恋する乙女はフランス・ギャルになれるか

柚木呂高

恋する乙女はフランス・ギャルになれるか

 世界中で未だに大きな盛り上がりを見せ、年々数を増やしている野外音楽フェスティバル。国内外の多くのアーティストが打ち集うイベントであり、一時に多くの音楽に触れることができ、また独特の祭典的雰囲気が魅力である。国内でもFUJI ROCK FESTIVAL、SUMMER SONIC、朝霧JAM、RISING SUN ROCK FESTIVALなど、様々な音楽フェスティバルが催され、その来場数は十数万に登ることがある。そんな数多くのイベントの中で知る人ぞ知る、招待制の秘密のフェスティバルが存在する。ITAKOCLUBと呼ばれるそのフェスティバルは、嘉月は彼岸入りの三日間、普段入山できない筈の恐山で開催され、年々参加者の人数を増やし、今では日本最高の音楽祭とまで評されている。


 最初は主催者の紹介、或いは招待者の招待のみの小さな規模で行われたこのイベントは、今年で十年目となり、その動員数も凡そ数千人まで増えた。今では多くの協賛を得ており、最初は地蔵殿ステージのみだったところ、今ではクラブミュージック中心の八角堂、チルアウト中心の極楽浜ステージ、認知度は低いがカルトな人気を誇るアーティストが集まる慈覚大師堂ステージなど、恐山全体を使うほどの規模となった。


 私はそんなイベントを開催者側で見守る音楽好きの女の子、棔円香くすのきまどか。女の子と言ったのは、私がまだ十七歳の少女だから。私の中で二十歳を超えた女性は女の子とは言わない。私は今年初めて出演者として参加するイタコだ。そう、この音楽フェスティバルITAKOCLUBは、死んだ音楽家、アーティストたちを降霊させて演奏する音楽祭である。


 今年はマイケル・ジャクソン、ジェームス・ブラウン、シド・ヴィシャス、イアン・カーティス、カート・コバーンから、グレン・ブランカ、ジョン・ケージ、グレン・グールド、オリヴィエ・メシアン、更にはモーツァルトにルソーまで錚々たるメンツが発表されている。そんな中、私の担当はフランス・ギャル。セルジュ・ゲンスブールの作曲でも有名なフランスのYéyéイエイエシーンを代表するスターだ。大好きなフランス・ギャルを自分が担当できるなんて本当に夢のようで、私は緊張よりも喜びでいっぱいになった。


「え、円香、ITAKOCLUB出るの!?凄いじゃない!だってイタコの中でも本当に実力を認められた人しか出られない大舞台。もうイタコ界のスターね!」

「えへへ、毎日修行を頑張った甲斐があったよ。しかも聞いて、フランス・ギャルなの!今は喉を作っているのよ。『娘たちにかまわないで』歌っちゃうわ!」

「いいじゃない!いいじゃない!私もフランス・ギャルは大好きだから見に行きたいな~!今年も招待くれる?」

「もちろん!みんなも連れてきてね!」


 大好きな亮太にも今年は招待状を送っている。出演時間以外は彼と一緒に会場を回るんだ。そしてきっと彼に告白をして一緒になるのだ。フランス・ギャルのかわいい歌に乗せて、彼に愛を送る。完璧だ。私の幸福がこの三日間に詰っていると言っても過言ではない。


 だが人生というものは得てして上手く行かないものである。流行り病が原因で今年のITAKOCLUBは開催を自粛。私の恋の計画がガラガラと音を立てて崩れていく。流行病が何だと言うのよ。恋愛の方が、音楽のほうが命よりも大事なのよ。その日から私は次第に眠れぬ夜を過ごすようになった。


 母親はよく私に言った。イタコは体力も精神力も大きく消耗するのだから、降霊を行うときは必ず良く寝て、正しい精神状態で行うようにと。私もそれを守り早寝早起き、適度な運動を心がけ、心身ともに健やかに過ごし研鑽を重ねてきた。ところがこの一件で私は精神状態が不安定になり、イタコとしての資質が揺らいだ。これは一過性のものであると信じたいが、この挫折でできた心の割れ目で疑念の種はすくすくと育ち、心は黒くくすんでゆき、亮太に好かれていない、友人に笑われているという猜疑心へと姿を変えた。


「私は証明したい。若く最高のイタコであり、亮太にとっては捨て置けない存在であるということを。亮太に振り向いてもらうためには私がフランス・ギャルを降ろせることを見せるしかない。」


 私は追い詰められていた。私がまごまごしている間に亮太は他の女の子と仲良くなってしまうかも知れない、友達は私がイタコをできなくなったと知ったら、つまらなそうに離れていくかも知れない。私の自信はすべてイタコの能力を前に存在していたのだもの。降霊ができなくなったら私はきっと親からも、友人からも見捨てられてしまう。空っぽなのだ。伽藍洞。いずれ私の声は誰の耳にも届かなくなり、本当の孤独になってしまう。嫌だ、嫌だ、嫌だ。私はフランス・ギャルの霊を降ろして亮太に会いに行くことに決めた。


 それからのことは覚えていない。数日が経っているのは間違いがない。私はキッチンで正気に戻った。母親は出かけているのだろうか、しんと静まり返った家の中、夕食を食べたいと思って冷蔵庫を開けると鶏むね肉のような物があったので、それを片栗粉でまぶして照り焼きにして食べた。鶏の肉ではないかも知れない不思議な香りがしたが美味しかった。


 部屋に戻ると見慣れない革細工の小物が増えていた。手袋、ランプシェードやブックカバー。手作り風のそれらはまだ新しく、最近買ったものだということがわかる。私が欲しかったものだ。自分で買ったのだろうか、それとももしかして亮太が買ってくれたのか。私は嬉しくなって亮太に電話をかけるが繋がらない、友人達に連絡をしてもやはり同様に繋がらない。もしかしてフランス・ギャルの降霊は失敗したのだろうか。確かに霊が降りた感覚は覚えている。しかし精神状態や体調が悪くコントロールを失してしまったのは確かだ。何か失礼なことをしてついに見限られてしまったのかも知れない。私は不安になって部屋をうろうろとしていたが、気分を変えるためにお風呂に入ることにした。


 お風呂でお気に入りのシャンプー、洗顔料、ボディーソープで体中を洗っているとその香りで少しずつ気分が紛れてきた。湯船に入ってぼうと床のタイルを眺めていると赤い跡が其処此処にある。こんなものはあっただろうかと思っていると、ふと降霊中の情景がフラッシュバックする。私は亮太にも友達にも会っている。母親に激しく叱られたのも思い出した。叫び声をあげて風呂を上がる。そして体も拭かず濡れた体のままふらふらとした足取りで自室に戻ってランプシェードを見る。まるでこれは……。恐る恐るシェードの裏を覗き見るとそこには小さくイルゼ・コッホとサインが書かれていた。

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