ポリリズム

柚木呂高

ポリリズム

 僕らの体には音楽が流れている。


 これは比喩ではない。昔、僕らのおじいさんたちが冒険の末に初めてこの地に足を下ろしたとき、その体は環境に適応できず、身体リズムを崩し、後天的精神薄弱を引き起こした。その結果、多くの人が生活に困難をきたして死んでしまった。ところが遥か昔にこの世界を支配していた知的生命体のひとり、ダフネ・オラムという音楽家が開発した、図形楽譜を自動演奏するオーラム・システムというものが発見された。おじいさんたちはこれを利用して、図形楽譜フィルムを体の中に組み込み音楽を流すことで環境に適応した。


 このオーラム・システムで流れる音楽は四年の周期で終わるので、まるでガスの点検のように、僕らはその時期になると体の中の図形楽譜のフィルムを点検、交換することになっている。折しも春、嫩葉の吹き出す緑の大地と、青い海に花が咲き乱れるこの時期に、僕と彼女のフィルムは鳴り止む。


 草木の生い茂るビルの中で、僕たち二人は並んで昔の人達の文化の名残を見て歩く。映画のポスター、ファッションブランドのディスプレイ、埃のかぶったおもちゃ。かつての人達はおじいさんたちが到着した頃にはもう全員いなくなっていたという。残されたのは建築物や芸術、便利な電気やガスの道具など。僕らと似たような文明を築きながら、ある日忽然と足跡を経ってしまった人達。僕らは彼らの残したものを発掘、修理して今の生活をしている。


「私、この街が好きだわ。きれいな壁の建物や、ガラス作りのようなビルがとても楽しい。ねえ知ってる、あそこの本屋さんの裏は滝になっていて、ビルが横向きに生えているのよ。」


 軽い足取りでご機嫌な彼女は両手を広げて空気をいっぱいに吸い込む。平面的なパターンで作られた裾広がりのコートがはためいて、南国の鳥が溶けたような抽象的なエンブロイダリーが太陽の光を受け、極彩色の花を咲かせるようだった。僕は彼女の手を取ってお辞儀をすると、体のリズムに合わせてステップを踏む。彼女はニコリと笑い返し、互いの音楽が導くままに踊った。崩れたビルの隙間から射す太陽の光がまるでスポットライトみたいに僕らを照らす。鳥たちが蛍光灯を足に持って飛び回る。その光が僕らの回りを色とりどりに変化させる。


「ねえ、点検手術が終わったら、また一緒に桜を見に行きましょう。あの海の桜。」

「そうだね、今年はどちらだったかな。」

「すぐ忘れてしまうのね。にじむ桃色が神秘的な方よ。」

「ああ、それはとても楽しみだ。」


「キミたちはいつも時間通りだね。」

「いつもこの時期が少し楽しみなんです。」

「それは結構。皆がキミたちのようだと後天的精神薄弱に陥る人が出なくて済むのだけれどね。少しくらい良いだろうと思って先延ばしにしてしまうんだね。」


 信じられないけれど、そんな怠惰な人もやはりいるのだろう。確かに点検、交換作業は少し怖いが、別の自分になれるわくわくというものは、何度経験してもとても楽しいものだ。


 僕ら二人は手術台に並んで横になった。彼女がこちらを見る。僕も彼女を見て、その手を取る。軽く握り返す手が温かい。


「じゃあ始めるよ。今回はどうするんだい。」

「僕は少しだけサウダージの効いた明るくて元気なやつをお願いするよ。」

「私は繊細で叙情的なものがいいわ。」


 先生は頷くとまずは彼女の方へと向かう。握った手は離され、僕の指は先程まで触っていた感触を思い出すように閉じて、また開いた。そしてやがてそれは僕の元に帰ってきて、胸の上に落ちる。


 彼女の顔が正面から開かれ、中のコンパクト化されたオーラム・システムがむき出しになる。体液で湿り、光沢を帯びている金属製のそれはとてもエロティックで、思わず情欲をそそられる。先生は様々な細かい器具を使って、フィルムを丁寧に外していき、遂に一組の図形楽譜が取り出される。僕はそれを見て感動の余り目が潤む。まるで海から引き上げられたガラス細工の巻物のようだ。彼女が四年間鳴らしてきた音楽。抱き合うときに聴こえたあの優しい音がそこにある。僕は懐かしいような、寂しいような気持ちになって、その手術を眺めていた。


 やがて彼女の点検手術は終了し、僕の番となる。先生は僕の首に注射を刺すと、ゆっくりと音楽を止める液体を流し込む。意識が混濁して行き、考えが纏まらなくなる。自分が自分でなくなるような感覚と、後ろにずっと落下するような感覚に挟まれて、徐々に意識を失っていく。視界に広がっていく暗闇には少しばかりの恐怖と次の音楽への期待が滲む。


「おはよう。気分はどうかね。」

「いい気分です。」

「私も気持ちが落ち着いています。」


 先生は満足気に頷くと、僕らに一枚のメモ書きを渡す。そこには海の桜へ行く約束、とだけ書かれていた。僕は横にいる女性に挨拶を送る。


「やあ、初めまして。キミが僕の彼女だね。」

「初めましてそのようですね。うふふ、変なお顔の方じゃなくて良かった。」

「僕もこんな美人と一緒だなんて幸せだよ。」


 僕らは小さなボートを借りて底に沈んだ街が見える海へと出る。まるでオーラム・システムの読み取り面に焼き付いているかのように自然と、迷うことなく目的地へと進んでいく。文献によると、そこはかつての人類が大規模な実験を行ったのだという。だが、その実験は大事故を引き起こし、周囲の街は廃墟となり海に沈んだのだ。そして事故の中心地には巨大な桜があった。それは二年に一度花を付け、咲き誇る。


 この桜が特徴的なのはそれだけではない。この木には上下に幹が伸びており、二年毎に交互にその花を咲かせるのだ。そして僕らがフィルムを交換するこの春の時期は決まって海底の側の桜が花を咲かせている。透き通った水面の下、いくつもの電球が沈んでいる中、その仄かな光に照らされて、美しい桃色の桜が咲いている。遠くから見るとその一帯はまるで海が頬を染めているようだった。


 僕らは桜の上で舟を停めると、互いの手を相手の頬に添えて、額をそっと合わせる。波の音とオールが揺られる音、それと互いの体に流れている音楽が額、鼻、唇と通じて聴こえてくる。僕と彼女の体のポリリズム、溶け合ってまた新しい四年間が始まる。百二十四年目の春。

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ポリリズム 柚木呂高 @yuzukiroko

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