第36話 失憶廻天――オーバーリロード――
光線が音もなく身体を奔り抜けて、千秋はそのまま前のめりに受け身も取れずに倒れ込んだ。
「千秋さんッ‼」
霊治は急いで立ち上がると千秋へ駆け寄って、その身体を抱え起こす。その細い体躯には、まるで焼け落ちたかのように丸い穴がいくつも空いていた。
「――ゴボッ」
咳き込むのと同時に、千秋のその口からは真っ赤な血が噴き出すように溢れ出す。苦しげに歪められた表情で、しかし。
「不用意、に……敵に、近づ……ダメ、でしょ……」
千秋は浅く繰り返す呼吸の中で、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。その目はあくまで後輩の失敗を優しく叱る時の様な穏やかさを保ったままだった。
「ダメだ、しゃべるな……っ‼ 傷が広がるっ‼」
「ごめん……もっと、上手く、防げてれば……」
「違う! 俺だ、俺のせいだ……っ‼ ごめん、千秋さん、ごめん……っ‼」
霊治は必死になって千秋の身体に空いた穴を圧迫するようにして止血しようとする。しかし、1つを圧迫しても他の箇所から血はとめどなく溢れ出してきた。
「おいおいwww わかれよ。そいつはもう『手遅れ』だ」
ナイルのせせら笑うような声が、霊治たちの真上からかけられる。
「でも安心しろよ、シューニャ。お前もすぐにハザールと同じ場所に行けるさ」
その言葉の直後だった。
ナイルの全身が唐突に白く輝き始める。
「……っ⁉」
眩いばかりの霊治の視界の中で、ナイルはだんだんと人の姿から1つの光の球へと身体の形を変えていき、そしてそれはすぐに手のひらへと載るほどの大きさにまで収束した。
「――この世界は、今日ここに終わりを告げる」
これまでナイルだった者の声が、光の球から空間全体にステレオのように広がった。
「この町のすべての人間の命を奪い、俺はとうとうその資格を得た。能力名『ロスト』は正しく進化を果たし、ここに『 』の名を刻む。これからは俺自身がこの世すべてを包む『無』となり、『無が有る』という永遠に繰り返す論理衝突の中で不死の存在へと昇華するのだ……ッ‼」
そう言い残すと、光の球はまるで空気中から光を吸い込むように自身の内部へと溜め込んでいく。それは物理的・魔力的なエネルギーとはまったく違った『無』のエネルギーだった。
解き放たれれば間違いなく、この星のすべてが終わる。
簡単にそれがわかってしまうほどに、その光の球にはエネルギーが集まっていた。
「霊治、くん……」
ふいにかすれるような声が聞こえ、霊治は抱きかかえていた千秋へと視線を戻す。ピトっと、千秋が突き出した人差し指が、霊治の額に触れたのはそれと同時のことだった。
「――封印、解除」
息も絶え絶えに、焦点の定まらない目で、千秋がそう呟く。すると霊治の胸の奥底で、ガチャリと、『ソレ』は解き放たれた。
最初、何が起こったのかが霊治にはわからなかった。しかし自らの腕の中で優しく微笑むように霊治を見上げる千秋が、すべてを悟らせた。
「千秋さん、まさか……っ‼」
目を見開く霊治へと、千秋は小さく頷いて応えとした。
「無理だ、無理だよ千秋さん……ッ‼ 俺はこの能力を、『失憶廻天』をまだ1度も使ったことがない‼ でもわかる……っ! こんな強大な力、俺に制御できるわけないんだよッ‼」
「それでも……やらなきゃ」
千秋は疲れたように細めた目で、かすれた声で言う。
「やらなきゃ、みんな死んでしまいます……。でもやってみて、もし成功したら……この世界の人々がこれ以上死ぬことはないんですよ……」
「……ッ‼」
霊治は目をつむり、歯を食いしばり、そして吐き出した。
「ダメだ……ッ‼ できない……ッ‼」
「霊治くん……」
「だって、どんなに俺の力を抑え込んだって、きっと……‼ きっとこの町は――千秋さんは巻き込んじまうッ‼」
それは半ば確信に近いものだ。
前世の記憶をたどった霊治にだからこそわかる自身の能力とその力の強大さは、きっと自身の手に余るものだとわかっていた。
だからこれまで一度も霊治はその能力の使用許可を求めることはなかったし、これから求めるつもりもなかった。
「できるわけない……できるわけないんだ……ッ‼」
ずっと自身の内側に眠るその力に目を背けて逃げ続けてきた霊治が、ありとあらゆる障害の全てをその絶対的な力でもって押しのけてきた前世の自分に打ち勝てるハズもない。
「俺にあんたを殺せっていうのかよ……ッ‼ そんなの無理に決まってんだろッ‼‼‼」
悲鳴のような霊治のその声に、しかし、千秋は微笑んで答えた。
「キミは、いつだって、優しい人ですね……」
そして下からすくい上げられるようにして伸びた手が、霊治の頬へと触れる。
「私もね、死にたいわけじゃ、ないですよ……でもね、霊治くん。私は死に方を選べるなら、選んで死にたいと、そう思う」
「……っ」
「あんな、あんなやつの力に、やられるくらいなら……」
千秋は両手で霊治の頬をふわりと挟んで、そしてその瞳を覗き込んで、言った。
「ねぇ、霊治くん……。だったらキミの、世界を守るその優しさで、私を殺して……?」
「――ッ」
美しく強く輝いたその瞳から、霊治は目をそらすことはできなかった。
ただ、どうしようもない嘆きの声だけが口から漏れ出るだけだ。
吐いた息とともに、心の中から魂の一部がスルリと抜けていくような感覚が恐ろしく、哀しく、苦しかった。
霊治は千秋の身体をゆっくりと地面へと横たえると、千秋に背中を向ける。そして、力をためて
「別れは済んだか?」
光の球は遠くの国の天気の話でもするかのように、どうでもよさげな声音でそう訊いた。
「まあ安心しろ。どうせお前の行く先も同じだ。星を包む白き無の光の中に消えるがいい!」
点滅を始め、今にも溜め込んだエネルギーを拡散させようとするその光の球の目の前で、片手を目の前に掲げて、霊治はその言葉を口にする。
「
――霊治の身体を紫の
その額からは角が生え、肌は漆黒に染まり、そして瞳は悲しげなアメジスト色に輝いた。
それから、白い光の輝きに満ちた空間がスモッグのような毒々しい空気に満たされたのは一瞬のことだった。
「なんだ……っ⁉ それは……ッ⁉」
ステレオの声が、震えている。かつてナイルであった光の球から聞こえたそれは、今までの気勢が根こそぎ削がれたような怯えの滲んだものだった。
「――その『底無し』の魔力量はいったい、なんなんだ……ッ‼」
光の球を襲ったのは暴力的なまでのプレッシャーだった。
この世界を一瞬で包めるほどに溜め込んだ自身の膨大な『無』のエネルギー、それの何倍もの濃密さの魔力を編み込んだ膜のようなものが何重にもなって覆ってくるような、そんな絶望的な力量差を直感してしまっていた。
しかし、それだけではなかった。
「……は?」
自身の身体を成している白い光が、外側から禍々しい紫の色に侵食されていっていた。そしてそれが進行していくたびに、光の球からは『無』の力が勢いよく削り取られていく。
「ワケが、わからん……‼ なんだ、何が起こっているッ⁉ お前は俺に、何をしているッ⁉」
その叫び声に、しかし霊治は答えずに、変わらない体勢で片手を光の球へと向け続ける。
「はぁぅッ⁉」
圧倒的な力を持った膜のように張られた魔力が、徐々に内側にあるものを押しつぶすようにその形を縮めていく。
「やめ……っ‼ やめろっ‼ やめろぉッ‼‼‼」
悲痛な叫び声が響くが、しかし今やその表面積の半分が紫色に染まりつつある光の球が押しつぶされていく速度は変わらない。圧縮、圧縮、圧縮が重ねられる。
「が、が、が、が、が……ッ‼」
壊れて音が飛んでしまうラジオのような断続的な悲鳴が弱々しく空間へと溶けていく。そしてそれは、とうとう人差し指の先にわずかに載るほどの大きさにまで加工された。
「――この世界の何万人もの人々を、ロシェを、そして千秋さんを手にかけた貴様には、罪をあがなう機会を与えるつもりは無い」
失憶廻天を行ってから初めて、霊治が口を開いた。
そして元の力強さの見る影もない光の球の目の前まで歩いて、ひと言、
「死ね」
そう言ってひっかくように手を横に振った。
パンッとかんしゃく玉の破裂音に似たチープな音だけを響かせて光の球は弾け飛び、そして消え去った。
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