いつかの約束

音崎 琳

約束

 主人の前で、ルイス・バーネットは困りはてていた。

「お嬢さま……」

 ロレイシア・トーレはソファの上で、つんと小さな顎を反らせたまま答えない。薄桃色の普段着のドレスの裾から、薄桃色の靴の先が覗いている。

「いったいどうなさったんですか? 今朝まではあんなに楽しそうにしていらっしゃったのに……そろそろ着替えはじめないと、本当に間に合わなくなってしまいます」

 胸の前でぎゅっと手を握り合わせる。上着や袖を握らないようにと厳しく躾けられてから、この仕草が癖になってしまった。

 ルイスの懇願も空しく、ロレイシアはそっぽを向いたままだ。

「私、行かないって言ってるわよね」

「だから、どうしてなんですか……?」

 この押し問答が、かれこれ一時間は続いていた。何とか状況を打開しようと、ルイスは必死に心当たりを探す。

「この日のこと、ロレイシアさまはずっと楽しみにしてらしたじゃないですか」

「だから!」

 ロレイシアは急に怒鳴り声を上げる。

「私! 楽しみにしてたのに! どうして?」

 ほとんど青に見える、濃い紫色の瞳が、きっとルイスを睨みつけた。よく見ると、瞼のふちまで涙が溜まっていた。

「約束したじゃない! 今日はルーと一緒にお祭りに行くって!」

「それは……」

 ルイスがトーレ家に拾われ、使用人として養育されるようになって二年。ようやく外へも出してもらえる程度の礼儀作法を身につけ、近頃はもっぱらロレイシア専属の従者となっている。共に外出できるようになったことを喜んだロレイシアは、ルイスに、前々から、この日は一緒に祭りを見て回ろうと言っていた。

 だが、ロレイシアも今年で十。少しずつ社交場にも出るようになり、特に今日は、一年でも指折りの大切な日だ。ロレイシアも当主である父とともに、パーティに出席することになっている。当然、祭りに行くことはできない。

「お嬢さまは、僕とお祭りへ行きたいから、パーティには行かないと仰るんですか?」

「言わなきゃわからないの?」

 必死で泣くのをこらえているロレイシアの顔は、真っ赤になっている。だが、泣きたいのはルイスのほうだ。何としてもお嬢さまをなだめて仕度をさせろと、メイド頭に厳しく命じられている。

 口を開く。どうしよう、何と言って説得すればいい。

「……僕はまだ、お嬢さまを立派にエスコートできませんから」

 そんなの、と言いかけたロレイシアを遮って、ルイスは、まっすぐロレイシアの目を見つめた。

「――だから、僕がお嬢さまよりも背が高くなったら、そのとき、一緒にお祭りに行きましょう」

 意表をつかれて、ロレイシアは目をまるくした。その拍子に、ぽろりと一粒涙が零れる。

「……ずっとルーのほうがちいさかったら?」

「そんなことありません!」

 反射的に叫んでしまい、ルイスははっと口を押さえた。

「し、失礼いたしました。……あの、僕、がんばりますから」

「がんばるって、背が伸びるように?」

 もう破れかぶれだった。

「はい! 背が伸びて、お嬢さまを堂々とエスコートできるように!」

 しばしの沈黙のあと、ロレイシアは、濡れた頬のまま、ふ、ふふ、と笑い出した。

「わかったわ。じゃあ、約束ね」

 ロレイシアが右手を差し出す。

「そのときは、最高のお祭りにして」

「はい、お約束いたします」

 ルイスはひざまずいて、その手を取った。

「では、お嬢さま、今日はパーティに参加していただけますね?」

「仕方ないわね」

 ルイスの手を借りて、ロレイシアは立ち上がった。

「仕度するから、手伝って」

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いつかの約束 音崎 琳 @otosakilin

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