世界樹が生まれた夏

管野月子

夏至る

 見上げれば、果てしないほど遠くまで続く、鬱蒼うっそうとしたが広がっていた。


「遠いな……」


 日の出から既に三時間あまりが経つというのに、深い森の中にいるような薄暗さがある。今日は一日快晴だというから、これ以上の明るさは望めないだろう。その分、地表は夏日でも、地上三千メートルを超えた枝の上は風が涼しい。

 交換した電池をバックパックにしまった光晴こうせいは、GPS機能で現在地を確認、定時連絡で無事のメールを送信した。側で太い枝に腰を下ろし見守っていた山男風のおじさんが、気さくな声をかけてくる。


「お友達だっけ?」

「同じ高校のクラスメイトです。自宅の店ごと樹に飲み込まれたみたいで、未だ行方不明で……」


 答えた光晴は、枝の根元に湧き出た真水のような樹液をすくい顔を洗う。体についたビー玉サイズの黄色い球体はなかなか取れず、あきらめるしかないと顔を上げた。

 この巨大な樹を登り始めてから五日目の朝、今日こそは見つけ出すのだと気合を込める。


「何てぇの? 俺も気をつけて見とくよ」

「三津谷商店。コンビニじゃなくて、二階建ての鉄筋で」


 スマートフォンに保存していた写真を見せると、おじさんはうんうんと頷いた。

 これは今年の春に店の前で、やはり同じクラスの女子がふざけて撮ったものだ。勝手に人のスマホをいじるなとその場では怒ったが、実はこれが唯一、探している人の姿を写したものになっている。


「この、可愛い娘がねぇ」

三津谷木葉みつたにこのはといいます。怪我か何かで動けないでいるかも知れない」

「わかった、見つけたら君にも連絡を入れよう」

「お願いします」


 手を上げ別れる人に深々と頭を下げて、光晴は頭上を見上げた。






 デビルズタワーと呼ばれる山がある。

 アメリカのワイオミング州北東部にある巨大な岩山で、岩頸がんけいという火道内のマグマが冷えて固まり、侵食で削られ地表に現れた奇怪な形の山だ。有名なSF映画で宇宙船の降りる場所として使われ、広く知られることになった山は、近年もう一つの都市伝説でも話題となった。


 いわく、これは太古の巨大樹の切り株であると。

 柱状節理ちゅうじょうせつりと呼ばれる六角形の柱状の割れ目が植物の筋っぽい事も、切り株のように見える理由となった。山の高さは 386m。もし植物だとしたら、樹高はおよそ 6,000m になっただろうといわれる。実際には重力に逆らって、そんな高さまで水を吸い上げることはできないという話であったが、この常識はくつがえされた。


 温暖化により極近くの棚氷たなごおりが融解するにつけて、今まであり得なかったような植物が発生し始めたのだ。その一つが、かつての東京にあった塔になぞらえ「スカイツリー」と名付けられたこの世界樹である。

 一晩で百数十メートルと成長し続ける常識外れな植物は、根付いた地域の建築物も巻き込んで、あっという間に 4,000m 近い高さに達した。富士山が 3,776m というのだから、いかに巨大か想像に難くない。もちろん直ぐに救助、探索は行われたが、それでも三津谷木葉とその家族の行方は知れなかった。


 ひと月が経って正式な救助は打ち切られ、ボランティアでの捜索が始まる中に光晴は参加した。そして五日目。今はひたすら頂上を目指している。






「くそっ……このルートは花が多い」


 枝にびっしりと白い花が咲いている。雄しべの先には黄色い球体。花粉だ。今のところ人に害は無いようだ、と言われている。数日経てばしぼんで自然と剥がれ落ちるのだが、それまではどうにも取れない。

 この花粉も煩わしいが、何より雄しべが絡みついてくるのが進む足を鈍らせる。

 人の腕ほどの長い雄しべがイソギンチャクのようにゆらゆら動き、一見するとファンタジーに出て来るモンスターのようだ。ナイフで簡単にはらえるのだが、それに気を取られ足を滑らし大怪我する人も多いと聞く。

 思わず引き返し別の枝で登り直そうかと考えたが、そうなると半日以上を無駄にする。


「しかたない……」


 一人呟いて、用意していたナイフで掃いながら登って行く。


 スカイツリーの樹勢はあまり横に広がらず花の形は梅に近い、細い枝先だけでなく太い幹からも開花する。両手のひらより少し大きい花の寿命は短く一日で、直ぐに白く丸い風船のような実をつけた。

 種は小さく発芽能力は無いと専門家は言う。だがその実は万能薬たる可能性があるとして、災害級の巨大樹は無下に焼き払う事もできずにいるのだ。


「くっ……うわぁあっ!」


 雄しべを掃うことに集中するあまり足元が疎かになった。

 数メートルを転がり、必死に立てたナイフが幹に食い込んで体が止まる。体中が痛みに悲鳴を上げるのを堪え、光晴はどうにか体勢を立て直した。

 切れる息を整えようと、比較的花の少ない幹に体を横たえ頭上を見上げる。






 三津谷木葉と初めて言葉を交わしたのは、去年の学校祭の時だ。


 クラスの誰もが認める学年一の美女……の横で静かに笑う少女だった。暗い性格ではないが、右の頬の下から首にかけて子供の頃に負った傷痕があり、初対面なら誰もが思わず息を飲んで距離を取る。

 当時その傷を理由にイジメる者はいなかったが、十代の女の子にとっては、気にせず人と話すにはかなり勇気が必要だっただろう。静かにほほ笑みながら黙々と学校祭準備を進める姿を、いつの間にか目で追うようになっていた。


 祭の前日、木葉が一人で高い場所の作業をしていた時、光晴は居ても立ってもいられず声をかけた。「こんな高い場所、俺がやるから無理しなくていいよ」と。その時木葉は頬を赤くして、丸い瞳を更に丸くしながら返した。


「私! 高いところ大好きだから、平気!」

「怖くないの?」

「うん、いつかスカイツリーのてっぺんに上りたいぐらい!」


 当時、東京スカイツリーの辺りはまだ水没していなかったが、時間の問題だといわれていた。そのスカイツリーの展望回廊に行きたいというならまだわかるが、てっぺんは無理でしょうと、笑った記憶がよみがえる。


 世界樹の頂上に木葉がいると確信がある訳ではない。

 敢えて言うなら直感。木葉と交わした言葉は未来を暗示していたのではないかと、そんな気がしてならないのだ。







 気合を入れ直し、また一人孤独に世界樹を登り始める。


 この枝が正しいとは限らない。むしろ多くの人が捜索したのに見つからなかったのだ、この探索も無駄になるかもしれない。水のような樹液が所々に湧くため補水の心配は無かったが、携帯した食料やGPS機器のバッテリー残量を考えれば今日が最後となる。


「くっそぉぉお!」


 明日は一日で一番昼が長い夏至。だというのに、太陽は無慈悲にも西に傾き始め、手元を徐々に暗くしていく。

 日の入りは午後七時十八分。後二時間あまりしかない。


「このはぁあ!! どこだ! 返事しろよぉ!」


 絡みつく雄しべがうっとおしい。

 足を滑らせればまた遠くなる。いるかもしれない少女の場所から。

 こんな場所まで来て、あきらめる事ができない。




 その時、梢の隙間を縫って風が吹き下りてきた。


 風にのって微かに耳に届く声。

 幹にナイフを立てながらよじ登る。遠く、花の陰から見下ろす小さな影がある。

 間違いない。


「光晴くん!!」


 西日が射しこむ中に、その人はいた。




 探していた三津谷商店は、とんでもない高さまで押し上げられていた。

 住居の一部は倒壊していたが、商品のある店舗部分の造りが頑丈だったため殆どを失わずにいたのである。その店の品と樹液を頼りに、木葉と両親は生きながらえていた。


「お父さんが怪我をして、もう落ち着いたけれどお母さんは高山病みたいになっちゃって……二人を置いて下りる事が出来なかったの。スマホは壊れちゃったし」

「この……三津谷さんが無事でよかったよ」


 三津谷家の無事と現在地を知らせ、明日には救護隊が出ると返事を受けてから、光晴は木葉と枝を上った。見せたいものがあるという。

 通り道となる枝の周囲の花は取り払われ、ところどころに階段状の板を打ち付けている。両親が動けない中、木葉もずっと一人で戦っていたのだ。


「これ、他のとちょっと変わっているでしょ?」


 枝の間をくぐり抜けて行った先、見れば直径一メートルほどの白い王冠のような形の花がある。イソギンチャクのような雄しべが無い。この五日間、登って来た枝や幹の中で一度も見たことのないものだ。


「他は一日で枯れて実になるのに、これはずっと咲いてるの……花、だよね?」


 ううん……と唸りながら見ていた光晴は、ハタと気がついた。


「雌花じゃないのか?」

「めばな……」


 呟いた木葉は何故思いつかなかったのだろうという顔で頬を赤くして、丸い瞳を更に丸くした。試しに光晴の体中についていた黄色い球体をどうにか払って放り投げてみると、王冠状の花びらは瞬く間に閉じていく。

 だが、奇跡はそれだけでは終わらなかった。


 周囲の雄しべのある花も閉じ、ふっくらとした風船状の実を結び始める。そして陽の沈む藍色の空に合わせ、実は、淡い灯火のように発光を始めたのである。


 世界樹の全ての枝に輝く星。


 驚く木葉は光晴の腕にしがみ付いて、震える声を上げた。


「……スカイランタン、みたい……」

「スカイランタン?」

「タイとか、ポーランドが有名! 夏至祭の。テレビとかで見た事ない? 光に感謝して、このぐらいの大きさの熱気球を飛ばすの。空いっぱいに!」


 両腕を丸く囲むようにして見せる。

 そしてもう一度、涙声になりながら呟いた。


「……綺麗……私、生きてこんな景色が見られるとは思わなかった……」


 きっと、ずっと頑張ってきたご褒美だと、思う光晴は遥か地上を見下ろした。


「今頃、下でもお祭り騒ぎになってるぞ」

「ふふっ……最高のお祭りになるかしらね」


 そして先の頂きを見上げてから、光晴に笑いかける。


「ねぇ、まだ、てっぺん目指せるよね!」


 光晴はきっと、木葉のこんなところに目が離せなくなったのだ。

 天に届く世界樹のように高い頂近くで光晴は頷く。新しい世界は始まったばかりだ。


「二人で行こう。この世界樹スカイツリーのてっぺんを目指して」





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世界樹が生まれた夏 管野月子 @tsukiko528

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