、後続の騎兵たちも皆、一目散に逃げていく軽装騎兵の後を追った。だが、やはり敵は軽装騎兵だ。重装騎兵に比べて足は特段に早い。

 そう簡単に追いつかせてはくれまいと、俺は思っていた。

 しかし、ここで走りを止めて他の騎士たちと共に帰還することを俺の心が許すことは無いと、それ以上に強く思っていたのだ。

 追撃し、奴らが焼き払って奪ってきた全てのものに対して、つぐないをさせる。

 その想いだけであった。

 ……しかし。


「……なんだ、この胸騒ぎは」


 上手くいっているはずであった。

 敵は俺達の勢いの前に逃げ、故郷を守ることができた……はずだ。

 なのに、それなのに。

 

「このまま進んでいって、本当に良いのか……?」


 草原の中、天頂に達した太陽の光に照らされながら、敵を追う為に駆ける。

 その今自分がしている行動に対し、わずかな疑問を持った。

 俺は一瞬だけ後ろを振り返る。……大丈夫だ、後続の騎士たちはしっかりと付いてきている。だが……。

 後方に置いてきた歩兵隊の姿は、敵騎兵の波に隠されて見えない。

 

「……ッ、だとっ!?」

 

 刹那。

 俺は敵の意図に気付く。そして瞬時に、自らの失態を嘆いた。

 前方に目を向ければ、先程まで逃げていた軽装騎兵たちはどこにもおらず。

 その代わりに、俺達と同じような敵の重装騎兵が、突撃準備をしているのが確認できた。更に左右を見れば。そこには槍や短弓を持った大量の敵軽装騎兵。

 そう、この状況は。

 

「完全なるではないか……ッ!」

 

 最後にもう一度だけ後ろを振り返れば、後続の騎士たちがあらゆる方向から迫りくる遊牧民たちの攻撃によって、次々に落馬して死んでいくのが見えた。

 ある者は絶えることなく放たれる騎射きしゃで、ある者は槍で貫かれて。

 更にその遥か遠くでは、黒い煙幕がかれて空に昇っていくのが見えた。あれは、完全に我々騎士隊と後方の歩兵隊を分断させるための計略だろう。


「………」


 俺は再び、前を向いた。

 そして、二度と後ろを振り向かないと心に決めた。

 ただひたすら前へ。前へと進み続けることを誓った。

 それが無茶で、無謀で、ただの狂気であると知っている。 

 しかし、俺はもう悟っているのだ。

 

「もはやこの地も、クラカウルも、帰ることすら叶わぬ地だ」


 そう呟いたのが最後。

 俺は矢に肉を穿うがたれ、槍に突かれた。

 そして手綱を離して落馬し、地面に着いた衝撃を感じる間もなく。

 むくろの全てを、敵騎兵の蹄鉄ていてつに踏み潰されていった。


 後には、何もかも消え去ったものしか残されていなかった。




 龍誕暦1241年3月18日。クラカウル北方・フミェルニクにて。

 クラカウル公率いるピャストランド王国軍は〈ボルジギルグ帝国〉の皇族であった〈バイドー〉率いる帝国軍の分隊と交戦。

 ボルジギルグ帝国軍の被害はごく少数だったのに対し、ピャストランド王国軍は文字通りの壊滅的被害を負った。この戦いでは王国軍の指揮官であったアルディームィルが戦死したことで、ピャストランドは更なる恐慌におちいったという。

 ただし一連の戦いにおいて、実際に見たことを記述した資料が存在しないことから、詳細な戦いの記録は一切残っていない。

 それ以外にただ一つ分かるのは、この戦いが〈フミェルニクの戦い〉として歴史上に名を残しているということだけである。




 俺はから、故郷を望んでいた。

 俺が生まれ育ち、共に在ったクラカウルは、もうそこには無かった。

 市民が逃げ出してもぬけの殻となったクラカウル市は、あの遊牧民共に包囲されて焼き払われたのであった。

 ……守れなかった、故郷を。

 だが、涙は自然と出てこなかった。

 何故なのだ。あれほどまでに守りたいと強く願っていたというのに。

 

 ああ、そうか。

 俺は故郷を守りたかったわけではなかったのか。

 ただこの光景を、クラカウルという故郷を望みたかっただけなのだ。

 それがいくら以前とは異なる、跡形も無くなった姿であっても。

 

 帰ることすら叶わぬ地を望むだけでも、俺の心は満たされていたのだった。

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