第37話 約束と別れ

 無の光が塵のように消えていく。

 その残滓ざんしもが完全に消滅したのと同時に、霊治の額に生えていた角、そしてあたりに満ちていた瘴気のような紫の空気も溶けるように消えていった。

 転生者の処理は終わった。しかしいまの霊治にとって、そんなことはどうでもいいことだった。

 

「千秋さん……っ」

 

 霊治は振り返り、そして奥歯を噛みしめる。地面に横たえていた千秋の元へとフラフラと歩み寄り、間近でその姿を見て、崩れ落ちるように床に膝を打ちつけた。

 

「千秋さん……ごめん、ごめん……ッ‼」


 千秋の全身は猛毒に冒され、その肌の色を濃色に染めていた。まぶたは重く閉ざされて、呼吸もない。


「ちくしょう……ちくしょう……ッ」


 霊治は力いっぱい自分の太ももを殴りつける。胸の奥を突き刺すような痛みを消したくて、悲しむ権利が自分には無いのだからと力いっぱいに殴り続ける。

 

「殺したのは……俺だ‼ 俺、なんだぞ……ッ‼」


 霊治はそう言って、自身を痛め続ける。

 自分にもっと能力を制御できるだけの力があれば、あの時ナイルへと感情のままに殴り掛かっていなければ、と後悔の念が次から次へと心を責め立てた。

 度重なる殴打に足の感覚はもはやない。

 そうやって鈍い音だけが続く中で、




「――れ、いじ、くん……」




 そのか細い声が、それでもはっきりと霊治の耳に届いた。


「ち、あき……さん……?」


 ハッとして千秋の顔を見やる。

 細く、しかし確かにその目は開かれていた。

 

「千秋さ……! い、生きて、生きて……っ‼」


 喜びに浸るのも束の間、霊治は慌ててジャケットの内側を探る。

 はやく無線機で連絡を入れてゲートを開き、千秋の治療をしてもらわなくてはいけない。しかし、無線機はそこにはなかった。

 そう、ここにたどり着くまでに邪魔だと言って都市の道中に他の荷物ごと放り捨ててきたのだったと霊治は思い出す。

 

「千秋さん……っ! ちょっと待ってろよ、いま無線機を拾って――」


 立ち上がろうと身体を動かしたその時、きゅっと。

 

「千秋さん……?」


 手をわずかに動かして、千秋が指で霊治の服の袖をつまむようにして掴んでいた。

 

「離してくれ。無線機が手元にないんだ。早く持ってこないと……」


 霊治の言葉に、しかし千秋は僅かに首を横に振って、言う。

 

「――もう……ダメみたいなんです……」

「な、なに言ってんだよ……! そんなこと!」

「わかるんです、自分の、身体のことだから」


 悲痛に顔を歪める霊治に、しかし千秋は笑顔を作って言葉を続ける。

 

「そんな顔、しないでください。大丈夫。あのね、いまはなんだか、身体も痛くないんです」


 千秋は穏やかな顔で、霊治を見上げる。

 

「私は大丈夫ですから、だから最期まで、そこにいてくれませんか……?」

「……ごめん……ごめん……っ!」


 霊治の喉元に込み上げるのは、身体の内側を針のように突き刺す後悔が形になった言葉だけだった。

 

「俺のせいで、ごめん……ッ! 俺が、俺がもっと……ッ!」

「キミのせいなんかじゃないですよ。自分をあまり、責めないで」


 それから千秋は、どうしても自分を許せずに顔を伏せてしまう霊治のその手をゆっくりと取った。

 

「ありがとう、今まで、本当に。もっと、キミといっしょに居たかった……私の手を取って、そして今日までいっしょに歩いてくれた、キミと」

「やめてくれよ……違うだろ、俺に手を差し伸べてくれたのは千秋さんの方だ……っ! あんたが俺といっしょにここまで歩いてきてくれたんだっ! 恐くて、哀しくて、辛くて座り込んでいた俺に、千秋さんだけがッ‼」


 霊治の頬にどうしてもこらえきれずに出た涙が、いくつもの線を描いて伝う。それを見て、千秋は照れたように笑った。

 

「どうしよう……なんだかいま、とても嬉しいです……そっか、キミはそんな風に思ってくれていたんだね」


 重たそうにしながらも、それでも千秋は腕を上げて、霊治の涙をその指でぬぐった。そして眩しそうにその顔を見上げながら、口を開く。

 

「ねぇ、霊治くん。私と『約束』をしてくれませんか……?」

「約、束……?」


 千秋は頷いて、そうして言葉を続ける。

 

「キミはいま、子供のころと同じで、自分の力を恐くて、辛くて、悲しいものに感じて、誰かを救うことに臆病になってしまっているかもしれない。それでもね、キミは誰かを救うことができる人間です。だからもし、この先に救いたい何かを見つけたら、きっとその気持ちに従ってね。そしてキミ自身も含めて、きっと幸せになってね」


 霊治は首を縦に振ってそれに応える。涙で溺れてしまったように、霊治の喉からは言葉が浮かび上がってこなかった。




「きっと……きっとだよ? これからもキミは、君が救いたいと思ったその心に嘘を吐かないで。それが私との、たったひとつの――約束」




 千秋の冷たい手を強く握りしめて、震える声で霊治は答える。

 

「……きっと。……その約束を、守るよ……っ‼」


 千秋は満足そうに微笑んで、それから目を閉じる。

 

「そうだ、昔のお話をしましょう……。いっしょに遊んだり、下校したり、いろいろあったよね……」


 手を握りながら、霊治はそれに頷いた。

 

 それから2人は言葉を重ねて、あんなことがあった、こんなことがあったと過去を振り返って、時に笑い合いながら話し続ける。

 それはとても、明るい時間だった。

 

 2人の他に誰1人として生きる者のない都市は真夜中のように静かであり続ける。小さく細々と続く話し声が、がらんどうの酒場に染み入るように消えていった。

 そしてそれから数分も経たないうちに、店内にはたそがれの赤く、くらい光が差し込み始める。




 ――千秋の手が霊治の手を握り返さなくなったのも、それくらいの時のことだった。




「……ぅっ」


 霊治の、その低く押し殺すような声が、空っぽの都市へと最後に響いた音だった。

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