人狩り ~四年に一度の夜祭~

澤松那函(なはこ)

『人狩り ~四年に一度の夜祭~』

 底なしの闇の中。微塵も光がないにもかかわらず、日中よりも彩を感じられる空間で、一人の男が瑠璃色の茶碗で酒を飲んでいた。

 歳は二十の半ばか、三十路の手前に見える。

 焦げ茶の髪は、少々癖のある毛質のようだ。

 白いシャツに黒いネクタイを緩く締めており、黒のズボンと少々くたびれた革靴が旅慣れている事を窺わせた。

 黒い外套ロングコートは薄手だが相応の質らしく、雪が降っても凍える事はないだろう。


 男の風貌で一際目を引くのは、彼の面立ちだ。

 端正である事に加えて、鷹のように鋭い眼光と尋常でない瞳の色。

 そのまま翡翠ひすいを嵌め込んでいるかの如き美しさは、北方の民の蒼い瞳ですら霞ませた。

 もう一つ目を引くものがあるとすれば、左肩から下げている濃藍の絹の長細い袋だろう。

 持ち手の紐が肩に食い込んでいるから相当の重みがあるらしい。


「厄介なもんに招かれたもんさね」


 瑠璃色の茶碗に口をつけながらその男、ヒスイは嘆息を漏らした。

 ヒスイが居るのは尋常の闇ではない。まともな人間であれば、あまりの暗さに目がくらみ、卒倒するだろう。

 翡翠色に染まり、精霊の如く見える瞳は、新月の夜でも日中と変わらない。そんなヒスイの目をもってしてもこの闇は居心地が悪かった。

 けれど精霊や獣にとってこの場所ほど、安らぐ所もない。

 膨大な闇の中で膨大な数の精霊と獣が酒を飲み、肴をつまみ、踊っている。

 ヒスイの向かい側では、牝鹿の身体に、わにの頭と魚の目を持った精霊と巨大な狼が酒を酌み交わしていた。

 


「さぁヒスイ様。もっとお飲みください。今日は四年の一度の夜祭やさいですよ」


 ヒスイの傍らに瑠璃色の徳利とっくりを持った少女が腰かけた。

 幼さの残る十の半ばのようであるが、横顔などは二十の女と見紛う器量の良さである。

 雪明りで染めたような銀色で輝く髪と獣のように鋭く光る蒼く虹彩は、少女が人ではなく精霊である証だ。

 桜色の小袖と紺色の袴をふわりと纏って醸す色香は、子供のそれではない。

 ヒスイは、渋々と茶碗を少女の前に差し出した。


つむぎ、お前人の姿に化けられたのか?」

「ええ。最近になって覚えたんですよ。どうですか? うまく人間だったころを再現できていますか?」

「そうさね。初めて会った頃より幼く見える」

「あ! 相変わらずヒスイ様はいじわるです。そんなだから婿の貰い手もないんですよ」

「お前さんに心配されるようじゃ、俺も落ちたもんさね」


 紬は、わざとらしく頬を膨らませた。蒼い瞳の奥に子供のような無邪気さと月のような冷たさが同居している。

 どこまでが本心なのか、ヒスイをもってしても読めなかった。それがむず痒くもあり、心地よくもある。

 ヒスイは、茶碗の酒を一気にあおって一息つくと、ふと一人の精霊が目に入った。

 姿かたちは人の若い男に似ているが、青色の肌をしている。

 服は着ておらず、頭から鹿の皮をかぶっており、小刻みに身体を震わせていた。

 ヒスイは、紬の手から徳利を取り、男に近づいた。


「隣、いいかね」

「……どうぞ」


 ヒスイは、男の右隣りに腰を落とし、あぐらをかいた。


「人の身で夜祭に参加するのは珍しいさね」


 男の両肩がびくりと跳ねた。

 ヒスイは、構わず続けた。


「あんた名前は?」

「……ミクラ」


 ミクラの声は身体以上に震えていた。

 ヒスイは、ミクラを横目に見ながら自分の茶碗に酒を注いだ。


「ミクラか。誰かに招待されたかね?」

「いや、自ら来た」

「獣を殺し、その皮をかぶり、体を青く塗って精霊のふりをしてか?」

「……貴様には関係のないことだ」

「そうでもないさね」

「貴様は、なぜここにいる?」

「俺は呼ばれてきたのさね。俺が必要だと祭の主催者に言われてね」

「主催者? あの銀髪の小娘の事か。俺もあの娘に呼ばれた」


 ミクラは目線で紬を示した。


「いや、あれは俺の知人さね。そうさね。知り合ってもう二年になるか」

「ずいぶん年が離れているな。まだ子供に見える」

「お前さんが想像するような関係じゃないさね。しかし紬に呼ばれたか。いったい何を吹き込まれた?」


 ミクラの眉尻がピクリと跳ねた。


「俺は何も……」


 ヒスイは、肩にかけていた濃藍の絹の長細い袋を下して膝の上に置いた。


「その鹿の皮、殺して日が経っていないな。なぜ殺した?」

「…………」


 ミクラはしばし沈黙する。

 ヒスイは、茶碗の酒を一息に飲み干した。喉と臓腑を熱が犯していく。瞳を閉じて酒の余韻を楽しんだ。

 閉じていても開けていても闇は変わらない。けれど閉じている方が研ぎ澄まされた音が聞こえる気がした。

 精霊と獣の喧騒が重なり合って黒い大気に溶けていく。その中で小さく蠢く音をヒスイの鼓膜は捕らえていた。


「ミクラ、あんたの心臓はやかましいさね」

「お、俺の心臓がなんだって?」


 ヒスイは、長細い袋の中身を取り出しながら問うた。


「お前さん、獣の肉を食らったな?」

「……俺ではない」

「では誰だ?」

「……恋人だ」

「なぜ食わせた?」

「病だ。獣の肉には滋養があると聞く。事実、彼女は良くなった。前よりは少しだが、良くなった」

「魚や鳥の卵でも栄養は変わらんさね。理を犯してまで獣を殺すことはなかった」

「だが、俺は彼女によくなってもらいたいんだ。大樹の理など知ったことではない」

「そして次には精霊の肉か」

「っ!?」

「若い精霊の肉は薬になると、よく言われる。お前さんのように精霊を狩ろうとする人間は少ないながらも確かに居る」

「何が悪い!」


 ミクラの声と身体から震えという震えが消え去っていた。


「何が悪い? 愛する者に生きてほしいと願うのが何が悪い」

「愛する者に生きていてほしいというのは、人だけではないさね。例えばお前が着ているその毛皮は、うるしという名の牡鹿さね」

「それがどうした?」

「彼には妻が居た。かみつれという名の牝鹿がな」


 ガチャン――。

 闇の中で金属音が反響する。それはヒスイの手の中にある金属の筒から発せられていた。


「なんだ、あんたの手にあるその筒は? よく見えない……なんだそれは」

小銃ライフルだ。最も野蛮で、最も洗練された道具さね」

「小銃!? じゃ、じゃああんたは?」

「俺は、かみつれに頼まれたという紬の頼みでここに来た。四年に一度の夜祭には多くの獣や精霊が集まる。そんな場所なら、そんな祭りがあると知れば、あんたも必ずここへ来るだろうとね」

「あ、あんたは人狩り――」


 ヒスイの手の中にある金属の筒は、橙色の選考と強大な破裂音を伴って金属の塊を飛翔させる。ミクラの耳に破裂音が届くより早く、金属の塊は彼の心臓を射抜き、この命を食い破った。


『ありがとうございます。ヒスイ殿』


 せせらぎのような美しい声と共に、一頭の女鹿がヒスイに歩み寄ってくる。


『人狩りの技、初めて見ました。それが小銃というものですか』

「ええ。火薬で金属の塊を音より速く飛ばす。考え出した過去の人類と忠実に再現した北方の人間は、まこと賢いものです」


 小銃は、多くの人狩りが愛用し、人狩りのみが持つ事を許される武器であった。

 遠くの的を狙うのに、これ以上に適した獲物は存在せず、対象に無慈悲なまでの死を約束する。

 三百年ほど前、蒼い瞳と白い肌を持つ北方の民が、小銃の原型を旧文明の遺跡から発掘した。

 以後、この武器は、人狩りが人を狩るためだけに使う道具となった。


『夫のうるしもこれで浮かばれます』


 ヒスイが小銃の槓桿こうかんを引くと、役目を終えた真鍮しんちゅうの薬莢が躍り出る。

 宙で薬莢を握り締めてから、ヒスイは手をそっと開き、牝鹿に差し出した。


「かみつれ様これをお納めください。仕事を終えた証です」


 かみつれは、器用に口を使ってヒスイから薬莢を受け取ると、


『さて皆さま。獣に人は狩れませぬ。精霊に人は狩れませぬ。それが大樹の元に暮らす我等の理。しかし人は獣や精霊だけでなく人をも狩れる。人狩りに狩られたこの男の亡骸は、もはや人ではありませぬ。人の肉は血の塩気が濃く美味と言います。私から酒の肴の差し入れです。どうぞご賞味くださいませ』


 そう言い残して闇の中に消えていった。

 やがて皮の避ける水音と肉をついばむ瑞々しい響きが闇を支配する。


『おお、これは美味なり美味なり』

『以前に人の亡骸を食したことがある。これは新鮮でそれより美味い』

『ああ、この臓腑の味。甘露なり。甘露なり』


 ヒスイは、小銃を細長い袋にしまうと、左肩にかけた。


「復讐と酒の肴。そして亡骸は、既に理の範疇の外か。まったくもって祭のためにうまく使われたもんさね」


 ヒスイの隣には、いつの間にか紬が立っており、精霊と獣の宴を真っ白な表情で眺めている。


「ヒスイ様、懐かしい光景ですね」

「お前にはあれが懐かしく思えるのか。それなら紬、お前はあれを食わんのか?」

「またそうやって意地の悪い。そうですね。私は、人間だった頃にたくさん頂きましたから、飽きているんです」

「そうか」


 ヒスイが立ち去ろうとすると、


「ヒスイ様、どちらへ行くんですか?」


 紬の声に、ヒスイは足を止めた。


「そうさね。東に向かう。仕事があるんだ」

「ヒスイ様、私もついて行っていいですか? 昔のように二人で旅をするのも悪くはないかもしれません」

「俺のおもりは必要ないだろう。お前はもうそういうもんじゃないさね。立派な精霊だよ」

「残念ですね」

「俺もさね」


 人類が幾度か文明の崩壊を経験した後の世界。

 星の大半は、大樹と呼ばれる人知を超えた植物に浸食され、全ての生物は、大樹の与える恩恵と理の元、暮らしている。 


 大樹の恵みを口にする事で、人以外の獣は人と同等の言葉と知恵を得た。

 命を終えた生物の遺骸は大樹へと還り、混ざり合って新たに生じる。

 大樹から生ずる生命を人は精霊と名付け、彼等もこの呼称を気に入った。


 人と獣と精霊は、大樹の恵みの元、互いを尊重し合いながら理に従って生きている。

 だが理を乱すのは、往々にして人だった。ならば始末を付けるのも人の役目。

 その担い手を人々は、人狩りと呼んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人狩り ~四年に一度の夜祭~ 澤松那函(なはこ) @nahakotaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ