大嫌いなあいつへのラブレター

野森ちえこ

過去からの手紙

 透真とうま――


 あたしはずっと、あんたのことが嫌いだった。弱虫で、意気地なしで、臆病なあんたのことが、大嫌いだったんだ。


 あんたとは、おなじ年のおなじ月、数日ちがいで、たまたま隣同士の家に生まれた。あたしにとってはそれだけのことだった。でも、親たちにとってはそうじゃなかったんだよね。それぞれが念願のマイホームだったというから、当時はいろいろ舞いあがっていたのかもしれない。こっちはいい迷惑だった。

 あたしの気持ちなんておかまいなしで、いつでもふたりセット。『特別な仲よし』としてあつかう。ただの偶然を、特別な縁だといって押しつける。あんたはあんたでそんな親たちのいうことを鵜呑みにして、ばかみたいにあたしのそばにいたよね。


 璃奈りなちゃん璃奈ちゃんと、あたしの顔を見るだけでうれしそうにまとわりついてくる。いくらそっけない態度をとっても、邪険にしても離れようとしない。気が弱いくせに変なところで強情なあんたが、うっとうしくてしかたなかった。


 小学校にあがって、ちがうクラスになっても、あんたは変わらなかったよね。あたしを見つけるたびパっと笑顔になって、自由に動ける状況なら駆けよってくる。それが無理でもぶんぶん手を振ってきたりする。たまに、あんたがおおきな犬に見えることがあった。


 そうこうしているうちに中学生になって、おだやかでやさしくて笑顔がかわいいって、あんたはいつのまにか女子たちのあいだで人気者になってたんだよ。だけど、あんた自身はちいさいころのまま、相変わらずあたしにくっついてくる。そんな、まわりに無頓着だったあんたのおかげで、あたしはクラスの女子たちにハブられるようになって、中学生活はもう散々。あんたのせいで、あたしの青春はだいなしよ。


 あたしはあんたが嫌い。嫌い。大嫌い。

 あんたなんかいなくなればいいって、いつも思ってた。


 だから、あの日。


 ほんとうにあんたがいなくなったとき、思ったんだ。

 これですっきりできるかな――って。


 そうできたら、よかったのに。



 その一報が届いたのは、じりじりとむし暑い、夏のおわりの夕暮れ。あんたの、十五歳の誕生日だった。


 部屋に飛びこんできた母親から、あんたが事故にあったと聞いて、なぜかあたしはバルコニーの窓をガラっとあけたんだ。あたりまえだけど、あんたの家は変わらず隣にあった。

 とおりすぎたばかりの夕立。湿った風に運ばれてきた雨あがりの――土と草と石がまじりあったような、あの独特なにおいが今も鼻腔にしみついている。赤々と燃える夕日の色も、目に焼きついたまま離れない。


 歩道につっこんできた暴走車から、子どもをかばったんだってね。


 なに、ガラにもないことしてんのよ。

 臆病なくせに、ばかじゃないの。

 そんなときばっかり、かっこつけて。

 ふざけないでよ。


 ぶつけてやりたい言葉はぶつける相手を失って、たよりない虚空に沈んで消えた。

 いつのまにか、胸のまんなかに、ぽっかりとおおきな空洞ができていた。



 お葬式で、心臓を止めたあんたの顔を見ても、涙ひとつ出なかった。


 よりによって、自分の誕生日に死んでしまうなんて。

 誕生日と命日が一緒だなんて、シャレにもならない。


 あの日からずっと、現実とのあいだに透明な幕がかかっているようで、日常がひどく遠く感じる。


 あたしのなかにある、あんたに対する気持ちがなんなのか、今もよくわからない。恋とか愛とか、そんな甘やかなものではないような気がする。だけど、友だちとも、家族ともちがう。いくら考えても、あんたはあんたでしかなかった。


 理不尽だと思った。


 嫌いだったのに。

 大嫌いだったのに。


 争いごとが苦手で、競争が苦手で、いつもヘラヘラしているあんたが、ほんとうに嫌いだったのに。


 あんたがいなくなって、あたしは自分の半身を失ったみたいだった。



 一年たって、二年たって――もうすぐ五年がたとうとしているのに、あたしの心はどこか遠くにあって、がらんとした空洞から現実がポロポロこぼれて消えていく。あたしはそれを残念とも思わずに、ただ無感情にみつめていた。


 ずっと、このままなんだろうと思ってた。このままでいいと、思っていたんだ。


 なのに最近、あたしのことを好きだっていう人があらわれた。そんなことをいわれても、あたしの時間は五年まえで壊れて止まって、一歩も動けないままで、それをなんとかしようとも思っていない。

 誰かとつきあうなんて考えられない。恋なんて、もっと考えられない。だから、断ったんだ。ただ、彼があまりにも真剣だったから、あんたのこともきちんと説明した。


 そうしたら――そのままでいいっていうんだ。あんたのことを想ったままでいいって。忘れなくていいって。


 どうしたらいいのか、わからなくなった。


 そんなときだった。

 死んだあんたから手紙が届いたのは。


 正確には、過去のあんたが未来の自分へ宛てた手紙だった。タイムカプセル郵便? ていうの? あんたの二十歳の誕生日に送られてきたそれを、あたしはあんたのお母さんから受けとった。



 ――――――――

 ――――――

 ――――



 二十歳のぼくへ


 これを読んでいるぼくの隣に璃奈はいるのかな。きっといるって書きたいところだけど、いない可能性のほうが高いんだろうな――と思うくらいには正しく現状を認識しているつもり。


 ぼくはもうすぐ十五歳になる。

 その日、告白するつもりだ。


 ぼくは、璃奈が好きだ。


 いつからかな。もしかしたら物心つくまえからかもしれない。気が強くて、意地っ張りで、だけど困っている人をほうっておけない、心のやさしい璃奈が、ぼくは大好きだ。

 まぁ、そのやさしさがぼくに向けられることはめったにないんだけど。いいんだ、それでも。


 いや、ぼくが本気で落ちこんでいるようなときは黙ってそばにいてくれたりするし、それはそれですっごいレアでうれしいんだけど。でも、たとえそうじゃなくても、ぼくはきっと璃奈が好きだと思う。


 璃奈は親にいわれたからだと思っているみたいだけど、そうじゃない。ぼくは、ぼく自身の心で、彼女を好きになった。そのへんのところもきちんと伝えないとな。


 玉砕確率めちゃくちゃ高いだろうけど。高校はたぶん別々のところに進学することになるだろうし、最近の璃奈はどんどんキレイになってくるし、狙ってる男子も少なからずいる。なにもしないまま、ほかの男にかっさらわれたりしたら、後悔してもしきれないと思うから。


 告白してしまえば、これまでのような関係にはきっと戻れない。


 そう考えると怖いけど。怖いから。勇気を出すために、これを書いてる。そして土壇場で逃げ出さないために、これを投函する。


 二十歳のぼくに誓う。


 告白がうまくいってもいかなくても、璃奈のしあわせを一番に考えること。璃奈が璃奈らしく笑顔でしあわせになれるなら、その相手がぼくじゃなくても、心からそれを応援できる人間になること。


 そんな自分を目指して、ぼくは璃奈に告白する。



 ――――

 ――――――

 ――――――――



 もしかしたらあたしは、あんたのことをちゃんと見ていなかったのかもしれない。きめつけられるのがイヤで、反発していただけなのかもしれない。

 あんたの手紙を読んで、驚くほど素直にそう思った。あたしもすこしは大人になったってことかな。

 親の言葉に縛られていたのは、きっとあたしのほう。あたしは、あたし自身の心で、あんたを見ていなかった。


 意地になって目をそむけて、なにをやっていたんだろうね。

 あんたはこんなにもまっすぐ、あたしを見てくれていたのに。


 あんたが死んでしまって五年。


 あたしを好きだといってくれる人があらわれて、あんたの手紙を読んで、よけいにわからなくなった。これからどうすればいいのか。どうしたいのか。


 ううん、ちがう。そうじゃない。


 あの日から、あんたがいなくなってしまったあの瞬間から、あたしは考えることを放棄してしまったのだと思う。


 だから、透真――


 あたしは今、こうしてあんたへの手紙を書いてる。これまでのこと、これからのこと。ちゃんと向きあって、考えるために。視界がにじんで、なかなか先に進まないんだけど。最後まで書けたら、この五年間、どうしても行けなかったあんたのお墓まで届けに行くつもり。


 ……これは、ラブレターなのかな。


 こんなに嫌い嫌いと書いておいてラブレターもなにもないか。何回『嫌い』って書いたんだろうね。それでもきっと、あんたなら笑ってくれるんじゃないかって、そう思ってる。



     (了)


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大嫌いなあいつへのラブレター 野森ちえこ @nono_chie

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