『魔法少女ココナッツ☆ココナ! 大変大変! 最初で最後の誕生日会! の巻』

吉野奈津希(えのき)

『魔法少女ココナッツ☆ココナ! 大変大変! 最初で最後の誕生日会! の巻』

 『魔法少女ココナッツ☆ココナ』は俺が人生で初めて「萌え」という概念を与えられたヒロインで閏年の誕生日であり魔法少女の悲しい宿命が故に四年に一度しか歳を取ることが出来ない。ココナに心の底から惚れ込んだ俺はココナが好きすぎて三回大学を留年する。

 俺がココナに惚れ込んだのは今でも忘れもしない夏の日だ。その日は真夏日だというのに冷房が壊れてしまって夏休みだというのに友達もいないのでやることがない俺は母さんが買ってきたチューペットを咥えながらブラウン菅のテレビをダラダラ見る。

 暑さで何もやる気がしなくて、かといって暇な感情は消えずチャンネルをぐるぐると回して余計に暑くなって「ぐええ」なんて言ってもう吸い尽くしたチューペットをおしゃぶりみたいにしゃぶり続ける。

 夕方六時、晩飯前にそろそろテレビの前にいるのもやめようかな、と考えた時俺に衝撃が走る。


 ——俺はその日、運命と出会う。


『魔法少女ココナッツ☆ココナ! 今日もあなたに南国よ!』


 当時の夕方アニメにしては攻めているとしか言いようのないキンキンの萌えボイスで聴いた瞬間俺の脳髄は打ち倒され、粉々に粉砕され、ミキサーにかけられ、シェイクされ、トロットロのスムージーになって血管に流れ込み心臓が俺の脳髄出会ったものを体の隅々にまで届け歌詞の最初の一節を聴き発狂する。視覚はココナの南国であるが故のパイナップルみたいな配色と小麦色の髪の毛に支配されて俺の眼球は宇宙にまで拡張される。IQを常人のマイナス数十倍にしても思いつかないような狂った歌詞とセリフが過剰に入った電波ソングOPと本編の内容と欠片も一致しないアニメーターのやりたいことを詰め込んだようなカット演出に俺の未知に対しての耐性は容易に崩壊してスパークする。

 その瞬間、俺は宇宙の真理に到達する。人類が繁殖のために設定された性欲のような下世話な欲望ではなく、人類が理性で駆動し、人類は知性があるが故に人類であるという証明の知覚。常人が目覚めぬ第六感。


 ——萌え。


「お、おおおおおお、おおおお!」


 俺は絶叫する。晩御飯を作っていた母さんが「うるさいよ!」と注意するがテレビに釘付けの俺にはそんなことは通用しない。

 人は真に『萌え』を知覚した瞬間「萌え〜」なんて悠長な発言はしない。発狂する。

 俺は神の存在を認識している。俺が、俺こそが、究極の人間だ!

 それから俺は『魔法少女ココナッツ☆ココナ』の虜になる。父親が契約していた当時はまだ珍しいインターネットの使い方を「勉強のため」と理由付けしてココナのために電脳空間を駆けずり回る。当時はまだビデオが主流で、インターネットで動画なんて当時の回線速度では見れる時代ではないので俺が見ていない過去の回はファンサイトをめぐり、レビューを読み漁り、匿名掲示板の感想をむしゃぶり尽くして補完する。

 愚鈍で愚かな学校の人間共はココナの価値なんてわかっておらず、ココナにより与えられる人類の救済を無視してサッカーや野球という蛮族の遊び耽っている。

 俺はココナに惹かれていた。ココナだけが宇宙のすべてだった。そのために生まれてきたのだと俺は確信を持っていた。

 『魔法少女ココナッツ☆ココナ』は一見すると萌え要素だけで構成されたようなキャラクターデザインだがクリエイターの全てが注ぎ込まれた作品で、聖書の引用から哲学、物理学に及び、シュレディンガーの猫や特殊相対性理論までが設定に組み込まれた怪作で俺はなおさらココナにのめり込んでいく。

 俺が何より引きずり込まれたのはココナの宿命だった。

 ココナが魔法少女となる運命に引きずりこんだココナッツ星人の住むココナッツ星は地球と遠く離れていて、地球との時差は四年であるものだから閏年が誕生日のココナは憎きココナッツ星人たちの超科学四大文明魔法力によって閏年の誕生日に正確に至るまで一切の成長が出来ないようになってしまう。それ故にココナは魔法少女になった時は俺と同じ小学六年生の十二歳であるというのに、友人たちと徐々に時間が離れていく。

 周囲が中学校に行ってもココナは小学生の外見のまま中学校を過ごす。高校になると外見の違いから周囲との軋轢が生まれ、孤独になる。幼い頃から恋をしていた幼馴染には歳を取らないココナの在り方が奇妙と言われ失恋する。ココナは孤独だった。俺もまた孤独だった。俺だけが『魔法少女ココナッツ☆ココナ』という作品を、ココナという個人の孤独を理解して、分かち合い、癒してあげられると確信した。いや、信じていた。俺は涙をボロボロと流し、時には絶叫しながら毎週同じ時間にテレビを独占し、録画したビデオテープが擦り切れるまで見返し、セリフや設定サブタイトル、作画スタッフに至るまで暗記した。

 ココナのことを考えると心が安らげるし、現実がダメになっていくほどココナの孤独に寄り添える気がした。

 でも現実は無情で『魔法少女ココナッツ☆ココナ』は半年で打ち切られる。ココナは大衆に理解されなかったのだ。

 許せない、許せない許せない許せない許せない許せない!

 俺はココナの素晴らしさを、美しさを、愛をこの世に保全することに決めた。他の誰もが語らずとも俺だけは『魔法少女ココナッツ☆ココナ』に殉じようと決めた。

 他の人生の何もかもが適当になった。俺からすればそれは人生ではなかった。俺は学業をおろそかにし、友人も作らず、恋もせず、部活にも入らず、なんとなくFラン大学へ行き、家でひたすら『魔法少女ココナッツ☆ココナ』を見た。

 俺は三度の留年で心が折れて休学して、うつになる。薬と共に現実逃避に飲む酒で頭は本当にぶっ壊れて昼夜がない生活になる。このまま死んでしまうと思ったけれどもそれすらもいいような気がした。

 向精神薬をウィスキーで流し込んで倒れこむ。

 尿を入れたペットボトルが散乱している自分の部屋でモニターからリピートで流れるココナだけが俺の時間の感覚だった。ココナを太陽にして俺は生きていた。


「ココナ、俺だめだよ。もう無理だ」


 本当は、わかっていた。

 ココナと俺の孤独は違う。ココナは俺と、違うことを。

 ココナのように友人もいない、明るくもない。人が嫌いだから片思いすら満足に出来やしない。俺のココナへの感情は逃避で、俺がただ自分の感情を慰めるだけにココナを好きになっただけで、俺は本当にどうしようもない人間なのだ。

『魔法少女ココナッツ☆ココナ』を現在、識者が振り返った感想はこうだ


「衒学的に用語を散りばめただけの製作者のオナニー駄作」


 俺と同じくらいに、俺が愛した作品は駄作だった。

 このまま死ぬのかな。そう考えながらモニターに映るココナを見る。駄作と言われようと、誰にも認められず愛されなくてもココナは人々を助けようと手を伸ばし続ける。


 その時、俺の目に映る世界に新しいものが生じた。

 サブタイトルに俺が今まで見たことがないものが出る。『ココナの誕生日会』と題されていてそんな話は存在しない。俺の知らない『魔法少女ココナッツ☆ココナ』が始まる。

 ココナが部屋で誕生日会の支度をしている。ココナは誕生日会の主賓なのに。そして長すぎるくらいの尺を取って誕生日会の支度を終えたココナが、あの日、あの時と変わらぬ声形でこちらに向かって手を伸ばす。


『誕生日おめでとう。あなたが生まれてきてくれて、今日まで私と生きてくれて本当に嬉しいよ』 


 違う、違う。この誕生日会はココナのだ。閏年の誕生日である俺じゃない。ココナのだ。


 ——思い出す。俺がココナに惹かれた瞬間を。


 OPの歌詞を思い出す。「四年に一度の誕生日だけど、さみしくないわへっちゃらよ」その瞬間に俺はココナとの感覚がシンクロし、萌えを知る。


「違うんだ、ココナ。俺は何にも積み上げちゃいないんだ。大学も三留して休んでる。ココナを好きなのもきっと嘘なんだ。言い訳なんだ」


 俺は何にもない。何も。何も。


『それでも』


 ココナは笑って、言う。


『私を愛してくれたじゃない』


 ココナの必殺技バンクが流れ出す。_心から南国気分を失った悲しき人々を南国の優しさで包み込む愛の技。人を救う、愛の、御業。


『ココナ~☆チャージ!』


 光がモニターから溢れ出して俺の部屋が包まれる。俺が優しさに包まれて回復していく。俺は大きな声で泣く。


 ——萌とは草木が芽を出すことである。

 俺の心に何かが湧き上がっていく。


 いじめられていた。筆箱を壊されて帰った時、ココナは慰めてくれた。シカトされていた。孤独でいても生きていていいとココナは言ってくれた。「とび降りろ」と教室で言われた。そんな悪に屈する必要はないとココナは言った。

 ココナはろくでなしを救い、笑顔の価値を説いた。

 恋を、友情を失っても、やり直せると希望を説いた。


 ——あの日、俺は運命と出会った。


 あまりの眩しさに目を開けた瞬間、俺は両親に抱きしめられる。父親も母親も泣いていて、「よかった、よかった」と言っていて俺は救急車に乗せられて搬送される。

 酒と薬の中毒で死にかけた俺は一週間病院でお世話になって退院する。


「どうもお世話になりました」


 病院で髭を剃って、お風呂に入り、両親の迎えの車に乗って家に帰る。

 このままどうなるのだろう。俺も両親も無言が続いたその時、ラジオが曲を流し出す。


『魔法少女ココナッツ☆ココナ! 今日もあなたに南国よ!』


 OPのセリフが流れ出す、後に俺は知るがそれは懐かしのアニソン三昧でココナのOPが流された時だった。

 俺は椅子に座りながら号泣する。


「ココナ、俺やり直せるのかな」


 ラジオの曲が応える。二番サビ前のBメロだ。


『時間の流れが狂っても、私がいるわ大丈夫』


 俺はやり直す。家に帰り親に頭を下げて復学する。三年の月日はなかなかに重いがココナとは一歳も離れていないズレでしかない。

 俺は自分の部屋を出る、家の扉を開けて大学へ向かう。


『いってらっしゃい』


 他の人には聞こえぬ声が俺の背中を支えてくれた気がした。〈了〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『魔法少女ココナッツ☆ココナ! 大変大変! 最初で最後の誕生日会! の巻』 吉野奈津希(えのき) @enokiki003

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ