夏の祭囃子、春の〇〇祭り
無月弟(無月蒼)
前半シリアス、後半はほのぼの?
夏が来るたびに思い出す。ボクとご主人様が出会った、あの夏祭りのことを。
あの夏の日。いつもは寂れている神社には屋台が並んでいて。夜だと言うのに、まるで昼間のように明るくて。神社は、信じられないくらい多くの人で、ごった返していた。
そんな中、人混みから少し離れた小道で、ボクは一人横たわっていたんだ。
真っ白な体、だけど頭にぴょこんと生えた耳だけは茶色の、小さなオス猫。それがボク。
だけどこの時のボクはとても衰弱しきっていて、まともに歩くこともできなくなっていた。
毎日のように続く猛暑。そしてこの数日の間、ボクはまともにご飯を食べていなかった。
他の野良猫達との獲物の争奪戦に負けて。一度負けたらご飯が食べられないから、体力が落ちて、次もまた負ける。そうして負けが続いているうちに、ボクの体力は限界に達した。
人間達がお祭りで能天気にはしゃいでいる中、ボクの命は尽きようとしていた。
寒気がする。尻尾を体に巻き付けるようにして丸まりながら、ガタガタと震える。
助けを求めて最後の力を振り絞って、ニャアって鳴いたのだけど、それも祭囃子の音にかき消されてしまう。
もういいや。どうせ頑張ったところで、助からないんだ。だったらもう、このまま眠ってしまおう。
そう思って、瞼を閉じたその時……。
「ほら、お食べ」
不意に耳元で、そんな声がした。
うるさいなあ、いったい誰だ?
面倒臭いと思いながらも、閉じていた目を開いたのは、やっぱり心のどこかで死にたくないって思っていたからなのかもしれない。
開いた目に映ったのは浴衣を着た、ショートカットの女の子……いや、女の人かな? 人間の歳なんてよくわからないけど、たぶん二十歳くらいだと思う。
そんな彼女が手にして、ボクに向かって差し出してきているのは……パン?
「今はこんなものしかないけど……食べなさい。それから水も飲んで。でないと、死んじゃうよ」
今にも泣きだしそうなお姉さん。だけど必至で、どこか力強さを感じる声が、耳に届く。
このままじゃ死んじゃう。それくらいボクだってわかっている。だけど、死にたくない。
ボクは差し出されたそのパンに、嚙り付いた。
「食べてくれた……良かった。良かったよう」
何がそんなに悲しいのか、涙ぐむお姉さん。
はっ、もしかしたら、ボクにパンを取られたから泣いているの? そう思ったけど、どうやら違ったみたいで、お姉さんはどんどんボクに、パンを食べさせて、水を飲ませてくれた。
遠くからは依然、祭囃子の音が聞こえてくる。
不思議だ。さっきまでは耳障りが悪いと思っていたこの音が、今ではとてもいい音色に思える。それはもしかしたら、優しい人に出会えたからなのかもしれない。
「お前、野良猫なの? これも何かの縁だから、よかったらうちに来ない?」
「にゃーん」
少しだけ元気が出たボクは、お姉さんの足に体をこすりつける。尻尾をくねくねと動かしながら、ゆっくりと。
お姉さんはくすぐったそうにしていたけど、幸せそうに笑っていた。
これがボクと、ご主人様が出会った日の出来事。あの後ボクは病院に連れて行ってもらって、今ではすっかり元気になっている。
だけどもしもあの日、夏祭りをやっていなかったら、ご主人様は神社を訪れることは無く、ボクはあのまま、力尽きていたに違いない。
だからあのお祭りは、あって良かったって思っている。ボクとご主人様を巡り合わせてくれた、最高のお祭りだった……。
最高のお祭りだった。今はもう、過去形になっているけどね。
これは何も、ご主人様と出会えたことを後悔するようになったとか、そういうわけじゃない。
それじゃあいったいどういう事なのか。答えは簡単、もっと最高のお祭りが、できたということだよ。
あれから季節は何巡りもして、今は春。今年もまた、あのお祭りの季節がやってきたんだ。
「食パンー、食パンどこー?」
ボクは自宅アパートのリビングの隅で丸くなっていたのだけど、ご主人様が呼んでいる。
食パン。それはご主人様がつけてくれた、ボクの名前。と言うか、ボクが勝手に食パンって言葉を聞いたら反応しちゃうから、いつの間にかそれが名前になっちゃったんだけどね。
最初に出会った時にご主人様が食べさせてくれたのも食パンだったし、全身真っ白で耳だけが茶色のボクはちょうど食パンと同じ色なんだから、ボクにぴったりだよね。
おっと、そんなことより、ご主人様が呼んでいる。
ボクは立ち上がると尻尾を立てながらトコトコと歩いていく。
「ああ、こんなところにいたんだ。食パン、ゴハンだよー」
そう言ってご主人様が差しだしてきたのは、パン。何でも体に優しい、減塩パンと言う物らしいけど、美味しいなら何でもいいや。ボク、パン大好きだもの。
ご主人様がくれたそのパンに、夢中になってかぶりつく。
「みゃ、みゃ!」
「こらこら、そんなに慌てなくても、取ったりしないから。落ち着いて食べなさい」
食べるのを止めて、ちょこんと座りながら見上げるボクを、ご主人様は優しくなでてくれる。
細い指が毛並みをなぞってきて、少しくすぐったいけど気持ちいい。
「にゃ~ん」
「ふふ、お前は本当に、パンが好きだねえ。本当は猫にパンって、あんまり合わないらしいけど、放っておくと勝手に食べちゃうから、時々こうして猫用のパンをあげないとねえ。全く、すっかり食いしん坊になっちゃって」
確かに。あの夏祭りの日から数年が経って、パンの味を覚えたボクは、すっかり食い意地が張っちゃっている。でも仕方がないじゃない、美味しいんだもの。
ご主人様はボクの健康を考えて、あまりパンをくれないようにしているんだけど、一年のうちで今、春だけはいつもより多くパンをくれるんだ。だってねえ。
「そうだ。ほら見て食パン。アンタにあげたそのパンについてきたポイントで、ついに20ポイントたまったわ。これで白いお皿がもらえるのよ。春のパン祭り、毎年つい、張り切っちゃうのよね」
ピンク色のシールがいくつも貼られた紙を見て幸せそうな顔になるご主人様。
どうにも人間の世界では春になると、『ヤマ〇キ春のパン祭り』なるものが行われているらしい。
「私だけパンを食べてたら、恨まれちゃうからね。パン祭りの間だけは、いつもよりたくさん、猫用のパンも買わなくちゃ。出費はかさむけど、食パンが喜んでくれるなら、まあいいか」
優しくボクを撫でてくれるご主人様。
それにしても、パン祭りかあ。どいういう物かはよく知らないけど、コッペパンやドーナツを売る屋台がそこら中に並ぶのかな? それとも、巨大な食パンが乗っかったお神輿を担いで、「ワッショイ、ワッショイ」じゃなくて、「パンショイ、パンショイ」って言いながら、街を練り歩くのかな?
人間って、不思議なことを考えるなあ。
けどそのおかげで、ご主人様は春になるとたくさんのパンを買ってきて、パンが大好きなボクも、いつもよりちょっとだけ多めに貰っている。
ボクもご主人様も美味しいパンで笑顔になって、とっても幸せなんだ。
「白いお皿、貰って来たら食パンにも見せてあげるね。アンタ猫のクセに、何故かお皿に興味津々なんだもの」
「にゃんにゃん!」
だって白いお皿、ピッカピカで綺麗なんだもん。ボクも欲しいなあ。
ご主人様、いつか猫用の白いお皿も、貰ってきてくれるよね。約束だよ!
「にゃん! にゃん!」
ピョンピョンと飛び跳ねながら、ご主人様に猛アピール。ご主人様はそんなボクを撫でながら、優しく笑う。
こうしてボク達は春になるたびに、パン祭りを楽しんでいるんだ。
あの夏祭りは確かに最高だったけど、今年の……来年や再来年のパン祭りは、もっと最高になっているはず。ご主人様と一緒にいる時間が長ければ長いほど、最高はもっと最高になっていくんだから。
こうして最高のパン祭りは、年々更新されていくんだニャ🐾
夏の祭囃子、春の〇〇祭り 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
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