歌う宇宙船とマチコさん
長埜 恵(ながのけい)
第1話
宝石箱をひっくり返したような銀河が空を彩る。
万年夜のその人工星には、たった一人だけ住人がいた。
「おおーい、“歌う宇宙船”や! こっちだよ!」
今や一本になったバネの腕を懸命に伸ばし、住人は小型の宇宙船を呼ぶ。その声を頼りに、四角い宇宙船は小さな星の表面に砂を巻き上げて着地した。
「往来、往来、ありがとう」
「マチコさん、オーライは“オールライト”という英語で、“往来”ではありませんよ」
プシューと風船の萎むような音を立てて、ハッチが開く。中から出てきたのは、宇宙服を着込んだ一人の青年。
“マチコさん”と呼ばれた住人は、コロコロと美しい声を上げて笑った。
「アンタぐらいしか聞く人はいないだろ。なら気にする必要はないさ」
「そんなことはありませんよ。いずれ地球にだって帰ることができるかもしれません」
「ハハハ、歌ったこともない“歌う宇宙船”の船長が言っても、説得力は無いねぇ」
オイル不足なのか、笑うたびに関節がギシギシと軋む。青年はマチコさんの背の高さに合わせて屈み、そこを撫でた。
「オイルを足して、バッテリーは交換した方がいいですね。あと、音を聞く限り一部断線しているようですが、何か異常は出てません?」
「うーん……あたしゃ動けてるけどねぇ」
「あ、分かった、モニターだ。マチコさん、なんで教えてくれないんです。貴女今半分見えてないでしょう」
「そんなこと言われたって、ここはずーっと夜なんだ。全部見えてようが半分だけだろうが、そう変わりゃしないよ」
「まったく」
青年は機械的な音声でため息をつき、マチコさんの背の一部を外してバッテリーを丁寧に取り外す。慣れた作業とはいえ、青年はあたかも“人”に対してするようにそれを行なっていた。
彼女の名前は、“MC25764398”。
地球の科学者が人工星を管理する為に送り込んだ、自立型ロボットだった。
「……アンタとも、長い付き合いになるねぇ」
「そうですかね」
作業の手を止めず、青年は受け答えをする。
そんな彼に、マチコさんはしみじみと言った。
「そうさ。四年に一度、アンタがここに来る。そうして、あたしの体のメンテナンスをして去っていく」
「ええ」
「あたしゃそれが楽しみでねぇ。こんな体だ、家族なんて望むべくもないんだけどさ。それでも、アンタのことはなんだか自分の子供のように思ってたよ」
「……」
「もう、出会ってから八十年にもなるんだねぇ」
マチコさんのくすんだ体に、いくつかの星の光が反射する。それで手元が狂わないよう、青年は目に保護カバーをかけた。
「アンタ、ヒューマンなんだろ?」
「はい」
「なのに会った時からちっとも姿が変わりゃしない。あたしゃ少し妬いちまうよ」
「なんの、まだまだ。マチコさんはお綺麗ですよ」
「綺麗なのは声だけさ。あとはまるごと古びちまってる」
背中を閉じ、今度はつるりとした鈍色の後頭部を開く。マチコさんの声が、前の口部分からではなく開いたそこから聞こえてくるようになった。
「……この星は、もう終わりだってさ」
その一言に、初めて青年の手が止まる。しかし、マチコさんはそれに気付いていないようだった。
「新しい星が誕生して、ここは役目を終えたんだと。だから、最後にあたしが片付けてやらないといけない」
「……そうですか」
「ああ。色々準備もあるから、二年後ぐらいかね? とにかく、アンタがこの星に来るのはもうこれで最後だ」
「……」
「寂しいかい?」
からかうように、マチコさんは尋ねた。対する青年は、存外素直に頷く。
「マチコさんともうお喋りができないのは、悲しいです」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃないのさ」
「本音です」
「そんなダミ声にでも、言われりゃ惜しくなっちまうもんだねぇ」
「……一年後に、マチコさんだけでも迎えに来ます」
「やめときな。あたしゃもうポンコツさ。そうでなくても体に爆弾を入れ込んでんだ」
千切れていた線を見つける。少し躊躇った後、青年はそれを直そうと手を入れた。
「あたしは、この星を見る為、そして、壊す為に作られたんだ」
「……」
「それじゃあ、なんで余計な人格までつけられたのかって話だけどね」
マチコさんの片腕が、ギシリと鳴る。
「それは多分、アンタの為だったんだろう?」
――たった一人で、宇宙のあちこちに散らばった人工星の監視ロボットのメンテナンスをする修理人。
広すぎる宇宙で、地球を離れ続ける彼らの孤独を慰める為。彼らの話し相手となる為。
わざわざそれだけの為に、彼女ら監視ロボットには人格がインプットされていたのだ。
宇宙服の青年は、機械の声と共に頭を下げた。
「……すいません」
「なんだい、しおらしいねぇ。気にしちゃいないよ。言っただろう? アンタを子供のように思ってると」
「……でも」
「ところでね、あたしゃアンタにあげたいものがあるんだ」
マチコさんは、伸ばした腕を開きっぱなしの後頭部に突っ込む。そこを探り、とある小さな機械を取り出した。
「アンタ、喉が潰れてんだろ?」
機械から、マチコさんの美しい声が流れている。
「今の壊れた音声機を外して、これに取り替えな。そうすりゃ、今よりはいい声が出るようになるさ」
「けれど、そうしたらマチコさんの声が」
「構やしないよ。どうせアンタぐらいしか話し相手はいなかったんだ」
ほんのりと温かな手が、宇宙服の手に機械を握らせる。しかしそれでも青年は、首を横に振った。
「僕ではマチコさんのように上手く歌えません」
「なんだい、そりゃ」
「僕は、マチコさんの歌が好きでしたから。だから、これは預かれません」
「……まったく、仕方ない子だねぇ」
しばらく、辺りに沈黙が漂った。
しかし数秒の後、世にも素晴らしい歌声が青年の手のひらの上から流れ始めたのである。
降るような星空の下で。果てしない静寂だけが支配する小さな星の上で。
青年が幼い頃に聴いたという歌を、唯一の住人は真心を込めて歌い紡いだ。
――まるで、母が子供にそうするように。
そして、そんな夢のような時間が終わった後。
マチコさんは、ブチリと音声出力装置を引きちぎった。
「……」
もう二度と喋れないお喋りな彼女は、青年の手を優しく撫でる。それでようやく、青年は首を縦に振った。
マチコさんの後頭部を閉め、彼は立ち上がった。
+++
その二日後。
とある人工星が爆発したとの情報が青年の元に入った。
その宇宙船に流れるは、美しきアヴェ・マリア。四日に一回の巡回先を失った青年は、新しく作られた人工星の元に向かっていた。
「……ええ、分かりました。次の方の名は、サリーさんというんですね」
喉を潰された青年の宇宙船は、マチコさんだけでなく無数の声で溢れている。
たくましい男の声も、気弱な青年の声も、柔らかな女の子の声も。
そのどれもこれもが、ロボット達から捧げられたものであった。
「……」
アヴェ・マリアの歌声に、操縦席の青年は祈る。
――どうかせめて、この場所では彼女が一人ぼっちでいなくて済むように。
もう二度と、誰もいない世界で歌うことがないように。
喉の潰れた修理工の乗る宇宙船は、今日も無数のロボットの歌声に満ちている。
そうして彼は、無限たる星屑の海をひたすらに走っていくのであった。
歌う宇宙船とマチコさん 長埜 恵(ながのけい) @ohagida
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