ヨモツヘグイの夢

笹師匠

幻意 学歌は旅に出る・前編

16日前、80年後の未来から学会の権威、イワレヒコ・カムヤマト教授が私の住む工房を訪ねて来た。理論上悠久の覚醒に耽って居られる私とは違って、先生は夢から醒める気配が無い。教授には仕方なくソファーをベッドにして貰い、先生が起きて来るのを待っていたのだが……。


「…………カムヤマト教授。肝心の先生はまだ惰眠を貪っています。主人の余りに長い無礼をお許し下さい」

「こうして待つのももう8度目だ。流石に慣れては来たが不安になって仕舞うな。不老不死に成ると、気まで長く成るのだろうかね?」


私の先生……幻意ゆもい学歌まなかはもう3週間もの間目覚めていない。幾ら高齢とは言え、流石に寝過ぎである。私も教授も慣れて仕舞ったものだが、やはり以前から計画していた話し合いに大幅に遅刻して来るのは、大人だとか子供だとか関係無しに褒められた事では無い。


「先生を叩き起こして来ますので、もう少しだけ待って頂くのは可能ですか?」

「構わない。何せからね」


教授は微笑むが、その瞳に覇気や生気の類は殆ど見られない。教授の老体も限界に近いのだ、いい加減先生を起こさねば。




600時間振りの夢は相変わらず気味悪い程に美しく、光は扇情的に、空気は艶やかに肌に纏わり付いた。少なくとも人間では無い私に取って、この空気感は異常でしかなく居心地が最悪である。この欲望を詰め込んだ箱庭から、早い所逃げ出して仕舞いたいものだ。


「嗚呼、態々わざわざ迎えに来てくれたのか」


遥か80年先から来訪した客人を390時間近く人を待たせておきながら、当の本人は何と連続8千年もの間現実の脳を保存用合成アムリタ液に、精神を極彩色の夢に浸けて惚けている。我が主人ながら本当に困ったものだ。


「先生。彼此かれこれ389時間42分17秒もの間カムヤマト教授をお待たせしています。好い加減夢から醒めて下さい。そうでなくとも夢の濫用はお身体に障りますから」

「とは言え私だってあの教授ひと苦手なんだよ……夢想学の絶対権威とか言うのを引っ張り出してくる割にすっごいナヨナヨしてるし、喋りやら態度が演技じみててさ。困り顔もやり過ぎると胡散臭いのよ」

「貴女の方が7000歳も上ですよ……兎も角、私にも仕事が有るので早急に応対なさって下さい。停滞は研究の大敵ですから」

「分かったよ。……全く、どちらが研究者なんだかね────」


幻意 学歌はアマチュア研究者の一人で、専門は【夢】である。見て呉が少女のそれと変わらない為馬鹿にされる事も多いが、その実態は数千年の歳月を夢の中で過ごす本物の魔女。科学、錬金術と魔術の3つを修めた彼女は時に【異端者】と呼ばれ、研究者界隈では忌み嫌われている。


「魔女だから魔術だけ覚えとけ、だなんて無粋だと思わないかい?知識欲は何人も止めてはならないと言うのに……」


『知識欲は何人も止めてはならない』。これは彼女の口癖であり座右の銘でもある。彼女は実際、知識欲に生き、知識欲で生きてきた人だ。

魔女の天命は長くとも700年。彼女は知る事に命を捧げても知識は尽きず、自らの欲は天命をすり減らした所で満たされるものでは無いと49歳の時に悟ったと言う────因みに魔女の49歳は人間で言う7歳である────。そして72歳(人間の10歳程度)にして彼女は不老不死の禁術を完成させた。魔術生物の不死鳥と錬金術の賢者の石、科学のクローン技術を掛け合わせて永遠の命を造り出したのである。

特に賢者の石の錬成は偉業だった。トリスメギストス、カリオストロ、始皇帝に次ぐ4人目の成功者だったからである。

……しかし、彼女はまたしても禁忌を犯す。

『賢者の石を生み出した者は研究の一切を棄て、俗世を離れなければならない』……この鉄則を破り、バッシングから逃れる為に、老婆に化け自らの工房に300年もの間盾籠ったのだ。

結果、彼女を知る者自体が少なくなり、無論バッシングも180年間で無くなった。それから彼女は数千年の間、ろくに外にも出ず工房で怪しい実験を繰り返していた。自らの肉体をわざと消滅させたり、世界軸を異にする自分自身とコンタクトを取ろうと試みたり、諸々色々危険な行いを繰り返して来た。そんな教授の数多の業を端から全て見届けて来た私は、どうにも彼女の事が心配になって仕舞う。


数十分のねちっこい交渉を経て、『分かったから止してくれ』と音を上げた先生は漸く重い腰を上げ、カムヤマト教授の待つ工房に戻るのであった。


「……普段は身体を風元素レベルまで分解してフラスコに仕舞っているけれど、80年後の夢想学でこの技術は再現可能なのかい?」

「正直に申し上げましょう。夢想学の絶対権威であるワタクシを以てしても、貴公の研究の全容を理解するには至りませんでした。学会での議論、各界の【第9世代】による研究も虚しく、こうして訪問させて頂いた次第なのです」

「そうかぁ……まだ完成は遠いねえ」


しみじみ、といった感じにも取れるが若干嬉しそうにも取れる。人形の私にとって、人間などの高度知的生物の持つ感情の機微は判断が難しい物の一つだ。特に幻意先生は何を考えているのか良く解らない。助手として造った私にですら何か隠している事が有る様だし、理解に苦しい。


「……分かった。夢に侵されこの滅び行く【現界】を、如何にか出来るのは後にも先にも私だけらしい」

「では10年前……いや先日の返事は……!!」

「ああ。この幻意学歌、幻界の浸食から現界を救ってみせよう」




夢の浸食が始まってから44年。

残り丁度100年で、世界は終わる。

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