猫山先生と私

岡上 山羊

第1話 出会い

 私が先生と出会ったのは、とある専門店での事であった。先生の周りには人集ひとだかりが出来ており、私は興味本意の野次馬根性と言うやつで、その場所へ近付いた。

 先生はお忙しいだろうに、一切嫌な顔もせず、人々の対応をされていた。人々も短時間の対応を余儀なくされていながら、不満な顔もせず、先生に対して名残惜しそうにしながらも、恍惚こうこつの表情を浮べ、満足気にその場を去っていくのだ。

 私は順番を待ちながらも心躍る気持ちを抑えるのに必死だった。そして遂に私の番が来たのだ。

 私はそっと手を差し出した。すると先生はその柔らかな手を私に添えてくれたのだ。それどろこか、先生は私の手に頬ずりまでして下すった。

 日頃の仕事でのストレス、不条理とも思える世の中の仕組み、上司からの否応いやおうなしの命令、人生に疲れ切っていた私を、先生は癒やして下すったのだ。私の頬に生暖かい液体が流れるのに気付くのに、そう時間はかからなかった。きっと先生はセラピスト的な何かなのだろう。

 私は即断した。先生にお仕えしようと。私の総てを賭け、先生をお守りして、先生のお世話をさせていただくのだ。

 私は責任者を呼びつけ、契約書にサインをした。あぁ、これで私は、これからずっと先生の元で生きていけるのだ。

 こうして先生と私の共同生活が始まったのだ。


 家に帰った私は、早速、先生専用のトイレを設営する事に決めた。私ごときと同じトイレに先生を立たせる訳にはいかないのだ。専門店から帰る前に、あらかじめ買っておいた物を使用して、私はトイレの設営を終えた。

 帰ってから、少し元気がないような気がしていた先生だったが、トイレの設営が終わって直ぐに、先生はトイレに駆け込まれた。そうか、それほどまでに先生ははばかりを我慢しておられたのか。申し訳ございませんでした。


 トイレをお済みになった先生に、私はお食事の用意をさせていただく事にした。先生の健康も考えて、袋入りの歯ごたえがあるお食事を用意させていただいた。しかし先生は、出した食事の匂いを嗅がれると、きびすを返して、その場を離れられた。どうやらお気に召さなかったらしい。

 私は直ぐ様、近くのコンビニエンスストアへ駆け込み、缶詰入りの柔らかいの食材を買い求めた。先生は出した食事を無言で食された。真意のほどは分からないが、どうやらお気に召したようだ。


 そう言えば先生のお名前は何とお呼びすれば良いのだろうか。私は先生にお聞きしてみた。すると先生は、大きな欠伸あくびをされたのだ。そうか、猫山 猫之新とお呼びすれば良いのか。

 こうして猫山先生との一日目はけていった。


 床に入った私は、その布団の冷たさと、孤独感により、今日も眠れそうになかった。

 不眠症…そんな言葉が私の右肩に乗っかったのはいつの頃からだろう。眠りに入ったとしても、夜中に上司からの罵倒が聞こえた気になり、良く目を覚ます。きっと今夜もそうなのだろう。

 そんな私の思いを察して下すったのだろうか。猫山先生は何も言わずに、そっと私の寝床に入ってこられた。猫山先生の身体はとても暖かい。まるで湯たんぽをいだいているようだ。いや、そんな比喩では申し訳ない。きっと猫山先生の名セラピストたる所以ゆえんがここにあるのだろう。今夜はぐっすりと眠れそうだ。ふと見ると、先生は大きな欠伸をされていた。

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