祈り 重なる

桐中 いつり

第1話 祈り 重なる

 昨晩から降り始めた雨は、朝になってようやく止んだ。太陽が顔を出し、蒸し蒸しとした暑さの中、希美のぞみは東急新玉川線の桜新町駅に降り立った。


 マスクが暑い。


 アルコール除菌ジェルで手を消毒する。最近は習慣になっている。


 朝八時半。電車に乗り込んで行く通勤客を羨ましく思いながら改札へ向った。



 サザエさんで有名な町だが、今回の目的は別にあった。



 手には古びた臙脂色えんじいろ矢羽根模様やばねもようの巾着。中には細い和紙の巻物が入っている。


 和紙には墨で絵が描かれていた。


 一つは阿弥陀三尊。

 もう一つは頭が三角になった長方形の中に、あまり見かけない図柄が描かれていた。



 父によれば、これは板碑いたびと呼ばれるものの図柄だそうだ。


 板碑は鎌倉時代に作られ始めた板状の石の碑で、現代の墓石にある木製の卒塔婆そとばの元になったという。



 三角の頭の下は二本の直線。その下に阿弥陀如来を表す種子「キリーク」のサンスクリット語、さらにその下に達筆な続け文字で何やら書いてある。


 お経の一文と思われる「光明」という文字と「左衛門尉丹治泰家」という人らしき名前は何とか読み取れた。

 紙の端に作者だろうか「松野キヨ」と記載がある。



 同じ板碑がこの周辺のどこかにあるはずだ。

 その板碑がある、もしくは、その板碑の近くにある神社仏閣にこの「お守り」を返したい。





 移動制限が解除された六月下旬、希美は長野県の実家の敷地内で、家族親戚と朽ちた古い家の中を整理していた。



 この家は百年昔から祖父達が暮らしていた古民家で、傷みが激しい為、取り壊しが決まっている。


 その時に見つけた巾着だった。



 戦時中、東京から疎開した子の持ち物ではなかったかと祖父が言う。



「多分、お守りとして持ってたもんだ。確か、シノさんて言ってたと思う。十歳かそのくらいだったか……」



 戦時中と聞くと、千人針とか日の丸の寄せ書きを想像してしまう。


 作者の松野キヨさんにとって、一番身近な大事なものをお守りにしたんだろうか。



 終戦の一年前、昭和十九年。

 集団疎開とは別に、母親に連れられて一人でやって来た。東京で働いている遠い親戚の子供だという。シノさんはいつも農作業の手伝いをしていた。



「その人、今も東京にいるの?」


「さあな……、終戦してからシノさんの母親が迎えに来て、その後どこかへ行ったんじゃなかったか」



 祖父はその当時六歳。


 東京にも滝があるのよ。よく遊びに行った……。


 シノさんがそう話していた記憶があるそうだ。

「多分、世田谷区の等々力か深沢からやって来た子だと思うが」



 希美は東京都北区で一人暮らしをしているので、返しに行ってもいいと思った。



 捨てちゃいけない気がした。




 それに、どうせヒマだ。



 希美は三月に大学を卒業した。


 ブライダルを扱う会社に就職が決まっていたが、猛威を奮っている新型コロナウイルスの影響で内定は取り消し。そしてつい最近、その会社は倒産してしまった。


 こういう出来事は希美だけではなく、旅行やアパレル関連に決まっていた友人やその家族にも降りかかっている。



 東京での就職を諦め切れない希美は、内定を取り消された二月からリモート就活を試みたが、雇ってくれる会社は見つからなかった。


 今は以前アルバイトをしていたコールセンターに頼んで再雇用してもらい、夕方から夜の時間帯で勤務している。


 だから日中はヒマなのだ。


 本来なら就職活動をすべきであろうが、何だかもう、何をしても駄目な気がしてやる気が起きない。


 実家へ帰るかどうか迷っている最中だった。





 世田谷区深沢一丁目にある阿弥陀三尊画像板碑の前に立った。


 スマホで調べると世田谷区の板碑は数が少ない。ここはその内の一つだ。図柄は一致しないが、どんな姿をしているのか見てみたかった。


 江戸時代に小児の百日咳の平癒を祈って信仰されたと立札にある。


 板碑の役割は墓標だけではなさそうだ。



 そのまま東急大井町線の九品仏くほんぶつ駅への道を歩いた。


 九品仏の名の由来となった浄真寺じょうしんじにも板碑らしきものはなかった。


 東急大井町線に乗り、等々力駅で降りる。



 シノさんが言っていた滝とは等々力渓谷の不動の滝と思われた。




 世田谷区のホームページによれば、等々力渓谷は武蔵野台地の南端に位置し、川に削られて出来た谷だった。


 八万年前から五万年前、元は海だった場所に、関東山地からの土砂が幾重にも積み重なり、富士山や浅間山の噴火物が降り積もり、荒川、多摩川に削られて形成された武蔵野台地。

 関東ローム層を含め、合計六つもの層が堆積している。


 武蔵野台地には特徴的な崖の連なりがあり、立川市から国分寺市を通って大田区にまで続く崖は、国分寺崖線こくぶんじがいせんと呼ばれている。崖は昔からハケ、ママと言われ、その下には水が染み出していることが多いらしい。等々力渓谷はその崖の一部だった。



 渓谷は少しひんやりとして涼しい。


 都会の真ん中に、こんなに緑豊かな土地があるなんて不思議だ。


 悠久の時を思うと自分の存在がちっぽけに感じる。



 希美は滝を拝んでから満願寺と等々力不動尊にも足を運んだが、板碑は見つからなかった。



 やっぱり無謀だったか。


 和紙を広げて陽に掲げ、溜息をついた。


 こうなる予感はしていた。


 申し訳ないけど、ここでお賽銭と一緒に納めさせて頂こう……。



「面白い物をお持ちですな」


 不意に後方から声がして希美は振り返った。


 中折れのストローハットを被った上品なお爺さんが立っていた。


「その絵は板碑ですな」


「板碑をご存知なんですか…?」


 少しならとお爺さんは頷いた。


「見せて頂いてもいいかな?」


 手のひらにポケットティッシュを一枚広げて差し出した。

 

 お爺さんが眺めている間に希美はその和紙を手に入れた経緯を話した。


「なるほど。……しかしねえ、お嬢さん。この板碑は東京には無いですよ」



「東京に……無いんですか」


 希美は面食らった。


「ここに丹治泰家たんじやすいえとあるでしょう。武蔵七党の丹党たんとうという武士団にいた人物ですな。丹党の本拠地は確か埼玉県の入間か飯能だったはず」


「武蔵七党、ですか?」

 初めて聞いた。


 平安時代後期から鎌倉、室町時代にかけて、埼玉県や東京都の一部に武蔵武士と言われる武士の集団がいたそうだ。その内の代表的な武士団を武蔵七党と呼んでいるという。


 おじいさんはスマホを取り出して「丹治泰家、板碑、光明こうみょうと…」呟きながら入力する。


 希美も同じ様にスマホに入力してみた。


「所沢…所沢の来迎寺らいごうじって出ました!」


 おじいさんは、うんうんと頷いた。


「所沢は武蔵七党の村山党山口氏むらやまとうやまぐちしの拠点があったと思いますが、入間と所沢はお隣ですから何か理由があるのかもしれませんな」


「行ってみます!ありがとうございます!」


 勢いよくお礼を言うと希美は等々力駅へ向かった。

 自由が丘駅からエフライナーという急行がある。これに間に合えば一時間程で所沢に着く。


 長野県生まれの希美でも、所沢という地名は知っているが、友人と西武球場や西武遊園地へ遊びに行く時は通り過ぎていた。



 所沢駅でランチを取る事にして、近くの真新しい商業ビルに入り、雰囲気のいい洋食屋さんに入ると、駅で見つけた地図を広げる。



 所沢は武蔵野台地の北部域に位置し、旧石器時代の遺跡や戦国時代の古戦場、今は公園になっている日本で初めての飛行場、言わずと知れた西武球場、西武遊園地など新旧の名所が満載だ。そこへ東所沢駅付近に最先端の商業、文化複合施設ができるそうだ。


 楽しい未来を想像して明るい気分になる。


 

 明るい気持ちのまま店を出ると、希美は旅の終点へ向かった。



 所沢駅から西武狭山線で下山口駅しもやまぐちえきに降りた。

 左の道を行けば村山党山口氏の城跡、さらに奥へ行けばトトロの森がある。


 下山口駅から徒歩五分で目的地に着いた。


 立札を読むと、来迎寺には車返しの弥陀の伝説があると書いてあった。和紙に描かれていたのはこの阿弥陀三尊に違いない。


 誰もいない敷地を奥へ進む。



 あった……。



 板碑は塀と柵と屋根に守られていた。綺麗なお花が供えられている。


 今も誰かがこの板碑に祈っているのだろうか。


 不意に今朝訪れた世田谷区深沢にある板碑を思い出した。

 あの板碑にも子供が病から回復するように祈っていた人達がいた。


 この絵を描いた松野キヨさんも、シノさんの無事を祈っていた。


 

 希美が今、祈るとしたら、世界に広まっている病が少しでも早く終息して欲しいという事だ。



 人々は祈りを止めない。



 今、この時も、過去の多くの災害や流行病、戦争やいくさの時も、平穏な時もずっと……。


 この大地には祈りが幾重にも何層にも積み重なっているんだ。そしてこれからも積み重なっていくだろう。どんな時も……。



 そう思うと、希美はここで立ち止まっていていちゃいけないと感じた。



 今後も災害はやってくるだろう。今回だけじゃなく、その時も仕事を失うかも知れない。それでも、少しでも乗り越えられるように、後悔しないように、自分を準備しておかなきゃ。



「よーし、やるか」


 独り言ちて明日からの就職活動を決意した。


「あら、珍しい。一人旅?」


 お婆さんの声がした。


「あ、はい…」


「あら、その巾着……」


 眼鏡を掛けた小柄なお婆さんは希美の手元を凝視した。


 希美がこの巾着と旅の経緯を話すとお婆さんは驚いた顔になった。


「私の祖母は松野キヨというの。私は旧姓、松野シノです」


 今度は希美が驚く番だった。


 

 松野シノさんのお父さんは所沢から東京へ出て、世田谷区の古美術商で働いていたそうだ。お母さんは東京出身だったが、親戚のツテでシノさんは長野県へ縁故疎開したという。その時に祖母である松野キヨさんが手製のお守りをシノさんへ贈ったのだった。



 お守りを持ち主に返す事が出来た。



 今日のバイトは十八時から。

 所沢駅に戻り、西武池袋線で池袋を目指す。


 今日一日で武蔵野台地の南北を移動した事になる。


 疲れているはずなのに、気分は良かった。



 やるだけやってみよう。


 

 車窓に見る久しぶりの夕焼けが希美を応援している気がした。

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祈り 重なる 桐中 いつり @kirinaka5

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