第6話 発動、そして終わらぬ戦いへ。

『蝕』の頭部に、男が直撃された。  


 それは、体を弾丸と化した少女が、『蝕』の頭部を吹き飛ばした瞬間の出来事だった。


 ――くそ、なんてことだ!


 間一髪、脱出した城島が叫ぶ。


 侵略された城島の肉体が、男を救う努力をしていたのは間違いない。だが、超人的な力を持ってしても自分ひとり逃げるのが精一杯だった。それ程に、強力な粘着力を持った液体からの脱出は至難の業だったのだ。


 男の生命反応が弱っていく。


『蝕』を葬った勢いのまま、セーラー服の少女がやって来た。


 彼女は巨大な頭を男の体からどかせたが、かなりのダメージを負ったその肉体は死に至る寸前だった。


 ――なんとか助けられないのか?


 城島は、男の顔を覗きこんでいる少女に問いかけた。


 しばしの沈黙の後、彼女の意志が伝わった。


 ――心配ない。これから覚醒させればまだ間に合う。


 ――本当か?


 ――ああ。


 安堵する一方で、少女の発した『覚醒』の意味をすんなり受け入れている自分に愕然とした。意識が失われなかったことで油断をしていたが、自分の『脳』は覚醒し、乗っ取られた状況なのだ。自由にならない肉体と同様に、いつ意識が消失してもおかしくはない。これが、その前兆なのか?


 少女の傍らに、コンビニの制服を着た男が立った。さっきまで地面にぐったりと倒れていた奴だ。どうやら、『昆虫脳』に直接『脳』を掻きだされて入れ替わったタイプのようで、『脳』と『肉体』の連携が未だうまくいかず、ぎこちない動きが目立った。なのに少女は、男の覚醒を彼に任せたのだ。


 城島にも、ふたりがコンビニの店長とバイトだということはわかる。しかし、『脳』を奪われた店長の方は完全に別人格と化して、以前の記憶などないはずだ。個人的な情や親近感が残っているとは思えない。


 ――心配ない。彼の自我はまだ失われていない。


 少女が城島の心を読んだ。


 ――自らの『脳』を失っても、彼の記憶や感情の欠片は、肉体を構成する細胞のひとつひとつに宿っている。すべての細胞が入れ替わるまでその記憶は維持され、やがてゆっくりと消えていくだろう。わずかな期間しか存在できない彼の意志を、わたしは尊重する。


 それは、店長に対する彼女の配慮だった。まさかローレライが人間のような感情を見せるとは。


 ――われらに、感情という概念はない。


 ――他人の心を勝手に読むな!


 少女が首をかしげる。


 ――きみはまだ自覚がないようだ。心を読むも読まないも、思考のすべてが共有されているのだ。お互いが瞬時に理解し合える状況だ。もっとも、きみの意識がはっきりしているのも本格的な戦闘が始まるまでで、それ以降は完全なる意志の共有により戦闘に特化した存在になるだろうが。


 ――戦闘が始まるまでの間とは、どういう意味だ? 俺はどうなる?


 ――きみの意識は沈む。


 ――沈む?


 ――これから始まる戦いで、きみたち人類の精神はとても耐えられない。だから、意識層の最下部へ沈んでもらうのだ。


 ――死ぬということか?


 ――違う。死にはしない。


 少女は饒舌だった。しかし、それは共有した意識のなせる技であり、彼女が急におしゃべりになったのではない。互いの意識は完全にシンクロしているのだ。


 ――広大な海に、きみの自我が浮かんでいる。だがそれは固定されておらず、状況に応じて浮かんだり沈んだりする。現時点できみの自我が浮かんでいても、次の瞬間にはもう沈んでいるかもしれないのだ。


 ――その瞬間とは?


 ――『蝕』の攻撃が本格化した時だ。 


 またもや空に衝撃が走る。火球が降り注ぎ、無数のカプセルが大地に突き立った。暗黒の『蝕』が次々と現れる。その姿はもはや数えられないほどに膨らんでいた。


 ――あの『蝕』とは一体、なんだ?


 ――宇宙に蔓延する『闇』。世界の始まりと共に誕生し、宇宙にあるすべての生命を破壊する『暗黒』だ。


 城島の意識野に異変が起こった。さらなる共有の深化だ。


 激しい瞬きが全方位で視覚を圧倒する。それは、脳内のニューロンで生成された電気パルスによって流れ込む、膨大な情報の海だ。城島は、少女の持つ情報世界に呑み込まれて、膨大な映像イメージを受け取った。


 宇宙創世記、ビッグバン。


 世界を照らす『光』の誕生は、同時に世界を喰らう『闇』の開放でもあった。


 拡大する宇宙が、様々な生命を育む。


 ガス雲の中で繁栄する微粒子生命体や、惑星に吹き荒れる暴風から身を守るため、固い表皮に覆われた岩石のような生物。そして、大陸のない海だけの惑星には、風に乗り浮遊する綿毛のような生命体もいた。 


 このように宇宙には、地球以外にも様々な形の生命体が存在したのだ。


 煌く恒星に祝福されて、生まれる喜びに満ちた世界は、やがて拡大の一途をたどる。その果てしない生命の増殖を追って、『闇』が空間を駆け抜けた。 


 遭遇する惑星に手当たりしだいに襲いかかる『闇』は、惑星の海を蒸発させ、そびえる山脈を根こそぎ剥ぎ取ってゆく圧倒的な力で宇宙を席巻した。


 そして、惑星と生命を消滅させると、また新たな獲物を求めて宇宙空間を移動する。次なる獲物への遭遇まで、気の遠くなるような時間がかかっても関係ない。その破壊衝動は、宇宙を無に帰すまで止まることを知らないだろう。


 この青い地球が標的となる日も必ず訪れる。


 そのための準備を、七百万年前に行ったのが『侵略ウイルス』だった。


『侵略ウイルス』は、宿主と進化を共にすることで戦闘能力を強化、非常時にはその能力を開放して『蝕』と戦うのだ。


 城島は知った。


 ローレライは侵略者ではなく、『闇』に対抗するための防衛システムだということを。 


 周辺に響いてきたのは、店長の歌声だ。


 息絶えようとする男に向かっての、祈りにも似た歌声だった。


 ローレライの歌。


 情感あふれる旋律が城島の心を打った。


 ――さあ、時が来た。


 少女の穏やかな声に促がされるように、意識が遠のいていく。


 ぼやける視界のその先に、男がひとり映りこむ。


 喉に大きな裂傷を負ったその姿は、間違いなく逃亡した研究所の職員だった。


 彼は、喉に点滅する青い光を残して弾丸のように飛び立った。一瞬、目が合ったような気がしたが、城島の意識もそこで途切れてしまった。


 そして――かれの自我は、沈んだ。


 ◇◇◇


 ――気がついたかい?


 ――あ、店長。無事でしたか!


 ――おかげさまで、なんとかね。


 ――ここは、どこです?


 ――説明したいけど、時間がないんだよ。だから、ちゃんと伝えておかないと。


 ――なんです。改まって。


 ――こんな目に合わせて本当に申し訳ない。うちへバイトに来たばかりに酷いことになってしまった。


 ――そんな。店長のせいじゃないですから。


 ――きみは……どこまで人がいいんだ。


 ――はは。……でも家族や友だちは心配です。こんな状況で大丈夫でしょうか。


 ――さあ、そろそろ時間だ。行くよ。


 ――え、行くって、どこへ?  


 ――『蝕』の本格的な攻撃が始まった。これからは地獄のような戦いが待ち受けている。とてもじゃないが、われわれの精神では耐えられないだろう。だから、今はゆっくりと沈むんだ。


 ――沈む?


 ――戦いが終わるまで、眠りにつくようなものさ。


 ――目覚めることはできるんですか?


 ――この肉体が、生きていればね。 


 ――なんだろ……身体が……重い。


 ――眠りにつく前に意識を凝らしてごらん。きみの家族や幾人かの友人たちが繋がっているのが分かるから。


 ――あ……ほんとうだ。


 ――みんな『蝕』にやられずに無事だよ。全世界で発動しているローレライによって、戦う準備の真っ最中さ。


 ――よかった……ほんとうに……。


 ひっそりと、西村の自我が沈んだ。


 それを見届けて、矢野の自我も後を追った。


 ――西村くん……また、会おう……。


 静かに沈んでいくふたりとは対照的に、世界の破壊は激しさを増していた。


 大地が裂け、灼熱の海が蒸発する。


 無数の『蝕』の群れは、地球全土に魔の手を伸ばし生命を根絶していく。


 セーラー服の少女を先頭に、城島、矢野、西村。そして、AIB《アンインセクトブレイン》 の隊員たちが集結した。


 溶鉱炉と化した世界に、七百万年を賭けた防衛システムが発動する。


 ――飛翔!


 少女の号令一過、全員が弾丸となって飛び立った。 


 天空からの雷撃が地上の『蝕』をなぎ払い、焦土と化した大地に爆裂の嵐を巻き起こす。直撃を受けて破壊される『蝕』は、しかし同胞の飛び散る肉片をものともせず、怒り狂った闇の群れとなって次々と地を蹴った。


 天と地の狭間で鮮血が迸り、臓物が乱舞した。バラバラと地に落ちた腸は、一瞬にして炭と化し、周辺に異臭を撒き散らす。


 ――怯むな! われらは偉大なる生命の輝きを持って、闇を殲滅する!


 セーラ服の少女が、手にした光の剣を振りあげた。


 ――進撃!


 地球存亡を賭けた、地獄戦線の始まりである。


 おわり

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蠢く脳~ローレライの歌 関谷光太郎 @Yorozuya01

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