最高のお祭り

 一年前――池文は買い物のため家を出た直後に、信号無視の車にはねられた。病院にはこび込まれたときは、全身打撲、擦過傷だらけでひどいものだったと言うが、何よりも深刻なダメージを負ったのは、彼女の両目だった。


「ごめん、約束破っちゃって」


 なのに、病室を訪れたぼくに向かってまずはじめに池文が口にしたのはぼくへの謝罪の言葉だった。バカだと思った。人のことなんか気遣ってる場合じゃないはずなのに、なんでそんなことを言うんだって。そもそも事故にあった日に買い物に出かけたのだって、夏祭りのために浴衣用のかごバッグを買うためだったようだし。責められる理由はあっても謝られる理由なんてひとつもない。


 だからぼくは、それからも幾度となく彼女の病室を見舞った。退院してからも彼女が望むだけ、一緒の時間を作った。


 ――わたしが重荷になるんだったら、置いていって良いんだからね。


 冬のある日、池文は一度だけそんなことを言った。


 ――池文がぼくと会うのを苦痛に思ってるんだったら、そう言って欲しい。そういう言い方で身を引くというのは、ぼくには辛い。


 ――苦痛なんかじゃないよ。逆だから。嬉しいから。だから。


 事故に遭って生活が一変したのは池文だけではなかった。ガイドヘルパーの資格を取ったり、志望校を地元の大学に変えたり、あと、部活を辞めたり。


 ぼくにとっては当然の選択だったけど、それに疑問を呈する人もいる。例えば池文の一番の親友。


 ――あんたの献身は尊敬に値するけどサ。憐みでやってんだったら、いつか潰れちまうヨ。その時にはあとの祭ってやつでサ。だったら、いっときあの娘が傷つくことになっても、別れてやるのが男の甲斐性っヤツじゃネーノ?


 彼女の言うことが間違いだとは思わない。両目の光を失った池文のことを少しの同情心もなく、百パーセントの愛情だけで向き合ってるかと言われれば、ぼくは答えに窮する。これから五年、十年と関係が続いていくとして、いつの日か、同情をよすがにして関係の破たんを乗り切ろうと思う日がくるかも知れない。いつの日か、同情ですら関係の破たんを乗り切れないと結論してしまう日がくるかも知れない。そんな不安を完全に消し去ることはぼくにはできない。でも――。


「ありがとう、神戸君」


 池文がふいに口にした言葉が、ぼくを現実へと引き戻した。


「この一年はなかなかヘビーだったけど、神戸君のおかげで何とかここまでこれたよ。最高の夏祭りをありがとう」


「最高なんかじゃないよ」


 ぼくはかぶりをふって言うと、池文が不安そうに「え?」と言った。しまった。どうしてぼくはこうも口下手なのか。


「二人で見る花火はこれで最後ってわけじゃない。だったら『最高』はのためにとっておこう」


 いつの日か同情がぼくらの関係を押しつぶしてしまうとしても、向こう八十年ほどはそうならないように――池文の親友へのぼくの答えはこうだった。


「そっか。じゃあ、今世紀に入って最高の夏祭りに訂正しよっかな」


「でもって、来年は今世紀最高と言われた2020年に匹敵する夏祭り?」


「ボジョレーヌーボーじゃん」


 ぼくらは笑う。折よく打ち上げが始まったスターマインの輝きが、頬を照らす。祭りはまだ、始まったばかりだった。

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あとの祭り mikio@暗黒青春ミステリー書く人 @mikio

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