エピローグ

第39話 生意気な笑顔

 日本輪廻生命保険会社の転生トラブル解決課は今日も平常運転だった。


「退屈ねぇ~……また特異点とか発生しないかしら」


 霊治の前の席では、まだ午前中だというのに苦手なデスク作業にさっそく音を上げたのかメイシャが座ったまま背中を伸ばしてため息を吐いている。

 霊治としてはしばらくは勘弁してもらいたいという気持ちでいっぱいだった。この前のメイシャといっしょに向かった特異点で約10年ぶりに発現させた能力の感覚は、いまだにその身体に残っている。霊治はそれがなんだか落ち着かなくて、ここ最近の眠りも浅くなっていた。


「ふぅ……」


 だからだろうか。いつもなら午前いっぱいは休憩なしで進める霊治の作業の手もまた止まる。目がしばしばとしていたのだ。霊治は眼鏡を外して眉間を揉むと、10分ほど休もうと目をつむった。しかし。


「先輩っ! すんません、ちょっと作業でわかんないとこがあるんスけど……」


 斜め向かいの席から大太の声がかかった。

 さすがに無視もできないので、霊治は席を立つと大太のところまで行く。


「それで、どこがわからなかったんです?」

「はい、ええと、ここのログの見方なんスけど」

「ああ、その部分ですね。それは別紙の区分値一覧と対応して――」

「って、あれ?」


 説明の途中で、大太が声を上げる。

 大太は霊治を見上げたまま、間抜けたように口を開けていた。


「どうかしましたか?」

「いや、その……先輩、眼鏡は?」

「ん? ああ……」


 そうやって指摘されて霊治は自身の顔に手をやった。そして、そういえばさっき外した時に机に置いたままだったなと思い出す。


「裸眼で見えてるんスか?」

「え、ああ。そうですね」


 隣の席からクスっと笑う声がした。メイシャは先ほどと同じ椅子にもたれかかった姿勢のまま、横目でチラチラとこちらをうかがっていたようだ。

 その姿に霊治は『仕事しろ』と内心で思いながらも大太へと、


「伊達ですから……」


 頬を掻いて少し照れたように答えた。


「へぇ、先輩でもオシャレとか気を遣うんスね」

「先輩『でも』とはなんですか、『でも』とは」

「い、いや別に変な意味じゃないっすよ? 変な意味じゃ……」


 2人のそのやり取りに、わざとらしく「ぷ~~~っ!」と笑う声が隣から聞こえるが霊治はあえて無視を決め込む。

 大太もまた、こちらは取り繕うように笑うと、


「ただ、ホラ。先輩は眼鏡無しのほうがカッコよく見えるっすよ? 別にかける必要ないんじゃないスかね」


 なんて言う。


「――そうね。私もいいんじゃないかと思うわ。そろそろ外したって、ね」


 大太の言葉にそう続けたのはメイシャだ。いつも通りの柔らかな笑みで霊治の目を覗くように、真っすぐと見て言った。

 霊治はそれに少しだけ考えるようにすると、それから小さく笑う。


「……そうですね」


 もしかすれば、この手で失わせてしまったものばかりを見るのはもう止めるべきなのかもしれない。

 自身のやるべきことは、この10年で深く心に刻みつけていた。


「私にはきっともう、必要ないのかもしれません」


 この眼鏡を外しても何も消えはしない。

 あの日交わした約束も、あやまちも、千秋と過ごした日々も、何もかも。

 それらすべてを胸に大切に仕舞って、この目は明日を見るのだ。 


「私が問題解決者プロフェッショナルであることに変わりはないのですから――」

 

 霊治は生意気そうに口端を吊り上げ、そう言ってメイシャへと笑いかけた。




 ◇ ◇ ◇




 ――日々は、またたく間に過ぎていく。


 それでも、その間にあるのは決して穏やかな日常だけではなかった。

 人々を救うことのできた幸福があり、救えなかった不幸があった。

 大切な人とともに過ごした光があり、失って心の欠けるような闇があった。

 連綿と続く激変だけがそこにはあり、積み上げたものはいつしか削り取られ、それをまた積み上げるために生きていく。


 人によるその繰り返しを虚しく思い、しかし同時に尊くも思った。

 喪ったものを眺めているだけでは、慰められるだけだから。

 人は前を向いて歩き出して積み上げて、そうやって幸せを築いていくものだから。

 時には押し寄せる荒波に耐えられず、曲がることもあるだろう。

 冷たい雨にさらされて、足取りを重くすることもあるだろう。

 それでも、そうであったとしても。

 どうか前を向いて正しく生きてくれますように。

 そうやってひとり、ずっと願っていた。


 そして今日、懐かしさと生意気さたっぷりの笑顔を向けられて、


「――うんっ!」


 霧谷メイシャはまぶしそうにそれを受け止めると、満面の笑みを返すのだった。







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★あとがき


 連載をここまでご覧いただきありがとうございました。

 おかげさまでとても楽しく書き切ることができました!

 近いうちに新しい作品も投稿いたしますので、よろしければ作者のフォローもしていただければ嬉しいです(*^-^*)


 私の次回作、あるいは過去作でお会いできることを願いまして。


 それではっ (^^)/

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極悪非道な異世界チート転生者を処理《殺害》するだけの簡単なお仕事です~転生トラブル解決課のプロフェッショナル~ 浅見朝志 @super-yasai-jin

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