「KAC20201」四年に一度のカツレツ
三文士
第1話 四年に一度のカツレツ
古い目覚ましが鳴っている。いつもの偏頭痛を感じながら目を開けた。
午前6時ちょうど。1秒だって狂わない体内時計。もう何十年もこの時間に起きている。
ベッドから起き上がりシャワーを浴びに行く。
それからコーヒー。豆は近所の専門店で買ってウチで挽いている。コーヒーの香りは鮮度が命だ。鮮度が落ちれば香りは死ぬ。だから少量ずつ買って飲む分だけ挽く。
朝はたっぷりのミルクを入れて飲むのが好きだ。空きっ腹にカフェラテが流れ込むと身体が準備運動をはじめるのが分かる。
「よし。今日もやるぞ」って。
コーヒーを飲み干したら市場に出かける。それが仕事のはじまりだ。店で出す料理の食材を買う。
ウチは町のはずれで小さなリストランテをやっている。客席はたった4つのごく小さな店だ。店員もあたし1人だけ。それで十分まわる。これで結構繁盛してる。
「おはようエメリー。今日もいつも通りだね」
「おはようおばさん」
野菜売りのおばさんと挨拶を交わす。毎日の食材はここから買う。
「レモン2個とキャベツ1玉ちょうだい」
「それだけ?」
「うん。今日は貸し切りなんだ」
「へえ。珍しいね」
「うん」
ウチは滅多に休まない。貸し切りもやらない。
「特別なお客さん?」
「まあね。4年に1度なんだ」
「4年に1度?」
そう。ウチには4年に1度しかやって来ない客がいる。
いつも必ず4年に1度。そして、必ず深夜に1人でやってくる。
「それで?何を作るんだい?」
おまけに頼むメニューも同じだ。違うものは決して頼まない。
「カツレツ」
そのあと肉屋に寄って、上等な仔牛の肉を買った。
まず午前中を使って店の掃除をしたり装飾を変えたりした。
簡単な昼食を終えたあと、いよいよ下ごしらえにとりかかる。
カツレツは卵とパン粉が大事だ。卵はごく新鮮なのものを使うし、パン粉も近くにある評判のいいパン屋で買ったものを用意している。
仔牛の肉に岩塩、こしょう、それからイタリアンパセリなどの様々なハーブを練り込んでしばらく寝かせておく。
その間にキャベツの甘そうな部分だけを千切りにして軽く水洗いする。水に浸しておく連中もいるがウチではやらない。キャベツの甘みが水に逃げちまうから。そんなことしなくても新鮮なキャベツは十分に甘くてみずみずしい。
レモンは串切りにカットしてキャベツの隣におく。コイツはキャベツにかけて食べるのだがその際に使う用で、ビネガーとオリーブオイル、岩塩とこしょうを混ぜたドレッシングもかたわらに添える。
古い時計が真夜中の少し前を刺したらいよいよ調理とりかかる。
寝かせておいた肉を取り出し卵、小麦粉、パン粉の順番で衣を着せていく。その際に、あまりギュウギュウと押さえ込み過ぎてもよくないが、柔な手つきでやり過ぎるのもダメだ。ここが第一の難関であり、カツレツを上手く仕上げるポイントのひとつでもある。
この衣も、ただのパン粉だけではない。ハーブと岩塩とこしょう。それから粉チーズをたっぷりいれて下味をしっかりつける。チーズを入れなきゃカツレツは絶対に美味くない。
準備ができたらフライパンに油を入れ火にかける。この際、オリーブオイルを使うがあくまで少量で揚げる。焼く時よりは多く、揚げるよりは少なく。この配分も難しい。多すぎると油こくなるし、少な過ぎても美味く揚がらない。
油が熱くなったらカツレツを入れて揚げはじめる。たまにひっくり返しながらスプーンで油をかけて満遍なく揚げていく。
注意しなくてはいけないのがチーズが衣も入っているので普通のよりも焦げ易い。火加減は特に気をつけなくてはいけない。
衣が少し濃い狐色になったところでカツレツを引き上げる。
カツレツはこちらで切ったりせずそのまま出す。余熱でちょうどよく肉に火が通るためだ。そこまで見越して揚げておく。
キャベツとレモンを添えた皿にカツレツをのせたところで、時計がちょうど真夜中を知らせた。
生暖かい風が店中に漂い、背筋がにわかに寒くなる。
「コイツだけはどうにも慣れないね」
カツレツを真ん中のテーブルに置き、そこから離れた奥のテーブルの椅子に腰掛け煙草に火をつける。普段、煙草は吸わないんだけどこの時は別。吸わなきゃやってられない。
4年に1度やってくるその客は、特別なんだ。ごく特別な客。
音もなく扉が開いて、宵闇と共に男が入ってくる。
「いらっしゃい」
呼びかけに応えもせずに男は真ん中のテーブルにつく。
気配がまるでない。まるで影、そのものだ。
用意しておいたカツレツによく合う赤ワインを取り出してグラスに注ぐ。
男はひと口ワインを啜り、そしてナイフでカツレツを切り口に運び出した。
男は黙々とカツレツを頬張っていく。たまにレモンを絞ったキャベツを食べる。ドレッシングは使わない。
その様を眺めながら黙って煙草を燻らしていたが、手には汗をべっとりかいていた。認めたくないけど、緊張しているんだ。
10分ほどで男は全て食べ終わり、グラスに入ったワインも全て飲み干した。
挽いておいた豆で淹れた濃い目のコーヒーをそっと出す。男は静かにコーヒーの香りを嗅ぎ、ブラックのまま飲み始めた。
「それで、どうだった?」
意を決して言葉を発した。熱いものが喉から胃まで通り抜けていく気がする。
男はしばらく黙っていたがやがてコーヒーを置いてテーブルの上で手を組んだ。
「コーヒーがな」
「え?」
男の声は地響きのように、しかし静かに重く発せられた。
「コーヒーの香りがイマイチだった。あと付け合わせのドレッシング、アレも要らない」
しばらく開いた口が塞がらなかった。
「それだけ?」
「なに?」
「それだけかって、言ってんの。カツレツは?肝心のカツレツは?」
男は鼻から僅かなため息を漏らすと、席を立ち上がった。
「いいんじゃないかギリギリ及第点だ」
そして来た時と同じように音もなく闇と共に去っていった。
「いいんじゃないか……だと?」
感情が抑えられず目の前にあったコーヒーカップをドアに向かって投げつけてしまった。
「もう2度と来るな!一生墓の下で寝てろクソ親父!」
かの男は先代の店のシェフ。つまりあたしの親父だ。16年前に死んでいる。
さっきまで来てたのは親父のゾンビというか幽霊というか。なんだか分からないけどとにかくこの世のものではない。
最初に来たのは死んだ次の日だった。その時は腰が抜けるほど驚いたけど、親父は生きてる時と何ひとつ変わらず「カツレツ」とだけ言った。
焦った手つきで間に合わせで作ったカツレツは酷いもので、見た目からすでに失敗していたと思う。
親父はそれを見てひと言。
「また4年後の同じ時間に来る。それまで店でカツレツは出すんじゃねえ」
カツレツは店の看板メニューだ。だから親父死んで以来、カツレツは出せなくなった。
それからというもの親父はきっかり4年毎にカツレツを食べに来た。毎回毎回カツレツにイチャモンをつけては帰っていく。
「クソっ、本当に腹が立つ。クソ親父!」
後片付けをしながら呪いの言葉を吐きまくっていたが、ある事に気がついた。
「あれ。及第点……て言ってたか?」
怒りで真っ白になっていた頭が徐々に落ち着いてきた頃。親父の言葉を思い出していた。
いいんじゃないか。ギリギリ及第点。
つまり。それは親父なりに、美味かった、という言葉であった。
「馬鹿だなあ。本当に素直じゃない……馬鹿な親父」
次の日から、16年ぶりに、カツレツがウチのメニューに復活することになった。
1度親父に聞いたことがある。なんで4年に1度しか来ないのか、1年に1度じゃダメなのかって。
すると親父は例の無愛想な顔を歪めてこう言った。
「お前は子供の頃からおぼえが遅かった。人が1時間かけてやることを4時間かけてやる。だが、人よりも10倍優れたものを作れる。お前はそういう奴だからだ」
今思えば、これは修行だったのかなと思う。頑固なクソ親父兼、シェフからのあたしへの最後の修行だった。
ありがたいことに、カツレツの評判は今のところ悪くない。
ありがとう。お父さん。
また4年後に、美味しいコーヒーを淹れて待っています。
了
「KAC20201」四年に一度のカツレツ 三文士 @mibumi
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