釣った人魚と生きてみた

monta

 ある休日の昼下がり。人魚を釣り上げた。



 ●



 ワンフロアしかない部屋。俺が住む狭苦しいアパートのその部屋の、半分近くをでかい水槽が埋めている。ベッドとタンスがある以上、俺という人間の住むスペースはアホほど狭い空間だ。

 なぜ俺の部屋にこんなでかい水槽があるか? それは先日人魚を釣ってしまったからだ。釣った人魚を抱えて持ち帰り、水槽へドボン。それが今の部屋というわけだ。

 幸い人魚は肺呼吸できるようで、ポンプや海藻といったものは特に必要ないらしいのが救いだ。

「なんで俺人魚なんて持って帰ってきたんだろ?」

 人魚をしげしげと眺めつつ、口に出してみた。

 実際自分でもよくわからない。釣れたとはいえリリースすれば済む話だったはずだ。あるいはどこかに売り込むか。でも俺はなんとなく自分の部屋に持ち帰ってしまったのだ。

 ちなみに人魚だが、おとぎ話に出てくるような普通の人魚だ。決して頭が魚だったり男だったりということはない。今思ったがこれ案外重要だな? 怪物や男など持って帰るにはちと厳しい。

 そんなことを考えている俺に、人魚はとくに困ったふうでもなく、ただなにやら興味深そうな目を向けてくる。顔はまあまあ。かわいい方か。

「人魚か――。調べてみるか」

 俺は少しでかめのタブレットで人魚について検索してみた。

「人魚は――、と。えーと、食べると不老不死になる? なるほど?」

 検索結果に出てきた人魚についての記事のひとつを軽く読み上げてみた。当の人魚はよくわからないという顔でこちらを見つめるだけだ。

「やはり言葉がわからないか。こういう遊びは通じないな」

 もちろん最初から食べるつもりなどない。というかまがりなりにも人の顔した奴を食うとかちょっと嫌だ。

 そのあともそれなりに調べてはみたが、結局言い伝えとか創作とかで、実際の記録なんてないし気になる情報はそれ以上なかった。

 と、その時。俺のシャツの裾をひっぱる奴がいた。人魚だ。

「ああ? 腹でも減ったか?」

 そーいえばもう夕飯時だ。俺の傍でシャツを引っ張る人魚を軽く引き離して――、ん? 今俺なんつった? 

 振り返った。よく見てみると、いつの間にか人魚が俺の隣に座りこんでいた。その座る姿勢はあぐらだ。つまり足がある。

「おい!? お前足あったのか!? つか下半身さっきまでひれじゃなかったか!?」

 目の前の人魚(?)は普通に人間の格好だ。耳がひれのような形の何かになっている以外、普通の人間だ。そう、全裸の女。

「いや、全裸の女、じゃないぞ俺よ!」

 そうだ。今はそこじゃない。じっくり確かめたいがそれ以上に目の前の女はさっきまで下半身が魚の、普通の人魚(?)だったのだ。

「お前下半身はどうした!? どこにやった!?」

 俺の問いに人魚は答えない。まあ言葉が通じてないらしいので当たり前だ。なので指で指してみる。人魚の足を指さし、俺が驚いている事実がそれだということをジェスチャーしてみる。

 すると人魚はにぱっと笑った。笑いながら足を前に突き出すと、まるでバタ足のようにぱたぱたとさせて遊び始めた。

「なんなんだそりゃ……」

 人魚の意図はつかめない。ただ、人魚は嬉しそうに二本の足、よく見ればふくらはぎに小さなひれの様なものが生えているその足で楽しそうにバタ足を繰り返しているだけだ。

「なんなんだ一体……」

 とりあえず俺も驚き疲れたというかそんなところで、落ち着きを取り戻せてはいた。落ち着いたので人魚をどうするか考える。

「この狭いところに二人の人間がいるというのも息苦しいな――」

 そんなわけで今の俺は人魚に水槽へ戻って欲しいという思いだ。それを伝えるべく再びジェスチャー。人魚を指さし、水槽を指さし、水槽へ行ってくれと願ってみた。

 するとどうだろう。人魚の奴は顔を左右に振ったのだ。つまり嫌なのかお前。

「しかし、お前がここにいると狭い。だから戻ってもらおう」

 俺はそう宣言すると人魚を抱えた。水槽へ力づくでドボンという魂胆だ。

 抱えられた人魚はいやいやと駄々をこねる子供のように俺を叩いたが、力が弱いのでたいしたことはない。

「はっはっは、抵抗は無駄だ。なんせこの部屋の主は俺だからな。貴様に権限はないのだ」

 いいながら俺は人魚を水槽にドボン。すると水中にいれられた人魚は不服そうに二本の足で水槽の床に立ち尽くした。

「なんだよ、そんなに嫌なのか?」

 少し困った顔で俺は人魚を見た。水槽の床に立つ人魚はつまり胸から上を水上に出している。水槽の高さが人魚の身長よりも低いからだ。

 てっきり俺は水槽に戻したら足が魚に戻るのではと思っていたが、そういうこともなく。立ち尽くした人魚は不服を顔にあらわにして突っ立っている。

 ため息ひとつ。

「わかったよ。こっちへ来い」

 手で招いてやる。そうすると人魚は嬉しそうに水槽を乗り越えて俺の傍に来た。

「あーあー、床がずぶぬれだ。まったく面倒くさい」

 俺はとりあえずタオルをタンスから引っ張り出して人魚に渡してやる。

「体拭いとけ。床は俺が拭くから」

 言われた人魚はよくわからんような顔をしていたが、俺が床を拭き始めると何やら合点がいったようで自分の体を拭き始めた。

「なんだか面倒なことになって来たな……」

 最初は水槽に入れていればそれでと思っていたのに、地上を歩き回れるとは。これだと管理が難しいのではないかと不安が勝ってきた。

 と、唐突に人魚の腹が音を立てた。ああ、腹が減ってたんだっけ。

「しょうがない、とりあえずなんか食って考えよう」

 俺は床を拭き終えて冷蔵庫に向かった。



 ●



「ほれ、朝飯だぞ」

 人魚が水槽から出てきて数日。俺は結局普通の人間のごとく人魚という人物と同棲していた。

「アーウ」

 人魚は言葉にならないその声を発しながら、俺から渡されたトーストの乗った皿を持って机の前に座った。もう用済みになった水槽を処分したのでそのスペースに机が置けたわけだ。

 そしてこの数日でわかったことがいくつか。

 人魚はもう下半身を魚に戻せないらしい。言葉が通じないので観察からの意見になるが、風呂に入れてやったりしたときも魚に戻すことはしなかったし、結局水槽にも戻ろうとしなかった。これは本人が頑固というよりはもう戻せないと見たほうが正しそうだと思う。水槽を捨てる前に人魚に確認したが、困ったように足をばたつかせることしかしなかったのだ。たぶん水槽はもう人魚に必要ない物なんだろう。というわけで足は戻せないのではと考えた。

 そしてもう一つが――。

「アーグゥ」

 人魚が幸せそうにトーストにかじりつく。トーストはその上に刻んだサラダとオリーブオイルを使って作ったドレッシングを乗せた俺の特製トーストだ。その特製トーストにサメの様なキザキザの歯を立ててかじりつく。そしてそのたびに妙な声を出す。

「アウァー」

 そう、人魚が喋るようになった。喋るといっても声を出すだけだ。だが最初は声すら出していなかったのだ。これは何らかの変化であると見ていい。

「進化、だったりしてな……」

 呟く。人魚が変化しているのはわかるが、それが進化だとは決めつけづらい。何せまだこいつを釣りあげてから数日だ。進化が起きるとしてはあり得ないスピードだ。だが、足が変化したこと、戻せないらしいこと。そして声を出せるようになったこと。

「アグー、アワァー」

 人魚が俺にトーストのおかわりをせがむ。その抱き着くようにしてねだる姿を見て思う。

 人間に近づいているように見える――。

 そんなことを思いながら、俺は二枚目のトーストを焼き始めていた。



 ●



「ターノシ、ターノシ」

 人魚を釣りあげてから半月ほどが経った。その人魚は今俺に背中を預けてテレビを見ている。

「楽しいか?」

「アァーウ、ターノシ!」

 ここ最近、人魚が言葉を喋るようになった。まだ簡単な単語での会話程度だが、意思の疎通が可能になったということだ。

「アーウゥ、ガァ!」

 意思の疎通が可能になったからなのか、人魚は俺によくなついた犬のように接してくる。見ればその耳もすでにひれの様なそれではなく、人間の耳そのものだ。

「やっぱ進化なのかね……」

 そう呟くと、人魚は顔にはてなを浮かべて俺を見た。

「難しいことはお前にもわからんか」

 ため息を吐くと、人魚が俺を抱きしめてきた。

「ヤーコト? ヤー、コト?」

 人魚なりに俺を心配したらしい。

「いや、別に大したことじゃないよ」

 笑ってやる。人魚も笑顔を見せた。最近少し、前よりもかわいくなったような気がする。顔も何か変化してるんだろうか。

「アーゥ、ジ、ジーカァ」

 人魚が時計を指さした。いつの間にか時計のこともおぼえたらしい。

「ああ、時間だな。教えてくれてありがとう」

 俺は人魚を撫でてやってから、今日の薬を飲んだ。



 ●



 台所というには狭い、ワンフロアの玄関につながっているコンロから料理をする音が聞こえる。

 どうやら俺は眠っていたらしい。体を起こす。

「っ痛ぇ――」

 全身に痛みが走った。するとこちらに気付いたのか、コンロで料理をしていた人魚がこっちを振り向いた。

「ダーメ、ネテー。ゴハン、モウ、デキールゥ」

「わかったよ。わかったから手元に気をつけろよ」

 再び横になる。力を抜くと痛みが引く。

「いつの間にか料理も覚えたなあ、お前――」

 今日でだいたい半年くらいか。人魚を釣りあげたあの日を思い出す。あの日は空が青くて、ただただ静かで。釣り針に引っかかった人魚を見て、俺は驚く前に釣り針を取ってやらなくちゃと焦った。人魚の釣り針を外してやるために海に飛び込んだ。飛び込んだ海の中で人魚の針を抜いてやって、そこで初めてあいつの顔を見た。空みたいに青い、あいつの目。今でも忘れられない。

「ハーイ、デーキタ、ヨー」

 人魚が炒め物を乗せた皿を持って俺の傍に来た。

「悪いな」

 言いながら、体を起こす。再び痛みが走るが、さっきよりはましだった。



 ●



 人魚が来てから一年が経とうとしている。今日は体の調子がいい。痛みもなくてすっきり晴れやかだ。

 俺の部屋のことはすっかり人魚がしてくれるようになった。俺もしようとはするが、日によってままならいことが多く、人魚もいい顔をしない。

「ンーフフ」

 俺に寄り掛かるように座っていた人魚が笑った。

「どうした?」

「ンーンー、シアワセカンジタ、ダケヨ」

 人魚はそう言って俺に抱き着いてきた。

「なんだお前、俺が好きなのか?」

「ンー、スキー」

 答えた人魚の幸せそうな顔を見て思った。かわいくなったなこいつ――。

「俺が好きとは、お前は変わりもんだなあ」

 俺は人魚を抱きしめてやった。



 ●



「げほ」

 軽くむせる。口に当てた手に血がついていた。

「あー」

 血を見て思う。内臓の方はもうだいぶいってるらしい。

「ダイジョウブ?」

 俺が吐いた血を拭きながら、人魚が心配そうに聞いてきた。

「ああ、大丈夫だ。たぶんまだ」

 俺は安堵していた。内臓がいってるわりには見た目には影響が少ないことに。人によっては見た目が悲惨になるらしいからな。俺は見た目にあまり出ないで良かった。

「ホントウニ、ダイジョウブ?」

 人魚が俺を抱きしめるように覗き込む。俺はもうベッドから起き上がれないが、人魚を抱きしめることができて幸せだと思った。

「ああ、大丈夫さ」

 俺は人魚の髪を撫でてやった。



 ●



 人魚を釣りあげてから、もう何日になったんだろうか。まあ少なくとも一年を大きく超えてはいないだろう。なんせ俺の寿命は後一年あるかないかだと医者に言われていたんだから。

 人魚を釣ったあの日。俺は病院でガンを告知された。そいつはもう末期に入っていて手の施しようはないらしかった。それでも医者は生きる可能性を示してくれたが、俺は何だかどうでもよくて。ただ無感情に自宅療養をとだけ告げて釣りに行った。

 ただただ青く、静かな空と海を眺めながら、今までの人生を振り返ってみた。

 ろくなことねえなあ――。

 そう思った。育った環境もろくでもなく、ひとり立ちできたときには障害が発覚。あれよあれよと流されて、気が付きゃ独りでただ何もない毎日を送ることになっていた。

 その時釣った人魚。俺はあいつに何かを感じたのかもしれない。何を感じたのか、それは今でもわからない。でも今は、あいつに幸せを感じている。だから俺の人生は悪くなかったんじゃないかと、そう思えた。



 ●



 目を開けた。人魚が俺を見つめている。その顔は天気予報で言うなら曇り。つまり俺を心配しているらしい。

 俺は彼女の髪を撫でた。

「なあ、俺、そろそろ死ぬけど――」

 人魚の顔がいよいよ雨に近づく。

「泣くなよ?」

 泣いた。泣くなよって言ったのに。彼女の顔は土砂降りの雨だ。

「死ナナイデ――」

 彼女はそう言って俺を抱きしめた。そうは言われても、なあ?

「ごめんな、それは無理なんだ」

 彼女はいやいやするように抱きしめた俺に顔をうずめる。

「薬ハ、モウダメナノ?」

「抗癌剤なー。あれはまあ、治すための薬じゃないからな」

 少なくとも俺にとっては。抗っているだけで、治しているわけじゃない。

「ヤダ、死ナナイデ――。死ナナイデ!」

 彼女の言葉に、俺もまあ思った。

 死にたくねえなあ――。

 いつの間にか俺も泣いていた。

「ごめんなあ。俺も死にたくないんだけどなあ」

 すでに死ぬのはわかっている。覚悟はできてないが、その事実は受け入れざるを得ない。そういう体の状況だ。

「モット、一緒ニイタイヨ――!」

 彼女の願う言葉。それを聞いて俺も願った。死にたくないと。生きていたいと。

「俺も死にたくない。死にたくないよ――」

 もっと――。

「ずっとお前と一緒にいたい」

 口に出して願う。

「まだ死にたくない。生きていたい。もっと楽しいことをしたい、ずっとお前と一緒にいたい――」

 思いは通じないことはわかっている。でも言わずにはいられなかった。

「お前が好きだから、ずっと一緒に生きていたい――」

 彼女が俺を抱きしめる力が強くなる。俺も力を込めて抱き返す。もうほとんど入らない力を込めて。

 だが俺ができたのはそこまでだった。

「ごぼ」

 むせた。内臓がやられて血が喉へと上がってくる。もうそのままでも長くはないのだろう。だがそれ以前に上がってきた血で喉が塞がれて呼吸ができない。

「ぐあ――」

 苦しい。死ぬときは一体どんなだろうかなんて漠然と考えていたことがあるが、要するに結局苦しい物なんだと思った。もはや苦しいだけでそれ以上は何も考えられなかった。

「――!」

 視界の中、彼女が何か叫んでいる。もう耳も聞こえない。ただひたすら苦しさにあふれていた。

 不意に、苦しさを感じなくなった。いや、正確には何も感じなくなった。ただ、目の前の彼女が泣いているのが見えた。泣いて、叫んで、顔がぐちゃぐちゃだ。せっかくかわいい顔なのに。だから泣くなっていったのに――。

 そして視界も暗くなっていく。最後に彼女が流した涙、そのひと粒が俺の唇に落ちたのだけがわかった。

 甘い――。

 彼女の涙は甘いのだと、その時初めて知った。



 ●



 ――。

 ああ、俺は――。

 泣いている彼女が見えた。

 そう、彼女が見えたんだ。



END

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