第38話 受け継がれるもの
「――
「……お気遣いありがとうございます」
日本輪廻生命保険株式会社の本社、10階にある会議室の一室。
全身を黒で統一したスーツ姿の霊治は中央にポツンと1つだけ置かれた椅子に座っており、その無感情な瞳を正面に向けている。
視線の先にいたのは高級ブランドのスーツに身を包み凝った細工の入った腕時計をはめた3人の男たちだ。彼らは普通なら霊治の様な末端社員が合えるような存在ではない会社役員であり、長机の席に横並びになって腰をかけていた。
「さて、出張から帰ってそう日も置かない内に君を自宅に『軟禁』してしまったことに関しては許してほしい。いちおう、これも規則なものでね」
3人を代表して話しているのは中央にいる白髪頭をピチッとした七三分けにした、かなり歳のいった役員だった。
「さて、結論から言おう。我々は君に、より上位の『封印指定』をかけることに決定した。君にかけられていた『天道千秋くんの殺害の嫌疑』についてはすべて晴れたのだがね、しかし仕方のない状況だったとはいえ、君の能力が彼女を死に至らしめたことは否定のしようがない事実だ」
そこでその役員は言葉を区切り、霊治を検分するように目を細めたあと、続ける。
「君の能力の発言を現場指揮下の上長に委ねるのは、今回のような『失敗』を引き起こす原因になり得る。そのため今後は厳格に、異世界出張後の能力の封印解除はできないこととした。君の『封印解除』の権限は転生トラブル解決課課長に一任することにしたので、今後の封印解除申請の手続きは課長を通して行うように。それについて、何か意見はあるかね?」
「……いえ、ありません」
霊治の返答に役員たちは顔を見合わせて、頷いた。
「ならばこれで君への伝達事項は以上となる。退出してくれたまえ」
その言葉通りに霊治は一礼してドアに向かうが、しかし、
「これは私の今後の扱いに対する決定についての意見ではありませんが、ひとつ」
と役員たちに振り向いて、にらみつけるようにして言う。
「千秋さんは最善の選択をしました。それは決して『失敗』なんかではない」
強い意志の込められたその言葉に、面喰ったように役員の内の2人は驚きに目を見開いたが、
「ふん、社員が1人亡くなっているんだぞ。これが『失敗』でなくてなんだというのだ」
真ん中の役員だけはそう口にして圧迫感のある厳しい視線をぶつけた。霊治はそれを真正面から受け止めて、目を逸らさない。
「千秋さんはあの異世界の人々の命を救うという『正義』を果たしたんだ。私はそれを『失敗』だなんて認めはしない」
それだけを言い残して、霊治は会議室から出る。
その背中にそれ以上の声がかかることはなかった。
◇ ◇ ◇
霊治は本社の通路をエレベーターホールに向かって歩く。
何もかもが空虚に思え、自分の足がちゃんと地面に着いているのかも不確かだった。
――ふいに、視界が回る。
回ったかと思うと、次の瞬間には壁へと背中を叩きつけられていた。
流れるような朱色が視界に踊る。
「……メイシャさん」
目の前でネクタイを掴み、霊治を壁へと押し付けていたのは霧谷メイシャ、その人だった。
「霊治くん、あなたどういうつもり……っ⁉」
メイシャは、ネクタイごと霊治の胸ぐらを掴み上げ、燃えるような瞳でにらみつけていた。
「メイシャさん、少し、落ち着いてくれませんか……」
「――ふざけないでッ‼」
メイシャが叫び、怒りに震える声で続ける。
「その『眼鏡』にその口調ッ‼ ねぇ、それはいったいなんなのッ⁉ なんのつもりなのッ⁉」
再び身体が押されて、霊治の頭が壁にぶつかった。カチャリと掛けていたその眼鏡が音を立てる。
「それ、ぜんぶ千秋の真似事ッ⁉ 冗談だったら
ギリッと奥歯を噛みしめる様な音が霊治の耳に届く。
噛みつかれるのではないかと思うほどの剣幕で接近したメイシャのその髪からは線香の香りが漂っていて、その服装は黒で統一されていた。
――それは、喪服だ。
霊治もまた、同じ装いに身を包んでいた。
今日この場には千秋の葬儀が終わった後に招集を受けていたのだ。
自宅での軟禁状態が解け、霊治が最初に向かった場所がそこだった。
異世界から帰って来てから公の場に出るのも初めてだったので、霊治の『その姿』をメイシャが目にするのも初めてだったのだ。
千秋のような眼鏡をかけ、千秋のような敬語口調で話す霊治を見るのは。
霊治は諭すような静かな声で言う。
「メイシャさん。これは冗談でもなんでもないんです」
「なら、どういうワケッ⁉」
胸ぐらを掴み上げる力を弱めることのないまま、メイシャは詰問するような厳しい口調で応じる。霊治はなに1つ嘘を交えることなく、それに答える。
「これは私が自分に課した『枷』なんです。おそらくご存知の通り、私が感情に身を委ねてしまったがために、私が力を抑えられないばかりに、千秋さんは亡くなってしまった……。私はそのあやまちを、最期に交わした約束を、決して忘れるわけにはいかない。だから――」
「だから、千秋の面影を自分に重ねたって……? なにそれ、バカみたい。すっごく気持ち悪いわよ霊治くん」
「それでも、私は……」
「ならもう勝手にしたらいいッ‼」
メイシャは吐き捨てるように言って、霊治を投げ捨てるように荒々しく解放した。
そして背中を見せて歩き去る。
が、しかし。その途中で足を止めて、
「でも、ひとついいかしら」
振り向かずに言葉を続けた。
「どうしても言わせてもらいたいのよ。私には、あなたのやろうとしていることはどこまでいってもただの自己満足にしか思えないし、実際そうだと思う。約束も過去のあやまちも、忘れないだけじゃなんの意味もないわ」
メイシャのその言葉に、霊治は乱れたネクタイを締め直しながら、
「ええ、その通りです。忘れないための『枷』にするだけでは、ただの自己満足に過ぎない」
と答える。
「ですから私は――きっと証明していきます。この約束とあやまちにただの『失敗』というレッテルが貼られないためにも、私はもう2度と感情にただ流されるようなことはなく、救いたいと願った全てを救うための存在になってみせる。そして千秋さんが私に願ってくれたように、私は……」
メイシャは霊治その言葉を聞くと、今度は振り返らずに通路の角に消えた。
掛け慣れない眼鏡のフレームを指で上げると、霊治もまた歩き出す。
――明日からまた通常の業務が始まる。
千秋のいない転生トラブル解決課の業務が、始まるのだ。
霊治は前を向いて、姿勢を真っすぐに伸ばして歩く。
何万の人々が、ロシェが、千秋が、霊治の横をすり抜けて消えていった。自身の力不足で起こってしまったいくつもの不幸は背中に張り付いたまま、一生消えることがないのだろう。
しかし、それでも霊治はこれから先のあらゆる世界で、救い続けようと決意した。
それが『約束』だったから。
もう2度とこんな犠牲を許したくはない、その気持ちは本物だったから。
喪った、失ってしまったというこの記憶を色褪せさせはしない。
胸に空けられた穴の中に住み着いたその『失憶』と向き合いながら。
きっと、たった1つ。
千秋とのその『約束』を守り続けてみせると、そう心に誓って――。
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