第17話「LUCIFER」
「あ―――クソッ!何でこんな無駄に入り組んでんだよ、この森は!」
オオトヒワケが茂みから顔を出してぼやいた。
彼の全身は砂と土で汚れ、服には落ち葉やら雑草やらが貼りついている。やはりイザナギの「島中をくまなく探せ」という指示を真に受けてここまでする必要はなかったかもしれない、と少し後悔した。
ヒワケは今こんな事をしているが、先日の
「ったく…その場のテンションで飛び出したらロクなことになんねえな…」
ヒワケは大きなため息をついて天を仰ぎ、その場にペタンと座り込んだ。
「おうヒワケか。そっちはどうなんや?その様子じゃダメそうに見えるな。まったくだらしないのう」
頭上で話しかけてくるカザモツワケの嫌味にヒワケは睨みで答えた。
「そう聞いてくる辺りおめえも
「何言うとるんや、俺はお前と違って日が昇らん内からリキ入れて探しとんねん!一丁前の文句は一丁前の働きやってから言わんかい!」
「働いてるわ!身を粉にして、泥だらけにしてよぉ!これが見えねえのか!」
ヒワケが自らの服を引っ張ってカザモツワケに見せつけた。それでも彼は譲らない。
「おめーのは働いてるんじゃなくて、働いた気になってるだけってゆーとるんじゃ此の呆け!」
「どっちにしろ成果出して無い時点で五十歩百歩だろうがアホンダラ!!」
二柱の罵り合いが辺りに響き渡り、怯えた森中の鳥たちが一気に飛び去っていった。
「はぁ…何やっとるんやろうな、俺ら…」
カザモツワケはヒワケと同様に地面に座り込むと額の汗を拭いながら天を仰いだ。
「一体どこにおるんや、アウワ…」
アウワノミコトの失踪。
その報せは淤能碁呂島のみならず、高天原をも震撼させた。
事の起こりは5日前。
その日の朝、日もまだ顔を見せぬ薄闇の中。カザモツワケは一番早く起きて目覚ましがてらに外の空気を吸いに出ていた。彼は玄関の先に出ると、その向こうに誰かの後ろ姿を捉えた。
まだ眠い目をこすってよく見ると、その後ろ姿はアウワのものだった。この薄暗い状態でも彼の金髪はキラキラと輝いて、よく目立つ。
そんな彼は何をする訳でもなく、崖に佇んで朝日が昇ろうとしている海を見ているだけだった。
「よう、お前さんも朝の散歩かいな?アウワ。珍しいのう」
ヒワケが気さくに話しかけても、アウワは答えない。気の短い彼はむっとして「おい、シカトしてんちゃうぞ」と彼の肩を掴む。
暫しの無言の後、アウワは静かに、ゆっくりと振り返る。そしてその表情にカザモツワケは戸惑いを覚えた。
星の光のような金髪と、青い海のような瞳の輝きに覆われた顔は暗いとも、明るいとも形容できなかった。平常心を保っているようでどこか悲しげな、何かに怯えている、或いは求め縋っているようだった。
同時に、何か思い詰めて使命感に追われているかのようにも見える。
「…どうしたん、何かあったんか?」
心配そうにヒワケは尋ねるが、それでも答えない。
尋常な様子ではないと判断したカザモツワケは彼の方を掴んでいた左手を離し、頬に触れようとしたが、その直前でアウワの手がそれをやんわりと拒んだ。
「行かなきゃ、いけない場所がある」
ただ一言。一言だけそう言うと再びカザモツワケに背を向け、山を下る坂道へと、何かに引き寄せられるかのように歩き出していった。
何故かカザモツワケは呆然とそれを見ている事しか出来なかった。そして瞬時に我に返ると「何でもええけど、早めに戻ってくるんやぞ!じゃなきゃお前の朝飯も食ってまうで―――!」と、アウワの背中に向かって叫んだ。
それでも彼は反応を示さず、決して振り返らずに山道へと姿を消した。
その後、アウワが戻ってくることは無かった。
皆が起き出しても、日が高くなっても、日が傾いても、アウワは決してその姿を現さなかったのだ。
これには誰もが動揺と心配を禁じえず、一家総出での捜索がすぐに決まった。これに当たってカザモツワケは真っ先に、それも一柱で飛び出していこうとした。最後にアウワの姿を見たのは自分であり、その時に彼を引き留めていればこんな事態にはならなかったのだという責任を感じていたからだ。
だが、父、イザナギは戸口でそんな彼の肩を掴んで引き留めた。
「…離しとくれや、親父。こいつは俺のケジメでもあるんや」
カザモツワケの目には悔しさと必死さが同居していた。
「…いち息子がなりふり構わず無茶をしようとしているのを止めない父親がいると思うか?」
「その前に俺は家宅六神のカシラやで。カシラのケジメっつーもんは、カシラ自身でつけなあかんのや」
カザモツワケは自分の右手を見てから、強く握り込んだ。爪で血が滲み、手のひらを握り潰してしまいそうな程に。だがその手を、父の大きな手のひらがやんわりと抑え込んだ。
「メンツだのカシラだの、今はそう言う事柄は忘れろ。お前だって純粋に、あいつが心配なんだろう?俺達だってそうだ。考えている事は同じなんだ」
「けどよぉ…」
そう言いかけた所でカザモツワケは大きくため息をいて頭をかいた。
「せやったな…。すまん、熱ぅなりすぎたわ…。けど、捜索の陣頭指揮は俺が執る。それだけはええやろ?」
イザナギは無言の承諾として肩を叩き、八尋殿の中へと戻っていった。
一連の詳細は高天原にも直ちに伝達された。結果としては必然ながら、八尋殿に負けず劣らずの大騒動となった。
神世七代は勿論の事、別天津神も少なからず動揺していたのだ。特にミナカヌシのそれは尋常なものではなかった。事あるごとに「あの子は無事なのか!」だの「万が一のことがあったら」だの「もしかしたら獣に襲われたんじゃ…」だのといままでにない狼狽具合だったという。
それに終止符を打ったのはタカミムスビだった。
慌てふためき、涙目で頭を抱えるミナカヌシの頬をタカミムスビがひっ叩いたのだ。
「それが高天原を統べる最高神の態度か!」
これまでタカミムスビは神々(主にカムムスビ)のおイタについてドヤしつけたり、夢に出そうなほどの小言を並べることはあったがここまで真剣に叱りつけるような事はした事がなかった。
「泣き言を喚く暇があったら手足と頭を動かして俺達を手伝え!心配で狼狽える暇があったらあいつの無事な発見を願って信じろ!あいつの事を一番理解しているお前が、一番シャンとしていなきゃならん時だろうが!!」
そう言ったところでタカミムスビの後ろからカムムスビが「はいはいそこまでね」と彼の肩を引っ掴んでグイッと押し込み、そのまま尻餅をつかせた。
「まあ、こんな言い方だけどこいつ自身もアウワの事心配してるんだよ。貴方に負けず劣らずね」
カムムスビはミナカヌシに手を差し伸べた。
「さ、こんな所で騒いでてもしょうがないさ。忙しくなるよ?どいつもこいつも駆り出す事になるからね。高天原の顔役の貴方にはドンと構えていてもらないとねぇ?」
ミナカヌシは目に浮かんでいた涙を拭うと、彼女を取って立ち上がった。
「そうだね、すまなかった。私は今、私にできることを最大限やろうと思う」
そう言ってミナカヌシはカムムスビを伴い、部屋を後にした。
ーーーー尻餅をついたまま動けないタカミムスビを置いて。
「…またこういう扱いか…」
もはや怒りすら湧いてこないタカミムスビは顔を手で覆って天を仰いだ。
渡り廊下にて。
「しかし、捜索と言ってもどこまで範囲を広げたものか…中津国はとてつもなく広大だ。あの島だけでも相当あるというのに」
「ああ、それなら心配ご無用だよ。私もさっきクニトコと一緒に反応を調べてみたんけど、アウワはあの島を出ていない。詳しい場所までは特定できなかったけど」
カムムスビの報告を聞いたミナカヌシは少しだけ希望を見出した表情になった。
「それは本当か!だったら、島の地理に明るいイザナギとイザナミ、それに子供達が頼りか…」
ミナカヌシは中庭の池を見ると、その水面を地上の海に重ねて彼らの健闘と、アウワの発見を無言で願った。
その頃、淤能碁呂島の海岸に続く森の中。時間は夜明け前だった。
そこを行くのはカザモツワケと、泥まみれのヒワケ。そしてその後ろに家宅六神全員、オシオ、そしてククリだった。
子供達は揃って一列になって歩いていた。
「お前ら…何で固まっとんねん?島中をくまなく捜索するってのにこれじゃあ絶対効率悪いやろ…」
それに最初に異を唱えたのはイワツチヒメだった。
「探したわよ、島の裏まで。まったく、
そう言って指にくるくると髪を巻きつけて口を尖らせる。
「ほーん、その割にはあんま服汚れてへんな?」
「私一応、砂とか土とか司ってるんで、これを避けるくらいどうってことないのよ。そこで泥まみれの愚弟と一緒にしないで」
姉の暴言を聞いたヒワケはギッと彼女を睨みつけた。
「何だとこの野郎!」
「あら、また私の拳の餌食になりたいの?」
「ええ加減にせいや!下らん茶番やっとる場合や無いやろがワレ!!」
カザモツワケの怒号がもまたしても森中に響き、鳥が逃げ去っていった。
実際の所はこうだった。
彼らは八尋殿と、それが建つ山を中心に四方八方を巡回していたのだ。
山道から海岸沿いの岩場、木のうろ。彼らが幼い頃にかくれんぼに使っていた秘密の抜け道に至るまで。だがこれと言っためぼしい収穫は得られずに彷徨っていた結果、カザモツワケとヒワケがいた森の中、ちょうど東に位置する海岸へ続く坂道で全員が合流することになって今に至るのである。
「そういやククリはなんで何で付いてきたんや?てっきり家におるもんやと思ってたからのう」
ククリはオシオの半歩後ろで、彼に手を引かれながら歩いていた。
「ああ、僕も家を出ようとした時にくっついて来ちゃってね…もちろん危ないことはさせてないけどさ」
オシオがそう言い終わった時のことだった。
「私も、行かなくちゃいけないと…思った」
ククリの言葉にその場にいた全員が振り返った。
極端に無口なククリは滅多に口を開くことが無く、兄姉達の中にもどんな声だったかを忘れそうになる者が出てくるほどだったからだ。
「彼を、見付けないと…見ていないと…」
ククリはオシオと繋いでいた手を半ば強引に解き、駆け足で坂道を走り出した。
「あ、おい!あんまり走ると危ないぞ!」
オシオが引き止めるが、ククリは止まらなかった。カザモツワケは「こりゃあかんな、見失う前に追いかけるで!」と皆を先導してククリの後を追った。
子供というのはすばしっこいもので、ちょっと気を抜けばあっという間に置いて行かれてしまう。
走って、走って、走り続けて、気が付けば一同は既に森の出口まで辿り着いていた。
ククリはそこで立ち止まり、程なくしてカザモツワケ達も追いついた。
そのの場所カラ動かず、向こうを見つめるククリの肩にカザモツワケは手を置く。
「まったく、どうしたん?危ないやんか…」
カザモツワケが息を弾ませながら言った。するとククリはそこから一歩も動かず、ただその右腕だけを上げ、正面を指さした。
「いた…」
一同がククリに示された方角…即ち海岸を見ると、そこにポツリと佇む何者か姿があった。
そこそこ距離があるので一瞬誰なのかはっきりしなかったが、カザモツワケには直ぐに分かった。
「アウワ…」
太陽の光を反射した海のように輝く黄金の髪。彼らはそれだけでその者が、アウワノミコトだと理解した。
「アウワ!おーい!アウワなのか!?」
オシオはそこから大きな声で波打ち際に佇むアウワに呼びかけたが、返事が返ってくることは無かった。
一同は森をの出口からそこまで駆け寄っていく。アウワが立つ、その近くまで。
アウワの足元は寄せては返す波に何度も浸されて既にびしょびしょだった。
そこに、カザモツワケが彼のすぐ後ろまでやって来た.
「やっと見つけたで、アウワ。お前今まで一体どこで何をしてたんや?フラッといなくなって影も形もなく、一週間近く行方不明。獣に襲われたんかとまで思っとったんやで?俺らはともかく、親父やお袋、高天原のオジキ達だってどれだけ心配したか…おい聞いとるんか!?」
カザモツワケの説教の最中、アウワはゆっくりと振り向いた。
その顔は6日前の夜明けに見たものとは少し異なっていた。
星の光のような金髪は夜明けの空に照らされてより一層明るく、それを反射した青い海のような瞳の輝きはより一層強く。
そしてその表情は全てを受け入れたようにも、全てをあきらめてしまったようにも見える。それらの全てを悟り、決意の眼差しで覆ったようだった。
「どこに行った…?僕は、どこにも行かない。ずっと、ここにいたよ」
「ここにいただぁ?何ゆーとるんや!自分、今日までここにおらんかったやろ!」
「それは認識の仕方の違いだよ。そもそも『ここ』とそれ以外の線引きってなんだい?『いない』の定義ってなんだい?いないってのは、そもそも世界のどこにも存在しないって事なんだから。『ここ』の範囲だって、各々が勝手に線を引いてしまえばどこまでも範囲を広げられてしまうんだから」
カザモツワケ等には、アウワの言っている事が理解できなかった。散々心配かけた挙句の屁理屈はともかく、こんな意味不明な事を言う性格では断じてなかったからだ。一体何が彼をこうさせてしまったのか。この空白の6日の間に何が起きたのか、誰にも想像がつかないだろう。同時に彼らはこうも思っていた。アウワは、もしかしたら既に自分達より遠い彼岸の領域に辿り着いて、二度と戻ってこれなくなってしまったのではないか。
「まあ、言葉遊びはどうでもいい。君達の物差しに合わせて説明するならば、僕はずっと、ある場所にいた。そこは…どう形容したものか。世界の全てと繋がる場所、と言うべきかな?根源、真理、起源、特異点、あるいは終焉…そんな場所」
アウワは、どこか遠い彼方を想うように目を細めた。彼が思い描いたのは、何度も夢に見たあの景色。
地面の無い、満天の星空に浮かぶ謎めいた紋章、「フトマニ」の上に立つ自分。そしてあの影。
「あの場所で僕は理解した。自分がこれから何をするのかを。細かい理由はともかく、とにかくそうするべきなんだと心で分かったんだよ」
するとオシオが前に出た。
「なあアウワ…君がそれをどんな風に理解したのかは知らないけど、僕らには君が何を言ってるのか全く理解できない。その前にさ、一旦家に帰ろうよ!君が今やるべきなのは父さんや母さん、ミナカヌシ様達に心配かけたことを謝る事じゃないのか?」
少々下手なフォローだったかもしれない、とオシオは一瞬だけ思った。「まずは謝れ」等と俗っぽい説得をしたのも、ここにいる皆が感じた前述の「アウワが遠い彼岸に辿り着いてしまった」という予感を塗り潰したかったからである。
だが、そんな現実逃避じみたささやかな目論見も、アウワのため息交じりの伏せ目によって打ち砕かれた。
「まぁ、とりあえずさ…危ないからちょっとそこから離れててよ」
「なっ…てめぇ!」
呆れて小馬鹿にしたような物言いにフキオが激発し、掴みかかろうとしたがイワツチビコに無言で止められた。
この時、イワツチビコはアウワの顔つきを見て気付いていた。
今のアウワには「誰であろうと絶対に自分の邪魔をさせない。そのためなら世界全体を敵に回してもいい」と言う位の気概と凄みを発していたのだ。
アウワは再び海の方へ向き直り、歩を進めていった。寄せては返す波の
立ち止まると懐に手を差しいれ、そこから何かを取り出した。手のひらに収まるほど小さなものであるらしく、「それ」は握り拳の中に隠されてしまっていた。
手を開くともう片方の手でそれを摘まんで、天に掲げて見せた。
「それ」は種だった。とても小さな、しかし艶やかな、日の光を反射して輝く種だ。
オシオにはそれが何なのか、一瞬で分かった。
家に植わっている樹に成る、果実の種だ。両親に見せてもらったことがあるからよく知っていたのだ。
なぜ彼がそれを持っているのか分からなかったが、オシオもそれ以外の神もどういう訳か動くことも、声をかけて問いただす事も出来なかった。
アウワがその手を離すと、種はゆっくりと砂浜へと引き寄せられて、落ちた。。
種が砂に埋もれると、アウワは目を閉じて両手を胸の前まで持って来てそこに輪の形を作った。さらにその輪を口元まで持ってくると、そこに息を吹きかけた。
その瞬間、アウワの息だったものが凄まじい勢いで閃光となって波を掻き分け、空を切って海の向こう、天の彼方へと真っすぐに伸びて消えていった。
そこにいた誰もが驚きで声を失った。
閃光が消えていったその位置に赤い星が煌めいた。イザナギもかつて見た赤い星だ。
その瞬間、そこにいた全ての者達の脳裏に電撃のようなものが走った。
オシオ、家宅六神、ククリだけではない。八尋殿で待機していたイザナギやイザナミ、高天原に座する全ての神々にもそれは木霊していたのだった。
この時全ての神々は一瞬、己の自我が完全にこの世界と同調して繋がっているような感覚に陥っていたという。
それでもアウワは、表情一つ変えない。両腕を天に掲げるとそれまで穏やかだった波は突如激しくなり、辺りは風が吹き荒れ、空には雲が立ち込めて雷が鳴る。
だが、そんな中でも赤い星は変わらずに輝いている。
すると今度はアウワの立っていた地面を中心に光の線が現れて一つの紋様を瞬く間に形成していった。
それは彼が夢に見た「フトマニ」のものだった。
フトマニが白い光を発して強く輝くと、種が埋められた部分から小さな芽が出て、たちまち大きく、大きくなっていった。果実を実らせるまで3年はかかると言われたそれはたった3つ数える程の時間しかかけずに立派な樹へと成長していた。
「『
その言葉と同時に天の赤い星がより一層輝きを増した。そしてそれに呼応するようにアウワの青い瞳が、赤に変わった。
「夜明けの、時だ」
天を仰ぐと、それまで無表情だったその顔は徐々に笑顔へと変わっていった。
新しい何かを見つけた時の無邪気な子供のような、晴れやかな笑顔…。
赤い星は更に輝きを増すと、空を覆い隠していた黒雲を突き破り、赤、青、黄、緑、白の色とりどりないくつもの光線を放ち、のたうち回る蛇のようにグネグネとねじれ、交わりながらフトマニの下へと吸い込まれていった。
「さあ、始めようか」
既にやり方は分かっている。
何故なら、自分がそうやって生まれたから。体が覚えているという奴だ。
だが、まるっきりそのまま流用するというのは無理がある。
そう思った瞬間、果樹の
5つの光球はアウワの手の中でくるくると回り、それが段々と速度を増して色鮮やかな渦を作り出すと上下に分かれて移動してくびれた胴体のような形を作り出した。
上部には赤と緑と白の光球が、下部には青と黄の光球が渦を描いている。
これらを交わらせて果樹に宿し、そこから生まれるもの…それこそが彼の目的であった。
まず、白い光球がアウワの前方へと飛んで行った。
これは
アウワはそれがとても恐ろしいと思った。ミナカヌシがそうであったように。
言わばそれは無限の孤独、始まりと終わりの特異点だった。
次に、緑の光球が斜め右へと移動した。
これは風。空が動き出し、流れが生まれた状態の事だった。
アウワはそれに希望を感じた。別天津神が互いを求めて出会った時のように。
風はいつも不規則に揺蕩い、何かを運んでくる。声、噂、いい予感、悪い予感、そして出会いと別れ。
続いて、赤い光球が斜め左へと飛び移った。
これは炎。風に煽られた熱が力を帯びて燃え上がる状態だ。
アウワはそこから欲望を覚えた。ミナカヌシ達が衝動に従い高天原を創ったように。
内なる欲望はやがて風が運ぶものによって熱を帯び、炎となって破壊と創造、いずれの願望を叶える力となるだろう。
3つの光球が去った事で渦の上部は消滅した。
これで過程の半分は達成されたようなものだ。
更には黄色い光球がアウワの右斜め後ろへと舞い降りた。
これは
アウワはそれで確かな意志を覚えた。イザナギとイザナミが地に下りた時のように。
土が固まれば、身を焼くような衝動は揺らぐことのない確固たる意志へと育って、全てを広く見渡すだろう。
最後に、青い光球がアウワの左斜めへと流れていった。
これは水。集まった物が自在に形を変えて流れていく状態なり。
アウワはそれによって自由を知った。世界に多様な姿と命を見た時のように。
水は地を這い、どこまでも自由に流れ行き、そこから豊かな無数の何かを生み出して、いずれは天に還ってまた地へと注ぐだろう。
残り2つの光球を失くした下部の渦も、消えてしまった。
風が吹き、海は荒れ、
四方、もとい五方へと配置された光球は極彩の光の糸を果樹に向かって放った。
果樹はその幹に凄まじい生命力を帯び、ドクドクと脈打つような鼓動を発している。
アウワはそれを自身の鼓動と重ねて感じていた。
高揚感、期待感、緊張感、不安感、その全てを孕んで。
とうとうここまで来た、と感慨深さも感じた。まるで自分が天地開闢からこの瞬間までの時を全て見てきたかのように。
それは、全くの間違いと言う訳でも無かった。5つの光球が巡る間、アウワの脳裏にはその記憶が流れ込んでいた。あの時、フトマニが聞かせてくれた断片的な言葉ではなく、その時の場面を鮮明に映し出していた。
同時に、そこで生きていたミナカヌシ達の想いも知ることができた。
言葉を抜き出されて聞かされるのと、それを紡いだ場面をしっかり見るのとでは全く違う。今でもくっきりと思い出す事が出来る。
「私達は…世界を創造する」
ミナカヌシ達の、世界を生み出したいという意志。
「俺達もこの
イザナギとイザナミの、変わらぬ本質と共に幸せになりたいという願い。
「僕の名前を呼んでくれたミナカヌシ様に、答えるためにも」
アウワ自身の、みんなの愛に報いたいという想い。
そうだ、その全てを「僕」を導くあの星と、この果樹―――「生命の樹」の元に集めて、世界に解き放とう。
「僕」といてくれた
「僕」を救いだしてくれた
「僕」を呼んでくれた
この世界という美しき
「僕」が続きを記していこう。
「僕」が続きを歌ってみよう。
そう思った瞬間、鼓動を伝え続ける生命の樹はその枝の一本に強い力を注ぎこんだ。枝の先にはぷくり、何かの塊が2つ作り出された。それは段々と大きくなり、同時にアウワの髪と同じ黄金の光を放つようになった。肥大は留まる事を知らず、家の樹になっている果実よりもはるかに大きくなった。
ちょうど中に猿程度の生き物が収まるくらいになると、2つの果実は成長を止めた。
だがその輝きは未だ色あせることは無い。
同時に、果実の中に何かの生き物の影がうごめく影が透けて見える。
早く目覚めたいと願うかのように、この殻を壊したいと願うかのように。
それを見たアウワはニヤリと笑った。
「さあ、
その輝きが一瞬で極限までに達すると、2つの果実は枝から離れて地面に落ちた。
同時に、フトマニも、それらを包んでいた光も泡がはじけるようにパッと消え、風も波も空も地も、何事もなかったかのように静かになっていた。
アウワは2つの果実の元に歩み寄り、屈んで其々の表面を指ですっとなぞった。
すると不思議な事に、果実の表面には刃で切ったかのようにキレ込みが入っており、全体を綺麗に両断した。中に「居る」であろう「それ」を傷付けぬように。
果実の中身は殆ど空洞で、アウワは果肉に包まれていたものを優しく丁寧に拾い、胸に抱きかかえて、背後を振り返った。
それをずっと見ていた神々(いつの間にかイザナギとイザナミも来ていた)は、アウワの腕の中にあった「それ」を見て大いに驚いた。
腕の中では男と女、二人の小さな赤ん坊が眠っていた。
「
古事記・日本書紀無伝「Human's Daybreak」 鬼澤 ハルカ @zaza_sorrowpain
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。古事記・日本書紀無伝「Human's Daybreak」の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます