[Game Day] ポストゲーム・ショー
目を開けたはずなのに、そこは暗かった。俺は生きている……よな?
顔を動かしにくいが、目が慣れてきたので辺りを窺う。ベッドの上に寝ているが、周りにいろいろな器具が……まあ、たぶん病院だろう。少なくとも、フィールド上のメディカル・テントの中じゃない。
いやいやいや、ちゃんと記憶はあるよ。最後のプレイ、俺はJ・Cからパスを受けて、エンド・ゾーンに向かって走った。タックルを三つ四つ躱して……届いたんだろうか。それなら
とにかくそのプレイでひどいタックルを食らった。頭と胸と背中と。その後のことが判らない。誰か教えてくれよ。
天井が薄明るくなった。まるで夜明けだな。十分な明るさではないが、周りが見えるようになった。おいおい、やけに広い部屋じゃないか。その真ん中辺りのベッドに俺は寝ていて、周囲には予想以上にごちゃごちゃと……まるで集中治療室だ。おまけに俺は呼吸器を付けられている。タックルのショックで失神しただけじゃないのか?
どこからか足音。ドアが開く気配がした。誰か近付いてくる。左の方。そちらに目を遣る。短い黒髪の、白衣の優男。失礼、女だった。ドクター・フェードラ・クロニスだっけ。どうしてそんなに顔を引きつらせてるんだよ。美形が台無しだろ。
「ミスター・ナイト、私の声が聞こえますか?」
顔を近付けてきたドクターが囁くように言った。なぜ君がそんなに興奮している。瞬きで合図して、呼吸器を外してもらう。
「グッド・イヴニング、ドクター。俺たちは勝ったのか?」
それとも長く気絶してたので、0時を回ったかな。それならグッド・モーニングと言わないといけない。
「Oh my goodness! 聞こえ方におかしなところはありますか? 遠くに聞こえるとか雑音が混じるとか……」
「全くクリアーに聞こえてるよ。視界も良好だ。君、近くで見るとこんなに綺麗なんだな。知らなかった。レギュラー・シーズン中に一度くらいフィールドで倒れておけばよかった」
「Oh my goodness! そういうことを言って欲しいんじゃありません……」
そんなに恥ずかしがることない。ところでゲームはどうなったかを、早く教えて欲しいんだけど。
「では身体の痛みや痺れについて確認しますので……」
「どこも痛くないよ。首は動く」
ドクターの方へ顔を向ける。頭が動かしにくいと思ったら、脳波計か何かのヘッド・バンドを被っているのだった。次に左手。シーツの外に出す。危うくドクターの下半身を触ってしまうところだった。右手。最も大事な手。シーツの中で動かす。指先まで問題なし。それから右足、左足。身体を起こそうとしたら、ドクターに止められた。実は胸と背中が少し痛かった。しかししばらく寝れば治るだろう。
「ところで、ここはどこ?」
「フロリダ大学ジャクソンビル校医療センターのICUです」
「どうして君がいるんだ」
「私、ここに勤めているので……」
そうだったのか、知らなかった。まあチームの専属じゃないのは判ってたけど。
「それにしてもずいぶん大袈裟な」
「とんでもない! あなたはフィールド上で心停止して……」
ドクターはつい大声を出してしまったようだが、慌ててヴォリュームを絞った。でも心停止って? え、脳震盪じゃなかったの?
また足音。廊下を走ってる。病院でそれはよくない。ドアにノックの音。しかしこちらの返事も待たず、開けられた。ドクターが慌てて身体を起こして振り返る。
「アーティー!」
ジェシーの声だ。どうしてここにいるんだよ。ドクターを押しのけてベッドの脇に立とうとしたが、止めようとするドクターとちょっとした揉み合いになっている。
「ハイ、ジェシー、最後のドライヴのプレイ・コールはなかなか冴えてたぜ。あれは君も考えてくれたんだろう?」
「アーティー、私たち勝ったのよ!」
ほう、そうだったのか。じゃあ
「ミスター・ナイト……」
メグの声。どうして君までここに。って、俺の身内はジャクソンヴィルにいないから、君が代わりってことだよなあ。
「あなた方、どうして入ってきたんですか。まだ出ていてください」
「アーティー、最後のプレイを教えてあげるわ。“
今週練習した、あれか。
「距離がありすぎるだろ。ブレットは15ヤードしか投げられないのに」
「ダラスがオフサイドしたので、5ヤード前に進んだの。そうなったらスペシャル・プレイをするのは、インジャリー・タイムアウト中に決めていて……」
また足音がして、今度はさらに多くて、部屋にわらわらと入ってきた看護師が、ジェシーとメグを連れ出してしまった。メグはジェシーを止めるために来たと思ってるんだけど。後に残ったのはドクターだけ。
「異常がなさそうなのは判りましたが、もうしばらく安静にしていただかないと……」
「ヘイ、ドクター、もう少し詳しいことを教えてもらわないと、寝られそうにないよ。まず一つ、今何時だ? ゲームが終わってから何時間経った?」
「0時少し前です。ゲームが終わって、まだ1時間ほど……」
実は3日後です、とかじゃなくてよかったよ。
「終わったのが11時頃なのか。ずいぶん遅いな」
「あなたが倒れたのでゲームが1時間も中断したんですよ」
心停止と診断され、フィールド上でAEDを使って蘇生。心機能回復と自発呼吸を確認。以後も可能な限りの緊急措置を施していた。
一方ゲームの方は、プレイヤーやスタッフ、観客の動揺が大きいので、審判団と両チームの
それでうちがスペシャル・プレイをやるのは、ずるいんじゃないかなあ。いや、ダラスが無理に止めようとしてオフサイドしたのか。なら、勝ちに行ってもいいかな。失敗したらこっちの負けだし。最終決断はジョーだろうけど、ずいぶんと
「説明ありがとう。それからもう一つだけ」
「まだあるんですか……」
「マーガレット・ハドスンと少しだけ話したいんだ。5分でいい」
「もっと短くなりませんか」
「君とはこんなに長く話してるのに?」
「! ……解りました。でも、異変を感じたらすぐ知らせてくださいね?」
俺がメグと病室で変なことをするとでも思ってるのか。そんなわけないだろ。
ドクターが去ってしばらくしたら、メグが病室に入ってきた。戸惑ったような表情をしている。大きな袋を提げているが、何だろう。
「ミスター・ナイト、私をお呼びとか……」
「ハイ、メグ、
“生き返った”と“逆転した”のダブル・ミーニングなのだが、解ってくれただろうか。
「……
「ありがとう。こんな時間だが、少しでも話したいと思ったんだ。それとももう帰るところだったか?」
「いえ、今日は病院に泊まる予定でした」
「俺の付添人として、だよな」
「はい。チームの代表で……チームと言えば、あなたの意識が回復したことを、先ほど全員に知らせました。この後、GMがプレス発表をする予定です」
「こんな時間からか。大変だな」
「とんでもない、全米の人々があなたの容態を気にしているんです!」
全米は言い過ぎだろう。せいぜい40%。だって視聴率がそれくらいなんだから。
「それもストリーム中継で見られるのかな」
「見られます」
「それよりゲームの最後のプレイが見たいんだが」
「ICUは
言ってからメグは、手に持っている袋を見た。俺もさっきから気にしてたんだけどね。
「それは?」
「ゲーム・ボールです」
ゲームに貢献したプレイヤーが、ゲーム後に
「ブレットに譲るよ」
「彼ももらっています」
「そうか、1ゲームに付き二つだったな。じゃあ
「お願いだから受け取ってください。チームの総意です」
「ICUに置いておけるのかい」
「ドクターの指導に従って消毒してきましたから」
メグが袋からボールを取り出す。キッキング・ティーも持ってきたようだ。いや、専用の置き台だな。それでベッドの傍らの小テーブルの上に、ボールを飾った。表面にちゃんと"Super Bowl Centennial"のロゴが入っている。
「ところで君はどこの部屋で泊まるんだ」
「付き添い者用の宿泊室があります」
ここじゃないのか。残念。
「じゃあもうしばらくここにいてくれ。話をしよう」
「ドクターからは5分で出るようにと」
「そんな堅いことを言わずに。ところで、この部屋には他に誰もいないんだから、俺のことをアーティーと呼んでくれよ」
「あの……この部屋での会話は、全てナース・センターでモニタリングされていて……」
何てひどい。モニタリングは医療装置の信号だけにしてくれないか。
「監視カメラも付いている?」
「それはありません」
「じゃあ、声を出さなくて済むことをしよう」
「?」
唇を突き出して、キスをねだってみる。メグがこれ以上ないくらい恥ずかしそうな表情をする。大袈裟な。君、ベッドの上ではもっと大胆なことをしてたんだぞ?
「……あなたの心拍数もモニタリングされているはずで……」
「二人きりになった時から上がってるんだよ。誤差みたいなものだ」
唇で“キス”の合図を何度もする。メグはさんざん逡巡していたが、ようやくキスをくれた。ごく軽いのを。上がっているのは彼女の心拍数だと思う。たぶん普段の3倍くらい。
「では、私はこれで……」
逃げるようにメグは去ってしまった。モーニング・コールを頼むのを忘れたが、どうすればいいんだろう。
再び目を開けると、やはり暗かった。病室のはずだよな。ベッドやシーツは、さっきと同じ感覚。一眠りしてから起きたのだが、まだ朝にはなっていないだろう。何時だ? どうしてICUには時計がないんだ。
それにしても、なぜ起きたのか。たぶん何かの気配を感じたのだろう。病室の外だ。人が、密やかに動いている感じがする。俺のファンが病室に忍び込もうとしているわけではあるまい。それなら夜勤の看護師が気付く。廊下に監視カメラが付いているはず。
耳を澄まし、全身を緊張させて、外の気配を伺う。怪我人なのに、何をやっているんだ、俺は。しかし身体は普通に動きそうだぞ。試しに上半身を起こしてみる。何ともなかった。胸と背中が痛いくらいで。肋骨にひびが入って、背中の筋肉が挫傷したかな。
やはり気配がおかしい。ドアの外で、誰かが中の様子を窺っている。そういう息遣いがする。看護師はそんなことはしない。メグだってやらない。ジェシーはきっと親に連れて帰られただろう。ではいったい誰か。密やかに、俺に危害を加えようとしている奴? まさか。
シーツを剥いで、いつでも動ける準備をしておく。モニタリング装置は? 頭に脳波計、胸に心電図、左腕に血圧計のセンサーが付けられている。外すと看護師が飛んで来るかな? それよりナース・コールか。ボタンを押す。反応なし。おいおいおい。
ドアが開いて、影が病室に入ってきた。やっぱり俺って狙われてるのか。センサー類を全部外してしまい、ベッドを降りて、下に潜り込む。今さら気付いたが、患者衣の下はブリーフすら着けてないのかよ。ぶらぶらして動きにくいぞ。
影がベッドに近付いてくる。果たして狙いは俺なのか。ベッドの横に立つ。脚が細い。というか素足。女だろ、これは。影だけでも曲線の素晴らしさが判る。メグよりももっと……いや、そういうことを思い出している場合じゃなくて。
ほんの僅か、部屋が明るくなった。“影”がペン・ライトでも灯したんだろう。俺がベッドにいないことが判ったはず。というか、センサー類を全部外して、アラームが鳴りまくってるのに、看護師が来ない。どうなってるんだ。
ドアの方で音。誰かが体当たりするかのような。この“影”の他にまだ誰かいるのかよ。
「アーティー……」
苦しげな声。男のような女のような声だが、聞き憶えがある気がしないでもない。誰だっけ。“影”はその声には反応しない。さっきから、ベッドの横に立って何をしているんだ。俺がそこに寝てないの、判ってるんだろ。
捕まえてみるか。目の前に足首がある。ちょいと手を伸ばせば……
「アーティー……ダメだよ、彼女は……」
またあの声。俺が見えているのか? こっちからは見えないのに。“彼女”、つまり目の前の“足首”には手を出すなと。それほど危険なのだろうか。
まさかこいつ、俺の部屋へ侵入するために、病院中の医者や看護師をぶちのめして来たのか? だから誰も来ない。宿泊室にいるはずのメグさえも。ドアのところで倒れているのが、かろうじて生き残った一人……そうだ、あの声、
「もらって行くわ。悪く思わないで」
“足首”の上の方から声がした。ソプラノの美しい響き。“影”の声とは思えない。もらって行くって、何を? 踵を返し、病室を出ようとする。
「ヘイ!」
思わずベッドの下から飛び出し、“影”に追いすがった。“影”は立ち止まり、振り返る気配を見せた。“ボール”を持っている! メグが持ってきてくれた、ゲーム・ボール。なぜそんな物を奪おうとしている。
「待ちやがれ!」
“影”の背後から飛びかかり、右手を肩口から振り下ろして胸を押さえ、左手を脇の下から差し込んでボールをパンチング。フットボーラーのファンブル・フォース・タックルを思い知れ!
だが次の瞬間、“影”が前に身を屈めたかと思うと、俺の身体は宙に浮いていた。飛びかかった勢いを逆利用され、背負い投げを喰らわされたのだった。まずい!
頭から叩き落とされるかと思った瞬間、腕を掴まれて身体がくるりと回転し、腰から床に落ちた。左手で受け身を取ることができたが、痛みはゲームの最後でタックルを喰らったのと同じくらいだった。
「
呟いていたら、“影”が馬乗りになって来た。首を絞めようというのか。違った。俺の右手首を掴み、彼女の胸に……
さっき掴んだ時も感じたんだが、こんなに大きくて柔らかい膨らみは初めてだ。手の記憶に残りそう。いや待て、どこかに同じ記憶が……
女の顔が迫ってくる。東欧系あるいはロシア系で、薄暗がりの中なのに、ひれ伏したくなるほど高貴で美しいことが判る。完璧なカーヴを描く唇が開いて、甘い囁き声が降ってきた。
「
その時、俺は目の前の女の名前を思い出した。忘れていた記憶が、よみがえったかのように。彼女はマルーシャ・チュライ。この仮想世界で、最も危険な
待て待て待て、俺は現実世界にいるんじゃないのか?
(終わり)
仮想(ヴァーチャル)泥棒ゲーム 葛西京介 @kasa-kyo
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