百光年の流れ星

沢田和早

百光年の流れ星

 彼らがその星にやって来たのは今から数百年も前のことだ。

 最初に出会ったのはとある田舎町の農夫だった。早朝、いつものように小麦畑に出かけた農夫は、そこに見たこともない奇妙な構造物を発見した。二階建て家屋のような大きさで、その表面は銀色に輝いている。


「誰がこんな所にこんな物を置いたんだ」


 農夫が近寄ろうとした瞬間、物体の一部が開いた。その奥に何かが立っている。形は人のようだが身に着けているものは服ではなく金属のように見えた。


「な、何者だ、おまえは」


 声を掛けると抑揚のない言葉が聞こえた。


「初めまして。私はこの星の生物ではありません。宇宙から来ました」


 その者は銀色の物体を降りると、ゆっくりこちらに近付いてくる。農夫は悲鳴を上げて逃げ出した。


「大変だ、宇宙人が来たぞ」


 * * *


 宇宙人来訪の話は立ちどころに村中に広まった。数日のうちにその国の全土に知れ渡り、ひと月も経たないうちにその星の全ての人間が知るところとなった。

 地表に降り立ったのは五名。静止軌道上にある母船に二名、合計七名が彼らの全てだった。


「私たちの星は光の速さで百年ほどの彼方にあります」


 彼ら五名と着陸船はその星の中央政府施設に送還され、詳細な聞き取りと調査が行われた。彼らは高度な自動翻訳機を所持していたので、言葉の違いはまったく問題にならなかった。


 最初、役人たちの誰もがたちの悪い悪戯ではないかと疑っていた。なぜなら彼らはその星の人々と姿形があまりにも似ていたからだ。二つある目と耳。一つしかない鼻と口。胴体から伸びる両手、両足。身体の基本的な作りはまったく同じだった。偶然にしては出来過ぎている。


「まだ信じてはもらえていないようですね。しかし、この星にはこのような乗り物はないでしょう」


 役人を信じさせるために彼らは着陸船を使った。音もなく浮上し、滑るように空中を飛行する銀色の物体。公開された内部の精密機器。その星の技術では到底作り得ないものだ。彼らは紛れもなく他の星からの来訪者であると誰もが信じるようになった。


「私たちは冒険者です。この宇宙における孤独な存在ではないことを証明するために旅を始めたのです」


 高度に発達した科学技術によって亜光速エンジンを手に入れた彼らは、生命の存在を信じて宇宙へと旅立った。

 空しく暗黒を進むだけの旅は何十年も続いた。やがて長旅による劣化と度重なる不慮の事故によって宇宙船には致命的な損傷が発生し、もはや元の星へ帰還することも現在の状態を通信によって報告することも不可能な状態に陥った。彼ら全員が自分の最期を覚悟した。


 神懸かり的な偶然が起きたのはそんな時だった。彼らの星と重力や大気組成がほぼ同じ星が見つかったのだ。


「この星なら生命の存在さえも期待できる」


 彼らは最後の賭けに出た。残された宇宙船の全機能を駆使して接近を試みたのだ。幸運の女神は彼らに微笑んだ。首尾よく着陸に成功したのだ。

 期待通り別の生命体に出会えた彼らの喜びは想像に難くない。話を聞かされたその星の人々も心からの祝福を捧げた。


「皆さんに出会えたことで旅の目的は果たせました。ただそれを私たちの同朋に知らせられないのが何とも口惜しいのです。元の星に帰還することは諦めましたが、せめて通信機器だけでも修理して、この喜びを故郷の仲間たちに知らせたいのです」


 彼らの申し出は快く引き受けられた。直ちに修理に必要な技術の供与と教育が始まった。

 作業は困難を極めた。その星の文明はようやく蒸気の力を利用した始めた程度でしかなかったからだ。電子部品ひとつにも莫大な技術の蓄積がある。それを一から作らねばならない。波動方程式を解くために九九から教えるようなものだった。


「このマークは何ですか」


 着陸船や自動翻訳機だけでなく彼らが日常的に使う紙や筆記具には必ずあるマークが付いていた。ある時、その星の一人が尋ねると、


「それは私たちの星では幸運のシンボルとして使われているデザインです。私たちをここに導いてくれたのはそのマークのおかげです」


 と笑って答えてくれた。どれほど文明が発達しようと非科学的な迷信は存在するようだ。


 彼らとともに作業をするうちに、もう一つ気づいたことがあった。何もかもがゆっくりなのだ。彼らは一日に一度しか食事をしない。食べない日もある。眠るのは四日に一度。そしていったん眠ると一日中眠っている。全ての生活リズムが間延びしていた。


「ああ、それは私たちの星とこの星では時間感覚が異なるからですよ」


 彼らの星の自転周期はその星の四倍。公転周期も同じく四倍。つまり彼らにとっての一日はその星の四日であり、彼らにとっての一年はその星の四年なのだ。


「この星の数え方では私たちは全員二百才を超えています。もっとも私たちの数え方ではまだ五十代ですけどね」


 そう答える彼らの顔は十代の少年のように生き生きしていた。


 通信機器の修理は遅々として進まなかった。

 彼らがその星に来て半年ほども経った頃、空に奇妙な星が出現するようになった。最初は小さかった謎の星は日を追うごとに大きくなっていった。同時にその星の気象に異変が起き始めた。局地的な大雨や暴風。冷害や日照り。それらを原因とする洪水や不作。人々に間に動揺が広がった。


「それは本当なのか」


 突如出現した謎の星の調査のために母船に戻っていた彼らからの報告で、その星には重大な危機が迫っていることが判明した。


「あれは近傍小惑星です。これまではこの星と一緒に公転していたのですが、どうやら衛星軌道上に乗ってしまったようです。しかも計算によれば間もなくこの星に落下するようです」


 小惑星の大きさはひとつの国に匹敵するほど巨大なものだった。もし落下すれば多くの命が失われるのは確実だった。


「できるだけのことはしてみます」


 彼らは全員母船に戻った。その星の人々はただ祈るしかなかった。

 彼らが地上を去ってから十日ほど経ったある夜、おびただしいほどの流星が夜空から降ってきた。ついに小惑星が落ちたのか、誰もがそう思った。しかし違った。流星が終わった時、小惑星の姿は空のどこにも見当たらなかった。あの流星は破壊された小惑星の破片だったのだ。


「彼らが、あの人たちが、やってくれたんだ」


 その星の人々は歓喜した。彼らを歓迎するために着陸船の帰還予定地には毎日大勢の人々が詰めかけた。

 しかし彼らはなかなか帰ってこなかった。ただ待つだけの日々が何十日、何カ月と過ぎていき、その星の人々はようやく悟った。彼らは母船を犠牲にして小惑星を破壊してくれたのだ、と。我々のために彼らの全てを、彼らの命さえも投げ出してくれたのだ、と。


「感謝の言葉を伝えることすらできなかった……」


 地上には壊れた通信機器と彼らが残した膨大な書類や文献が残された。しかし彼らがいない今、通信機器を修理したところで何の意味があるだろう。その星の人々はやる瀬ない思いで彼らの形見の品を眺めるだけだった。


 彼らの記憶は日が経つにつれ徐々に薄れていった。二年が過ぎ、三年が経ち、四年目に入った日、突然夜空に眩いほどの流星が出現した。


「これは、まるであの夜と同じじゃないか」


 その星の誰もが驚いた。その日はちょうど四年前のあの日と同じ日付けだった。何か意味があるのだろうか……その疑問はすぐ解消された。燃え尽きずに地上に落下した流星の破片が発見されたのだ。その破片には彼らが「幸運のシンボル」と呼んでいたマークが描かれていた。


「小惑星や母船はまだ存在しているのではないか」


 完成したばかりの大型望遠鏡が流星の発生源へ向けられた。小惑星はあった。ただしそれは粉々に粉砕された小石の集団となっていた。

 彼らは小惑星が飛び散らないように特殊な方法で破壊したのだ。その結果小惑星は小石の集団となり、彼らの母船の破片とともに公転軌道を周回し始めた。ただその軌道は著しく偏った長楕円なため、四年に一度だけ大接近しその一部が流星となって落下するのだ。


「彼らはまだこの星を見守ってくれているのか」


 忘れていた感謝の思いがよみがえった。何の関係もない、こんな宇宙の片隅で偶然出会っただけの存在。そんな取るに足りない我々を彼らは命を懸けて救ってくれた。そして命を失くした今でも宇宙を漂いながら我々を見守ってくれている。

 彼らの思いやりの心を忘れてはいけない。まだ我々にできることはある。彼らは最後まで通信機器を修理しようとしていた。それを引き継ぐことこそ彼らへの感謝につながるのではないか。


 その星の人々は四年間放棄していた作業を再開した。残された文献のほとんどは理解不能だった。何カ月もかけて一ページも読み進めないこともあった。しかし四年に一度発生する流星がその星の人々に力を与えてくれた。

 彼らが守ってくれたこの命は決して無駄にしない。彼らへの感謝の気持ちは絶対に忘れない。四年に一度の流星は挫けそうになる心を励まし、諦めかけていた気持ちを奮い立たせてくれた。


 そうして何百年もかけて、ようやく今日、その星の人々は通信機器の修理を終えた。送信するデータは彼らが書き残していった彼らの星の言葉だ。


「それでは開始します」


 ボタンが押される。巨大な送信アンテナが夜空に向けられる。今夜は四年に一度の流星の日。降り注ぐ星の光は百光年先からやってきた彼らの母船の光。その光をさかのぼるように彼らの言葉が光となって夜空を突き進んでいく。


「無事に届くかな」

「届くさ。渡り鳥が再び故郷へ帰っていくように、この光もまた故郷の星へ帰っていくんだ」


 送信したデータが彼らの星に届くのは百年後。ここにいる者は誰一人その結果を知ることはできないだろう。それでもその星の人々は満足だった。ようやく彼らの恩に報いることができた、誰もがそう思っていた。

 四年に一度の流星の光がその星に降り注ぐ。それはまた百光年の彼方からやってきた彼ら七人の慈愛に満ちた光でもあった。


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