第16話「シ・ク・マ・レ・タ・ト・キ」

 また、この光景か。

「わたし」…いや「僕」は今日もここに来た。

無限の雑音ノイズが生み出す混沌カオスの海。

無秩序な音、無節操な光と影が不細工で奇形じみたマーブル模様を作り出していた。

その上を、いや中か下か、そんな事はどうでもいいか。とにかく「そこ」を「僕」は歩いていた。でも景色が変わる様子は一切ない。そもそも進んでいるのか、退がっているのか自体曖昧だ。

でもそれもやっぱりどうでもいい事だ。だってもう混沌カオスが晴れてしまえば、もう「僕」はそこにいた。


最初に比べれば随分とスムーズに来れるようになった。やはり慣れと言う奴か。

ああ、ここはまるで故郷の様な安心感だ。何故だろう、分からない。

ところで「僕」は何を求めて来たのだろう?やっぱり分からない。気付いたらここに来ていたんだから。「僕」がここに「来た」という事実、あるのはそれだけだ。

前方を見ると、今日も「お前」はそこにいた。

勇気を出して近付いてみよう。するとどうだろう。近付いても視界に「ノイズ」がかかる気配が全くない。これは大きな進歩じゃないか。

もっと近付いてみる。一歩一歩、確実に。

すると今度はどうだ。「お前」は首を動かし、「僕」に反応を示した。振り向いて「僕」の方を見てくれたではないか。

いや、眼球を見ているわけじゃないけど、きっとそんな気がする。

手を伸ばせば触れられる程の位置まで近付いた時、「僕」の右腕はゆっくりと上がり「お前」に向かって伸びていく。

もう少し、もう少しで手が届く。そして遂に、手が触れるその瞬間…。





自我エゴ』の接触を確認。『無意識エス』の細分化を認めた。

衝動イド』の形成率…58%。

超自我スーパーエゴ』の形成率…0%。



どこかで声が聞こえる。そしてまただ。また肝心な所で雑音ノイズが「僕」を覆い始めた。けれども今日はいつもと違う。

雑音ノイズの中にピリピリとする何かを感じた。それは頭に直接何かを繋ぎ、自分の中から記憶を無理矢理ほじくり返そうとしているかのようだ。

あれ、あれはいつの話だったかな。あ、あ、あ、あ。


ああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアア01010101010110110101011010000010101010101010101111000101010101010101010111000001010101010101010010101010101010110110101011010000010101010101010101111000101010101010101010111000001010101010101010010101010101010110110101011010000010101010101010101111000101010101010101010111000001010101010101010010







「うーん…ここからじゃよく見えないな…」

イザナギが、丘の向こうの平原を目を細めて見ていた。

この辺りは草の背が高く、獣は身を隠しやすくなっている。だから観察するにも一苦労なのだ。

「だから言ってるでしょ?もうちょっと近付けばいいのよ」

「ダメだ。あんまり近づきすぎても、要らん警戒を与えるだけなんだから」

「えー?せっかくあの狼をアウワに見せようと思ってたのに…」

イザナミがイザナギの肩をゆらゆらと揺さぶりながらふくれっ面になった。そんな二柱を余所に、アウワは近くを這っていた蛇に気を取られてその動きをじっと観察していた。手足もないのに長い体をシュルシュルと動かして移動する姿は実に興味深い。しかも下手な四足動物よりも素早いのだから面白い。

時折、細長い舌をちろりと見せてシューシューと鳴く所も可愛らしい。

「はぁ…しょうがないなあ…ゴメンねアウワ、折角連れてきたのに…」

アウワはイザナミの謝罪に気付いてようやく我に返った。

「え?ああ、別にいいんだよ。面白いものは沢山あるし…」


最近はこの3人で行動することも多くなってきた。イザナギが引率役を務め、イザナミはアウワに地上の色々なものを易しく解説する。そしてアウワはそれを学ぶ、と言った具合だ。

イザナミの説明は非常に分かりやすい。やんちゃの極致と言える八児の母だけあって、子供に言い聞かせたり教えたりすることに関してはベテランだ。

時に詩的に、時に大げさに、時に感情的に、そこに生きる動植物の有り様を語る姿はまるで自分も楽しんでいるようで、アウワはそれを気に入っていた。

イザナギも時折どこか懐かしそうに見守っているが、少女時代の彼女の事でも思い出しているのだろうか。アウワが聞くところでは、今も結構な肝っ玉かあさんと言えるイザナミだが、子供の頃の彼女の爆走っぷりは今の比ではなかったという。

家宅六神があれほどに前のめりな性格なのも、母親似と言ったところだろうか。


長いこと歩いている内に、3人はとある谷の上までたどり着いた。

日の傾き的にも今日はここの観察で最後にすることになっている。イザナミは不満そうにしていたがイザナギはキッパリ「今日はここで最後だ」と言った。


三柱は揃って崖から谷を覗いてみた。

下の方は林になっており地上には特に変わった生物は見られない。

「もう帰ろうか」

そうイザナギが言いかけた所で、イザナミが「あ!」と声を出して遠くを指さした。

「ねえ、あそこ見て!ほら、あの木の枝の方!」

「えっ?どこどこ?」

「全然見えんぞ」

「もう、二柱とも目が悪いの?あそこよ、一本だけ枝が揺れてる所!」

アウワは目を細めてその木を探した。そして程なくしてそれを視界にとらえた。

「…あれか。よく見たら…枝に、何かが乗ってる?それも一匹じゃない…4、5匹はいるか?」

「うーん…」

イザナギがジッとそれを見つめながら記憶の棚を漁ると、一つの答えを見つけた。

「そうか…あれは『サル』だな」

「ああ!サルね、思い出したわ。いいもの見つけちゃった!」

二柱が答えを知って満足した所で、アウワは尋ねた。

「あの、サルって何?」


「サルって言うのは結構珍しい動物でな、ああやって木に登って生活しているのが多いんだ。危険な獣から身を守るためだ」

「でもとっても賢くて、しかも二足歩行ができるのよ。手先も器用だし、私達神々に少しだけ似通ったところもあるし…草でもお肉でも何でも食べられるみたいよ」

ふぅーん、と納得してアウワは木の上のサルの群れに向き直り、しばらくそれを観察していた。

「アウワはサルを見るのは初めてか?」

「うん、けっこう可愛らしいし…なんだか不思議な何かを感じるんだ」

どういう訳か、アウワはそこから視線を外せなかった。

「可愛らしいのは私も同意だわ。目もく…とし…て…」

「お前は可愛い云々ばっか…な…」


あれ、変だな。

頭がボーッと二柱の声が、どんどん遠くなっていく。それなのに僕の意識はどんどんあのサルに引き寄せられていく。

どうしてだろう、何だかすごく大事なものを見つけた気がする。


二柱も全く気が付かないうちに、アウワは無意識に口を開いていた。



「適合生物のサンプル、発見。計画に適したモノと判断」




頭を殴られたかのような衝撃と振動を感じて「僕」は「ここ」に戻っていた。

ああ、そうだ。先ほどまでは夢だったんだ。「僕」が体験したことの追想。

でもどうして、あの記憶なんだろう。あのサルとの出会いの記憶は一体僕に何を伝えたかったんだろう。

そう考えていると足元の紋様が突然、強い輝きを放った。まるで「僕」の心を読んでそれに待ってましたと言わんばかりに答えているかのようだ。


すると今度は、頭の中に何かが流し込まれるのを感じた。これは…夢ではない。

言葉だ。


「これから行われるのは単なる遊戯ゲームとは違う。己の尊厳、名誉、そして労働を賭けた勝負になる」


「お前はお前だろ?」


「時代というか、世界自体が変わってきてるんちゃうか?」


「誰だって一柱は寂しいだろう?」


「もっと産まなきゃとは思ってるんだけど」


「でもとっても賢くて、しかも二足歩行ができるのよ。手先も器用だし、私達神々に少しだけ似通ったところもあるし…」


聞いたことがある気がする。みんなの言葉。


「騒がしくて…でもそこが良かったりして…とにかく、楽しかった」


「僕の名前を呼んでくれたミナカヌシ様に、答えるためにも」


…誰の言葉だろう?「僕」?


「誰かに命じられたわけでもないが、生まれた時からこの心に、本能にハッキリと刻まれている」


「この何もない虚空から天を様々な色で彩り、地を豊かに耕し、様々な命を増やし、世界を満たす」


「私達は…世界を創造する」


「私は君に生まれて欲しい。君に生きて欲しい」


言葉の一つ一つが、頭に注ぎ込まれていく。

「僕」は一体何をされているのか。

「ここ」は一体何を望んでいるのか。



その瞬間、「僕」は気付いてしまった。

「ここ」に。

どう気付いたのかは分からない。ただ、その名前だけが思い浮かんだ。


「僕」は自然と、その名を口にしていた。


「フトマニ」


その名を読んだ瞬間、足元のフトマニはより一層強い輝きを放った。

それはまるで、音のない歓喜の叫びだった。

やがてフトマニの強い光に包まれた僕は、身も心も暖かな何かに満たされていくのを感じた。


そして理解した。


自分がこれからやることを。

何を、何のためにやるべきなのかを。













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